水曜の夜。
施錠していない窓が、外から開けられ、カーテンが風で膨らむ。
待ち望んでいたユウヒが来てくれたと、俺はベッドから下り、彼を迎えいれようとする。
しかし、ユウヒはいつものように、身軽に部屋へ侵入してこなかった。
どうしたのかと窓の向こうを見ると、泣きそうな顔をして手招きしている。
「な・に?」
口の動きでそう伝えると、内緒話をするように耳を貸せと、ジェスチャーで訴えてくる。
耳を窓の外に向ければ、涙声のユウヒが小さな声で俺に言った。
「今、塀を乗り越えたとき、着地に失敗して足をひねったかも……」
オーディションまではあと四日。俺の頭も真っ白になる。
とにかく無理はさせられない。
窓を越えて部屋に入ってくるのは無理だろうと、彼に防災備蓄庫へ行くよう指示をする。
そして俺も、毛布や、患部を冷やすために濡らしたタオルを持ち、窓から外へ出て、部屋履きで備蓄庫へ向かう。
またオバケ騒動が巻き起こってもいい。
それより今はユウヒの足だ。
小声で彼に問うた。
「折れてないよな?」
「うん、大丈夫。軽い捻挫だと思う」
濡れたタオルを足に当てると、冷たかったようで、ユウヒがブルっと震える。
「ここ、寒いよな。今、羽織れるもの持ってくるから」
「ごめんね、ハヤセ。迷惑かけて、本当にごめん」
俺は首を横に振り、自分の部屋と備蓄庫を何往復かして、できるだけユウヒに快適な空間を作り上げた。
「朝になったら絶対に整形外科に行って、診てもらったほうがいい」
「うん……」
備蓄庫の扉をしっかりと閉めて、真っ暗い闇の中、俺とユウヒは一枚の毛布に包まった。
互いの体温は、毛布の中を温め、寒さを感じずに済んでいる。
俺たちは身を寄せ合い、ユウヒが痛みから気を逸らせられるよう、小さな声でぼそぼそと会話する。
「僕も寮生になって、伝統の夜会に行ってみたかったなー」
「俺だって、ユウヒに上手い料理を食べさせてやりたかった。今年はイタリアンなんだ」
「いいなー。デザートもあるの?」
「あるある、たっぷり。土産としてバームクーヘンも渡される」
「バームクーヘンはイタリア関係ないじゃん。ドイツだよ。でも、うらやましいな。ハヤセ、招待する女の子は、決まってるの?」
「あぁ、そうだった……。どうしよ」
「駅前で、招待状欲しい人いませんかーって叫んだら、すぐ決まるよ。ハヤセ格好良いし」
「やだよ、そんなの」
「寮長はとびきり美人を連れて行くものなんでしょ?」
「その噂、本当なのかな。参ったなあ……」
話すことはいくらでもあって、途切れない。
「ユウヒはいつから一人暮らし?」
「高校入学のときから。俺も一緒に海外へ行くって話もあったんだけど、始めたばっかりだったダンスを続けたかったし。海外で習う度胸もなかったから」
「そっか。あの距離に実家があると、寮には入れないの?」
「どうだろ。でも嫌だったんだよね。誰か知らない人と一緒の部屋なんて」
「分かる」
「だろ。でも、ハヤセと二人部屋ならいいな。楽しそう」
「三年から寮に入ればいいのに」
「そんなこと、できるの?」
「知らない」
「無責任だなー」
会話は取り留めもなく、あちこちに飛ぶ。
「オーディションの二次審査って、受かったらどうなるの?」
「三次審査があって、それから最終審査」
「先は長いんだ」
「そう。一次は動画審査だったから、審査員の前で踊るのは今度が初めて。絶対緊張しちゃう」
「最終審査で受かったら、テレビの歌番組に出たりする?」
「どうなんだろ?でも大きい事務所のオーディションだし、最終審査は密着ドキュメンタリーとか作られるんじゃない?」
「すごい。俺、絶対見る」
「あのさー、ハヤセ。僕の目標はとりあえず二次審査突破することだよ。それだってめっちゃ難関」
「でも、ユウヒならダンスも上手いし、キラキラしてるし受かるに決まってる」
「いやいや。オーディション会場に行ったら、バケモンみたいに上手い人が、ゴロゴロいるんだって」
