ローコントラストの日常





雨の日が好きだ。




水のカーテンでぼんやりと滲む風景。


全てのものがハッキリとしないディテールで、良いとか悪いとかなくそこに存在している。



無機質で意味が無いようで、ココにはそういった存在しかないそう思えるから……



傘で顔を隠しながら、僕はともかく何かにぶつかる事だけを避けるように注力する。




思えばこの『見たくないものが見える』
は小学生の頃からだった。




その時はまだ気の所為で済ませられていたが、高校に入った今は、ソレは更に色濃くなって来ている。





通学路の途中にあるバス停。




そこはそんな僕にとっては最難関だ。



バスを待つ人が多く、傘をさしてそれを避けていくのは至難の業だからだ。



スーツ姿の多分、サラリーマンを避けて……


小さな子供を連れたワンピースのおそらく、母親を避けて……



今日はスムーズにココを抜けれそうだ。





そう……思った。




「…………っ!」




ほんの一瞬、呼吸が止まりそうになる。



声を出さ無かったのが救いだ。




制服のスカートから見えた真っ青な足。



2本あるはずのモノがそこには1本しか存在していない。





多分、コレは…………




僕は傘を更に深く傾けて、視界をほぼそこにいるヤツの足元だけが見える様にした。




絶対に、見上げてはいけない━━




深く呼吸を吐き出して、足早にその前を通り過ぎる。





途中、小さく何かをぽそぽそと呟いている、人間ではないものの声が聴こえて来たが絶対に気を取られてはいけないと思って気付かぬフリで駆け抜けた。



朝から嫌な思いをした。



2-Bの教室に入って自分の席に座ると、まずかけていた度の合わないメガネを拭く。



度が合わないというより、僕の視力にはなんら問題はなくメガネなど本当は必要ない。





それなのに何故かけているのかといえば……




『自分の視界を見えずらくする為』




に他ならない。



ピントが合わずぼやけていれば、さっきみたいな見たくないモノをハッキリと見なくて済む。



そうして僕はこの異常な日常をやり過ごしている。



「大和田くん、おはよう」



「あっ、市毛さん! おっ、おはよう……」



ぼやけた視界でもハッキリわかる澄んだ声。




この声は、僕の右隣の席にいる市毛(イチゲ)まどか さんだ。


僕の視界が明瞭ではない事の唯一悔やまれる点は、彼女のきっと絶対可愛い顔や表情がわからない事それに尽きる。



ちゃんと見えていないのに何故彼女が可愛いのかわかるのかというと、彼女は少し前まで人気アイドルグループ【らめんと】のセンターだったからだ。



【らめんと】は今最も勢いのあるアイドルグループで、そのセンターだった彼女は歌も上手くて芝居も出来る、国民的スターの呼び声も高い。


デビュー曲『いつかあの桜の下で』は、僕が一番落ちていた時期励まされた名曲で、それを歌っていた市毛さんは僕の中で崇高な存在となっている。



そんな彼女がこんなクソ陰キャな僕に、優しく自ら挨拶してくれる……



もう、好きになってしまう。



というか、ハッキリ言って好きだ。


まあ、僕が神たる彼女に好きだとか恋だとかそんな事を言う事はこの先、未来永劫けっして無いのだが……




全盛期はほとんど学校にも来ていなかったのだが、『しばらく学業に専念する』という理由で現在はアイドル活動を休業している。




そんな彼女の隣の席、僕はもう一生分の運を使ったかもしれない。




「かるまっち! おっはよー!」



「…………………………はぁっ」


打って変わって僕は思わずため息を吐く。


左隣からいかにも頭が空っぽそうな声がした。



「なになに~? 朝からそんな暗い顔して~、嫌なものでも見た~?」



お前の事だと言ってやりたいが、視界不良なので運良くこいつの顔は見ずにいれている。




財前 司(ザイゼン ツカサ)は僕の苦手な部類の男だ。



僕の身長(165cm)を優に上回る高身長。



そして、顔が良い!


更に
ずば抜けた運動神経を持ち、コミュ力が高く友達も多い人気もの。



そして、何より


顔が良い!!



