寮長の隠しごと(一人部屋を死守したい寮長と、窓からやってくる美しき同級生)

ユウヒが整形外科へ行った木曜日の夜も、翌日金曜日も、俺が送ったメッセージへの返信は『大丈夫だよ』のみだった。

その返事に、少しも大丈夫とは思えなくて、俺は心配を募らせた……。
ユウヒが一人で暮らすあの家の間取りを、思い浮かべる。
リビングの隅に置かれたソファの上で、丸まって痛みとプレッシャーに耐えるユウヒを勝手に想像し、どうしてやることもできない、無力な自分に絶望する。

ユウヒはきっと、身体が動かせなくても、何かせずにはいられなくて、レッスン動画を繰り返し繰り返し見ているだろう。
そして踊ることができない焦りに、じりじりと焼かれているはずだ。

お腹は空いていないだろうか。
ミールキットで何か作り、冷凍のご飯を解凍し、腹を満たしただろうか。
足を引きずって、風呂を沸かしたり、洗濯したり、東京へ行く荷造りもしているはずだ。

彼が新幹線で東京へ向かう予定の土曜日も、何度かメッセージを送った。

『おはよう。足の具合はどう?東京には行けそう?』

『うん、大丈夫』

『見送りに行ってやれなくてごめん。こっちは文化祭一日目です。ユウヒはもう新幹線?気を付けて行ってきて』

『ありがと。大丈夫だから』

ようやくまともなメッセージが届いたのは、オーディション当日、日曜日の午前だった。

『ハヤセ。今日の時間が決まった』
『僕はFグループ』
『十五時からだから、配信見てね』
『俺への一票、よろしく』

立て続けに送信されてきた。
足の捻挫はダンスに影響があるのかないのか、それを聞きたかったけれど、不躾な気がして我慢する。

『ユウヒ、応援してるから。配信絶対に見るから。頑張れ!』

俺が伝えられたのはそれだけだ。



檜垣寮の食堂は、日曜日の朝食以降、使用できなくなった。
今晩の夕食、明日の朝食は弁当形式で配布され、各自が部屋で食べることとなる。

まずは本日二日目となる文化祭で役割がないスタッフ一同で、床や窓を磨き上げた。
普段から業者による清掃が入っているので、清潔は保たれているが、より美しい場所へ客を招き入れたいと皆が思っている。

次に隣の談話室との扉が外され、広い会場が出来上がった。
立涌寮から借りたテーブルが追加で運び込まれ、学園のホールからは照明機器が搬入されてくる。
臙脂色のテーブルクロスがかけられただけで、夜会の雰囲気が高まり、皆のテンションがあからさまに上がった。

明日届くはずの、生花やバームクーヘンの手配を今一度確認し、ピアニストやマジシャンの入り時間、リハーサル時刻を確かめ合う。

細かく各方面に気を配りながらも、俺はずっと壁の時計を気にしていた。
十五時からのユウヒの配信を見るために、さりげなく抜け出し、自室へ戻りたい。

既にIDを作って、配信チケットは購入済みだ。
スマホでも見られるらしいけれど、せっかくなら少しでも大きな画面で見たいから、ノートパソコンで見るつもりでログインしてある。

竹田にだけは「ちょっと私用で抜けたいから、その間よろしく」と伝えてあった。
できたら彼にも一票投じてもらいたかったけれど、流石に前日準備の最中に、俺と竹田が二人して抜けるわけには、いかない。

十四時半のことだった。
学園正門の守衛さんから、寮に連絡が入る。

「近隣に住む女子高生の父親だと名乗る方がいらしていて、夜会についての説明を求めています」

は?
とりあえず、寮父が対応に出てくれた。
どうやら他県から引っ越してきた家族で、「夜会などという怪しい銀色の招待状を娘が貰ってきたが、男子校の男子寮からの誘いに、娘をのこのこと参加させられん」ということらしい。

だったら、断ったらいいのに。
時間が気になる俺にとって、迷惑でしかない。
しかし、寮父は伝統行事である旨を丁寧に伝え、寮長である俺に「会場を見せて差し上げなさい」と言ってくる。

俺はイライラを必死に隠しながら食堂に案内し、臙脂色のテーブルクロスに真鍮のキャンドルスタンドをセットする様子や、ピアノの調律師が作業しているところを見せる。
本来ならまだ非公開の式次第まで開示した。

「立食形式で食事も提供されます。料理の数々は当寮のシェフが腕によりをかけ調理いたします」

たまたま近くを通りかかった恰幅のいいシェフが、コック帽姿で父親に会釈してくれる。

「乱暴な男子生徒がいたりはしないだろうね?」

あー、もうイライラする。
この父親は、壁の時計を何度も見上げる俺の様子に、気を遣ったりはしてくれない。

「伝統ある青海波学園の生徒ですので。そこは信用していただくしかありません」

学芸会のような手作り感のある会ではないことを理解した父親は、渋々納得し帰っていった。

正門まで見送り、時計を見れば十五時を十分ほど過ぎていた。
俺はとりあえず人の気配のない駐輪場まで移動し、スマホでオーディションの配信にログインする。

前のグループが押していたようで、ちょうどユウヒのいるFグループが始まったところだった。
どうやら一つのグループは二十人程の挑戦者で構成されているらしい。
この中から何人が第三次審査に進めるのか、俺は把握していない。

一人一人が名前と番号、簡単な自己紹介を審査員に伝えていく。
ユウヒは、103番だ。
彼の番になり、画面がユウヒのアップになる。

「葉月ユウヒです。よろしくお願いします」

画面越しでも緊張しているのが伝わってくる。
でも、彼は真っすぐ前を向いていて、堂々とした立ち振る舞いだった。
俺はその姿を見ただけで、心配する気持ちから、期待する気持ちへと切り替えることができた。