いつの間にか二人ともウトウトしていたようだ。
身体を寄せ合って、手を繋いで眠っていた。
スマホのアラームが鳴り、俺たちは暗闇の中で、朝が来たことを知る。
いつもは早朝に出て行くとき、この塀を乗り越えているユウヒ。
今日はとても無理だろう。
悩んだ俺は、竹田に助けを求めることにした。
食堂へ向かう途中の竹田を捕まえ、連行するように備蓄庫へ連れていく。
「あらあら。どういう状況?」
彼は毛布に包まったユウヒを見て呆れたような顔をしたが「で、俺はどうすればいいの?」と言ってくれる。
「わからない。どうしたらいいだろう?竹田」
身振り手振りで、彼が足を怪我したことを伝え、塀を乗り越えられないのだと話す。
「冷静沈着な寮長ハヤセも、だいぶ焦ってるね。落ち着いて。塀は越えなくてもいいんだよ。ここは学園内なんだから。もう少ししたら登校時間になる。そしたらその自宅生は忘れ物でもしたフリをして、堂々と正門から出て行けばいい」
「あぁ、そうか」
「そうだよ。事情はよく分からないけれど、その男を守りたいんでしょ?だったら冷静になって。このままこうして備蓄庫の前で喋ってるのは、よくない。彼を残して、俺たちは朝食に行ったほうがいい」
「でも……」
「ハヤセ、僕は大丈夫だから」
ユウヒは、毛布に包まったまま精一杯の笑顔を作ってくれた。
結局、登校する者の波に逆らって、ユウヒはごくさり気なく正門から出て行くことに成功した。
その後ろ姿は、足を少し引きずっている。
昼になっても彼は学園に戻らず、メッセージだけが送られてきた。
『足は大丈夫。今日と明日は学校もレッスンも休むことにした。いい休養になったよ』
大丈夫って……。
本当だろうか?
『土曜は学校に来られそう?』
『土曜は朝の新幹線で東京に行く予定』
日曜日には、もうオーディションなのだ。
顔を見て「頑張って」と伝える機会を逃してしまったようだ。
『とにかく、今日と明日は安静にして』
迷った挙句、そう伝えることしか出来なかった。
施錠していない窓が、外から開けられ、カーテンが風で膨らむ。
待ち望んでいたユウヒが来てくれたと、俺はベッドから下り、彼を迎えいれようとする。
しかし、ユウヒはいつものように、身軽に部屋へ侵入してこなかった。
どうしたのかと窓の向こうを見ると、泣きそうな顔をして手招きしている。
「な・に?」
口の動きでそう伝えると、内緒話をするように耳を貸せと、ジェスチャーで訴えてくる。
耳を窓の外に向ければ、涙声のユウヒが小さな声で俺に言った。
「今、塀を乗り越えたとき、着地に失敗して足をひねったかも……」
オーディションまではあと四日。俺の頭も真っ白になる。
とにかく無理はさせられない。
窓を越えて部屋に入ってくるのは無理だろうと、彼に防災備蓄庫へ行くよう指示をする。
そして俺も、毛布や、患部を冷やすために濡らしたタオルを持ち、窓から外へ出て、部屋履きで備蓄庫へ向かう。
またオバケ騒動が巻き起こってもいい。
それより今はユウヒの足だ。
小声で彼に問うた。
「折れてないよな?」
「うん、大丈夫。軽い捻挫だと思う」
濡れたタオルを足に当てると、冷たかったようで、ユウヒがブルっと震える。
「ここ、寒いよな。今、羽織れるもの持ってくるから」
「ごめんね、ハヤセ。迷惑かけて、本当にごめん」
俺は首を横に振り、自分の部屋と備蓄庫を何往復かして、できるだけユウヒに快適な空間を作り上げた。
「朝になったら絶対に整形外科に行って、診てもらったほうがいい」
「うん……」
備蓄庫の扉をしっかりと閉めて、真っ暗い闇の中、俺とユウヒは一枚の毛布に包まった。
互いの体温は、毛布の中を温め、寒さを感じずに済んでいる。
俺たちは身を寄せ合い、ユウヒが痛みから気を逸らせられるよう、小さな声でぼそぼそと会話する。
「僕も寮生になって、伝統の夜会に行ってみたかったなー」
「俺だって、ユウヒに上手い料理を食べさせてやりたかった。今年はイタリアンなんだ」
「いいなー。デザートもあるの?」