……だそうだ。



僕はちゃんと見た事なんてもちろん無いが、クラスの女子がしょっちゅうそんな話をしているので、世界一無駄な知識だが嫌でも頭に入ってしまっている。




僕からしたら、カースト上位のチャラチャラした、人生勝ち組野郎という認識しかない。




『嫌なモノでも見た?』




不意に━━……




財前のその言葉が頭を掠める。



嫌な……モノ……



今朝のバス停のアレは……


あの時視界にうつった、きっとこの世のモノではないアレが頭の中でフラッシュバックしてきて僕の背中にゾクリと悪寒が走っていった。




体に冷や汗がじわりと滲み、何かが僕を引っ張ってどこかに沈めようとしているみたいに体が重たくなっていく。



「………………ちょっとちょっと~おはようって言ってんだからおはようくらい返してよ」



そう言って財前は僕の背中をバシンと叩いた。





その瞬間━━





「えっ……あっ、あぁ、おはよ……」



僕の背中にあった重たいモノが抜けて、体が幾分か軽くなった。


思わず拍子抜けしてしまい、無視するつもりだったが普通に返事までしてしまう。



「あいさつはだいじだよ~?」



僕の肩を今度はポンと軽く叩いて、財前は自分の席に着いた。




今のは……何だったんだ?




その時
何故か、やたら手首をさすっている財前の姿が印象に残った。









その日の放課後━━






掃除当番だった僕は、ほうきで居場所を無くされてふわふわと空中を浮かぶ埃を見ていた。




今朝のアレ。




体が急に重くなって……変な感じがして……



今までもアイツらみたいなのを街で見かけた事はあったけど、さっきみたいな感覚になったのは初めてだった。




財前が背中を叩いてから再度あんな風にはなってないけど……



ていうか、前から思っていたけど財前、アイツホント距離感がおかしいんだよ……




適当に掃き掃除をして、まとめたゴミを僕は率先してゴミ捨て場へ持っていく使命を押し付けられた。




まあ、教室にいるより気が楽でいい。




そうして、あまり人のいない花壇を通ってゴミ捨て場へと歩いていると、花壇の隅の方から聞き覚えのある声が聞こえて来た。




「…………どうしても……ダメ……かな?」




咄嗟に壁に身を隠し、声の主を確認する。



ぼんやりとだが、アノ声と立ち姿は市毛さんだ。



「ああ……うん……ごめん……」



相手の方の声も聞き覚えがある。



今朝聞いたばかりの……




そしてあの長身……
財前だ!




僕は物陰に身を隠しながら、そっと2人の会話に耳をそばだてた。




「絶対……ダメ? 財前君じゃないと……私……」



「うん……ごめん……ムリ」




コレは!!



告白!!?


どう聞いても告白だ。




僕の密かに思い崇め奉る市毛さんが!!?



チャラ男で距離感バグってて顔だけがやたら良いだけの財前に!!?



告白して……ふ、ふ、ふ、フラレてる!!?



そんな事、あるはずがない!!


いや、あってはいけない!!!!



僕は2人の様子をもっと知りたくなって、身を乗り出せるだけ乗り出した。




そして……



体勢を崩し……ゴミ箱ごとすっ転んだ。




『ガンっ!! ガラガラガラっ…………!!』




金属のゴミ箱は辺りに響く様な音をさせ、それと同時に僕は地面にぶっ倒れた。




二人はこちらに気づいてしまい、市毛さんは脱兎のごとく走り去ってしまう。





彼女は━━




目にいっぱいの涙を浮かべていた。



綺麗な横顔。



まるで映画のワンシーンみたいだ。



転んだ拍子に外れたメガネのせいで、僕の視界は明瞭。



初めて市毛さんの顔をちゃんと見れた。



やはりそのご尊顔は可愛いを越えて美しかった。




「あっ……ごめ…………」



僕は、走り去る彼女に謝罪の言葉をかけようとした。




けれど、その言葉は僕の喉に押し込まれてしまう。





アレは……何だ━━━━!?




彼女の背中には、見た事もないドス黒い影が蠢いていた。





それはまるで長い黒髪か植物の様にうねり、彼女の体に巻きついている。





彼女がいなくなった後も、僕は少しの間放心状態だった。



気づくと



僕の前には財前が立っていた。



「見ちゃった?」




財前はどちらの事を言っているのだろう?



しかし、確かに……



僕は今まで会って来た人間の中で、一番美しい顔だと財前を改めて見て思った。



下手したら市毛さんよりも美しい顔をしている。



いや、男相手に綺麗だとかはおかしいだろ。



僕はようやく正気に戻った。



そして、それと同時に怒りが込み上げて来た。


あの市毛さんの涙。


彼女はきっと本気で財前の事が好きだったに違いない。


それなのに……


『無理』だなんて言葉一言で片付けるなんて……



ありえない!


