寮長の隠しごと(一人部屋を死守したい寮長と、窓からやってくる美しき同級生)

一人取り残された俺は、受付のおばさんから、飲食はスタジオの外でとか、会話禁止、撮影厳禁などの注意事項を受けた。

「あ、あの。ここではなんのレッスンをしているんですか?」

「あらまー、ユウヒくんは肝心なことをアナタに伝えていないの?」

「はぁ」

「まぁ、彼らしいわね。ここはヒップホップダンスの教室よ。彼は今、十一月に行われるダンスグループのオーディション二次審査に向けて、必死に練習しているの」

「へー、それはすごいな。見込みはありそうなんですか?」

「私はただの受付のおばさんだから、分からないわ。でも、小学生から習っている子も大勢いる世界だから、三年前から始めたユウヒくんは、頑張らなきゃって思ってるでしょうね」

「そうなんですね……」

「毎日練習しているのはもちろん、近頃は週に三回、ここが閉まるまで一人で居残って、朝の自主練にも来るのよ。応援してあげて!彼のこと」

おばさんは、慈愛に満ちた笑顔でそう言った。

ユウヒがいるという第三スタジオの重いドアをゆっくりと開けた。
俺は見学スペースとして設けられたベンチまでコソコソと移動する。
スタジオの空気は張りつめていて、コーチらしき人がカウントを取る声が大きく響いていた。

生徒は十人。
皆、真剣な表情で、少しの隙も見せずに踊っている。

ユウヒは一番右端にいた。
ダンスというものを歌番組でしか見たことのない俺からしたら、めちゃくちゃ動きにキレがあって上手い。
プロみたいだ。

リズムに乗って躍動する身体が、緩急つけて滑らかに動く様は、いつまでも眺めていられた。

「一分休憩」

コーチがそう告げ、生徒たちはさっと鏡の前に置いてある各自の荷物へ移動し、水分補給をしてタオルで汗を拭く。
その間、生徒同士で目を合わせたり会話したりは、一切なかった。
ここでは全員がライバル、皆闘っているのだろう。

コーチが「ハイ」と手を一回叩くと、すぐに生徒たちは定位置につく。
そしてまた、激しいレッスンが再開された。

十人いても、俺の目は無意識に、ユウヒだけに吸い寄せられる。
ジャンプして着地するたびに、キラキラと汗が舞う。

左右に首を振る度に、髪がバサリと大きく揺れる。
波打つような腰の動きはセクシーさを存分に含んでいて、目線の使い方にもドキドキとさせられる。

とにかく、とても美しく、とても格好いい。
これだけ輝き続けて踊っているのならば、朝の練習が終わってから次のレッスンが始まるまでの学園生活が、OFFなユウヒになってしまうのも、頷けた。

俺は次第に、レッスンを見に来るべきではなかった……と頭を抱え始めた。
だって、これを見て「もう部屋に来るな」とは言い出しにくい。

実家までは学園から自転車で四十分だと言っていた。
檜垣寮ならば、徒歩五分だ。
そりゃ睡眠時間も確保できるし、朝練にだって行きやすいだろう。

「一分休憩」

何度目かのその声が掛かったとき、俺はコソコソとドアのほうへ、移動する。
ユウヒと話をするのは、今日じゃないほうがいいと思ったから。
日を改めて冷静にならなきゃ、とてもじゃないけど拒絶は伝えられそうもない。

そんな逃げるように帰る途中、鏡越しにユウヒと目が合う。
彼はパチリと綺麗なウインクをしてくれた。
だから俺も、小さく手を振り返してしまう……。

廊下に出て壁の時計を確認すると、ダンスレッスンを見学し始め一時間半が経っていた。
受付にはさっきのおばさんが居て、俺に荷物を返却しながら「どうだった?」と訊いてくる。

「いや、凄かったです。ユウヒ、学校では全く覇気がないのに……。ここでエネルギーを使い果たしていたんだって、分かりました」

「ふふふ。今はダンスしか見えてないのね。でも、そんな中でも、こんなにいい友達ができたなんて、おばさんとしてはうれしいわ」

「いや、あの……まぁ。はい」

「オーディションも公開形式だから、可能なら東京まで見に行ってあげてね」

「何日なんですか?」

「十一月二十三日。日曜日の午後よ」

「その日は……」

よりによって、夜会の前日だ。

「あぁ、アナタも青海波学園なのよね。ちょうど文化祭と夜会の頃?」

「はい、ご存知ですか?」

「もちろんよ!何十年も前、私も檜垣寮主催のときに招待状をもらったわ。あの夜のことは忘れられない。うちの娘もね、四年前の籠目寮の夜会に呼ばれて、すごく喜んでた。夜会はいい伝統よね」

おばさんはオーディションの詳細が書かれたチラシを、一枚くれた。

「これ、よく読んでみて。当日はリアルタイムで有料配信があるの。それで、配信を買った人はオーディエンス票を一票投じることができるらしいから」

配信ならば、見られるかもしれない……。
おばさんにお礼を言い、俺はダンススクールをあとにしようと扉に手をかけた。

「ハヤセ!」

廊下からユウヒが駆けてくる。

「どうだった?僕のダンス!」

レッスンは終わったばかりのようで、汗が滴り、息が上がっていた。

「いや、めっちゃくちゃ上手いと思った。まじですごいよ、ユウヒ」

「そんなこと言ってくれるのハヤセだけだよ。僕、さっきのメンバーの中じゃ、一番経験が乏しいから下手くそでさ」

「そんなことなかったぞ!」

俺はダンスのことなんて一ミリも知らないのに、食い気味で否定する。

「本当にすごくよかった。ユウヒが一番輝いてた」

「あ、ありがと。へへへ、うれしいな。えっと、それで、なんだっけ?なんか僕に話があるって言ってた気がするけど」

このタイミングで言い出せるわけがない。
「もう部屋に忍び込むな」とか、「泊めてやらない」とか。

「あぁ、メッセージアプリのID、教えてくれない?これからは、部屋に来る日は事前に知らせてほしいんだ」

結局、俺が口にできたのは、拒絶とは程遠いものだった。
そんな自分に落胆し、寮までの帰り道、トボトボと俯いて歩くことになったのは、言うまでもない。