「あるある、たっぷり。土産としてバームクーヘンも渡される」
「バームクーヘンはイタリア関係ないじゃん。ドイツだよ。でも、うらやましいな。ハヤセ、招待する女の子は、決まってるの?」
「あぁ、そうだった……。どうしよ」
「駅前で、招待状欲しい人いませんかーって叫んだら、すぐ決まるよ。ハヤセ格好良いし」
「やだよ、そんなの」
「寮長はとびきり美人を連れて行くものなんでしょ?」
「その噂、本当なのかな。参ったなあ……」
話すことはいくらでもあって、途切れない。
「ユウヒはいつから一人暮らし?」
「高校入学のときから。俺も一緒に海外へ行くって話もあったんだけど、始めたばっかりだったダンスを続けたかったし。海外で習う度胸もなかったから」
「そっか。あの距離に実家があると、寮には入れないの?」
「どうだろ。でも嫌だったんだよね。誰か知らない人と一緒の部屋なんて」
「分かる」
「だろ。でも、ハヤセと二人部屋ならいいな。楽しそう」
「三年から寮に入ればいいのに」
「そんなこと、できるの?」
「知らない」
「無責任だなー」
会話は取り留めもなく、あちこちに飛ぶ。
「オーディションの二次審査って、受かったらどうなるの?」
「三次審査があって、それから最終審査」
「先は長いんだ」
「そう。一次は動画審査だったから、審査員の前で踊るのは今度が初めて。絶対緊張しちゃう」
「最終審査で受かったら、テレビの歌番組に出たりする?」
「どうなんだろ?でも大きい事務所のオーディションだし、最終審査は密着ドキュメンタリーとか作られるんじゃない?」
「すごい。俺、絶対見る」
「あのさー、ハヤセ。僕の目標はとりあえず二次審査突破することだよ。それだってめっちゃ難関」
「でも、ユウヒならダンスも上手いし、キラキラしてるし受かるに決まってる」
「いやいや。オーディション会場に行ったら、バケモンみたいに上手い人が、ゴロゴロいるんだって」
いつの間にか二人ともウトウトしていたようだ。
身体を寄せ合って、手を繋いで眠っていた。
スマホのアラームが鳴り、俺たちは暗闇の中で、朝が来たことを知る。
いつもは早朝に出て行くとき、この塀を乗り越えているユウヒ。
今日はとても無理だろう。
悩んだ俺は、竹田に助けを求めることにした。
食堂へ向かう途中の竹田を捕まえ、連行するように備蓄庫へ連れていく。
「あらあら。どういう状況?」
彼は毛布に包まったユウヒを見て呆れたような顔をしたが「で、俺はどうすればいいの?」と言ってくれる。
「わからない。どうしたらいいだろう?竹田」
身振り手振りで、彼が足を怪我したことを伝え、塀を乗り越えられないのだと話す。
「冷静沈着な寮長ハヤセも、だいぶ焦ってるね。落ち着いて。塀は越えなくてもいいんだよ。ここは学園内なんだから。もう少ししたら登校時間になる。そしたらその自宅生は忘れ物でもしたフリをして、堂々と正門から出て行けばいい」
「あぁ、そうか」
「そうだよ。事情はよく分からないけれど、その男を守りたいんでしょ?だったら冷静になって。このままこうして備蓄庫の前で喋ってるのは、よくない。彼を残して、俺たちは朝食に行ったほうがいい」
「でも……」
「ハヤセ、僕は大丈夫だから」
ユウヒは、毛布に包まったまま精一杯の笑顔を作ってくれた。
結局、登校する者の波に逆らって、ユウヒはごくさり気なく正門から出て行くことに成功した。
その後ろ姿は、足を少し引きずっている。
昼になっても彼は学園に戻らず、メッセージだけが送られてきた。
『足は大丈夫。今日と明日は学校もレッスンも休むことにした。いい休養になったよ』
大丈夫って……。
本当だろうか?
『土曜は学校に来られそう?』
『土曜は朝の新幹線で東京に行く予定』
日曜日には、もうオーディションなのだ。
顔を見て「頑張って」と伝える機会を逃してしまったようだ。
『とにかく、今日と明日は安静にして』
迷った挙句、そう伝えることしか出来なかった。