僕は座り込んだ自分の目の前に差し出された財前の手をパシっと跳ね除け、勢いよくその場で立ち上がると財前の胸ぐらを掴む勢いで迫った。



さすがに胸ぐらを掴む勇気は僕にはないのだが。



更に人とここまでの至近距離になる事は久しぶりで、幾分か緊張する。



しかし、今は怖気付いてなんていられない。



「…………お前、いくら何でもあんな言い方ないだろ」



思わず口からそんな言葉が溢れ出る。



普段の僕なら陽キャでカースト上位の財前に、こんなケンカを売るなんて絶対にしない。


でも、僕は純粋な人の気持ちに誠意を持てないヤツが許せなかった。



「言い方?」



財前はきょとんとして僕を見つめる。


相変わらず顔だけは本当に綺麗だと思う。


「付き合えなかったとしても、断り方があるだろ……だいたい、市毛さんだぞ? 告白されて断る理由あるのか?」



いくら財前が顔整いで、高身長でコミュ力高くて他の学校にファンクラブがあるらしい(掃除中にクラスの連中が噂していた)でも、超人気アイドルだった市毛さんだぞ??



断るなんて……
普通だったら2つ返事、いや土下座してOKだ。



「告白? 誰が?」


「だからっ! お前、市毛さんに告白されて断ってただろう!? 聞いてたんだよっ!?」



「されて……ないけど」


「……えっ?」


「されてないけど、告白なんて」


えっ?


なんだコレ?


ジョークか?


陰キャに伝わらない、陽キャジョークか?



「市毛まどかさんには彼女のプライベートの事で相談……つか、かるまっちも見たよね? ……アレの相談されたんだよ」



「……アレ?」



「見たよね? 彼女にまとわりつく黒い影」


僕は、思わず財前から2、3歩後ずさった。


「オレ、知ってるよ? かるまっちはオレと同じ
【見える側】の人間でしょ?」



何言ってんだコイツ……


何で、僕が見える事を知ってるんだ……


「彼女ね……極めて危険なモノに取り憑かれてるみたいなんだよね、それでオレがそういうのを対処出来るのを知って、お願いに来たんだよ」




極めて危険━━




財前のその一言で、僕の背中にまたゾクリとした何かが走っていった。



しかし、朝の様な嫌な感覚になる事はなかった事に少しだけ安堵する。


「ねぇ、朝さ変なモノを見たよね? 最近バス停にいたヤツかな? かるまっちの体に入ろうとしていたとこをオレが取ったんだけど」



「取った?」



もしかして……あれか? 背中を叩いた時のアレか?



確かにあの後、急に体が軽くなって引っ張られる感じも消えた。



そうすると……もしかして……



アノ嫌な感覚は…………



片足の無い異形の存在が脳裏をかすめる。



アイツが僕の体に入ろうとしていた感覚だったのか?




「もし入られていたら……どうなってたんだ?」



「それは……あんま聞かない方が良いと思うよ」



財前は苦笑いしてそれ以上は答え無かった。



「でも取るのってね簡単な事じゃないから、今朝のぐらいのならいけるけど、市毛まどかさんのヤツはオレには無理」


あの「無理」は告白に対してではなく、市毛さんに纏わり憑くモノを対処出来ないという事だったのか……



いや、納得している場合じゃない。



じゃあ、対処を断られた市毛さんは!?


「市毛さんは……どうなるんだ!?」


財前が匙を投げる様なヤツだ……


そんなのが市毛さんの中に万が一……入ったら……


「……わからない、オレにも……ただ、大丈夫だとは無責任には言えない」


財前が珍しく眉間に皺を寄せた。



顔の綺麗なヤツはこんな時でも美しいのかと、関心してしまう。


財前の様子から市毛さんはカナリまずい事になっているのが明白だ。



「どうにかならないのか?」


僕は神に縋る思いで財前に問いかけた。


「本当にどうにも……ならないのか?」


財前は深く一つため息を吐く。



「彼女を助けたい?」


「ああ……」


「どうしても?」


「助けたい」


「わかった……じゃあさ、オレのお願い聞いてくれる?」


「お願い? 僕が?」



「うん、かるまっちじゃなきゃ叶えられないお願い」



そう言うと財前はニッと歯を見せて笑った。



絶対に出来ない様なとんでもないお願いだったら…………


いや、そんな事は言ってられない!


市毛さんを助ける為だ!



「僕が、出来る事なら……いいよ」


僕の返答を聞いた財前は俯いた。


少しの沈黙━━


俯いていた顔をゆっくり上げて、僕の目の前に手が差し伸べられる。





「…………オレと付き合ってください」