月、水、金と変わらずユウヒは、赤いレンガの塀を乗り越え、寮に忍び込んできた。
どうやら寮父が警備を強化した様子はない。
他寮で怪我をする者が出て、大事になったからこそ、もう真似をする馬鹿はいないという判断だろう。
だからユウヒは、今までと変わりなく真夜中にやってこれた。
そして、俺のことをベッドの中で抱きしめ、オーディションへの不安を取り除くかのように、縋るように安眠を得ていた。
二つの体温が混ざりあって、短くても穏やかな夜が過ぎていく。
そして、スマホだけじゃなくユウヒ自身も充電が完了したかのように、早朝に朝の自主練へと出掛けていくのだ。
もちろん、俺にだって充電されている自覚を得ていた。
そんな日々と並行し、俺の夜会の準備も順調に進んでいた。
全体打ち合わせで、各持ち場の進行状況を確認しても、どこかに躓きがあるようには思えない。
各自が責任感を持って、取り組んでくれていて、報連相もできている。
銀色の招待状は、すでに各寮生の手に配られた。
もう女子高生に渡した者も多数いるようで、寮内は浮足立った空気が漂っている。
当日は檜垣寮の入口で、プロの警備員がタキシード姿になり招待状のチェックをしてくれる。
会場となる食堂は、臙脂色をベースに落ち着いた色合いでテーブルセッティングをすることになった。
テーブルに飾るフラワーアレンジメントは、臙脂に映えるよう淡い黄色が選ばれた。
会場ではプロのピアニストが演奏をし、皆を迎え入れる。
食事は、イタリアンを中心としたメニューで、フルーツを使ったデザートを多めに用意してもらうようシェフに依頼した。
ステージの出し物としては、プロのマジシャンを三組、ゲストでお呼びする。
招待客が帰るときに渡す土産は、小振りなバームクーヘンと一輪の赤い薔薇。
とにかく、招待されやってくる女子が喜んでくれるように、と皆が計画を練ってくれた。
その年その年で雰囲気が大きく変わるのが夜会だが、今年は少し気障なくらい、シックな会となりそうだ。
—
次の月曜日。
真夜中にやってきたユウヒは、酷く疲れた顔をしていた。
ダンスのことなど何も分からない俺が、「少し休んだら?」と口にしてしまったくらいに疲弊していた。
「ありがと。うん、そうだよな、分かってるんだ。でもさ、練習しないでいるのってすごい不安でさ。身体を動かさずにはいられなくて」
確かにそうだろう。
夜会は、スタッフ皆で力を合わせアイデアを出し合い、準備を進めることができている。
でもユウヒはたった一人で、人生をかけたオーディションという目標に向けて、闘っているのだから。
「ちょっとトイレ」
今までも、何度か彼が寮の共有トイレを使うことはあった。
慎重にドアを開け、キョロキョロしてから廊下に出て、ささっと行って、ささっと戻ってくる。
そもそも真夜中だから、今まで誰かと出くわしてしまうことは、なかった。
しかし。
一人でトイレに行ったユウヒは、なぜか二人で戻ってきた……。
「竹田……」
そこにいたのは、俺が夜会準備スタッフの中で、最も信頼している男、補佐の竹田だった。
「ハヤセ、こいつ誰?トイレで出くわして、本気でびっくりしたんだけど。問い詰めたら、ハヤセに借した漫画をどうしても今日中に返してほしくて、忍び込んだとか言っててさ。ハヤセ漫画読まないよな?」
「あー。この男を見たのって、竹田だけ?」
「まぁ、そうだけど。こいつが着てるTシャツとジャージ、ハヤセのだろ?ていうか、こんなアイドルみたいな顔した男、俺たちの同級生にいたか?」
「あのさ、竹田。彼はA組の葉月ユウヒ。自宅生で帰宅部だから、俺たちとは接点が薄いんだ。これには事情があって。……頼む。どうか見逃してくれ」
俺は深々と頭を下げる。
「え?」
「お願いだ。見なかったことにしてほしい」
俺の横でユウヒもペコリと頭を下げた。
しばらく沈黙ののち、クククっと竹田は笑いだした。
「なんか今さ、ハヤセも人間だったんだなって思ったよ。完璧すぎる寮長だと思ってたけど、ちゃんと男子高校生らしい無鉄砲とこもあったんだって、むしろ安心した」
「安心?」
「全く隙が見えなかったからさ。夜会の準備だって、本当は一人で全部できたんじゃないかって感じてて」
「そんなことない。皆のお陰で順調なだけだ」
「必死なハヤセも新鮮でいいね。じゃ、変な夢を見たってことにしとくよ」
竹田はそう言って大欠伸をし、ひらひらと手を振り、自室へと戻っていった。
少しずつ、綻びが出始めている。
そう感じた。
でもあと少し。
ユウヒが泊まるのは、残り水曜日と金曜日の二回だけ。
こんな風にユウヒと過ごせる夜を、俺は、どうしても守りたかった。
—
俺は、本当に愚かだ。
どうしようもない馬鹿だ。
ユウヒが真夜中に学園の赤いレンガの塀を乗り越え部屋にやってくることを、俺自身の、寮長としてのリスクだと捉えていたのだから。
だからユウヒにも「バレないように気を付けてほしい」と伝えたし、一昨日、竹田にバレたときも、とにかく頭を下げ、大事にしないよう対処した。
でも、大切なことは、そこじゃなかったんだ……。
ユウヒには「寮に来ないで、ネットカフェに泊まったほうがいい」と伝えるべきだった。
練習のしすぎで疲れていると知っていたのだから、尚更だ。
だけど。
ユウヒに会いたかったんだ。
一緒にベッドに入って、体温を分け合って眠りたかった。
結局俺は、自分のことばかりで、ユウヒのことを少しも慮ってやれてなかった。
そのことに気が付くのが、致命的に遅かったのだ。
どうやら寮父が警備を強化した様子はない。
他寮で怪我をする者が出て、大事になったからこそ、もう真似をする馬鹿はいないという判断だろう。
だからユウヒは、今までと変わりなく真夜中にやってこれた。
そして、俺のことをベッドの中で抱きしめ、オーディションへの不安を取り除くかのように、縋るように安眠を得ていた。
二つの体温が混ざりあって、短くても穏やかな夜が過ぎていく。
そして、スマホだけじゃなくユウヒ自身も充電が完了したかのように、早朝に朝の自主練へと出掛けていくのだ。
もちろん、俺にだって充電されている自覚を得ていた。
そんな日々と並行し、俺の夜会の準備も順調に進んでいた。
全体打ち合わせで、各持ち場の進行状況を確認しても、どこかに躓きがあるようには思えない。
各自が責任感を持って、取り組んでくれていて、報連相もできている。
銀色の招待状は、すでに各寮生の手に配られた。
もう女子高生に渡した者も多数いるようで、寮内は浮足立った空気が漂っている。
当日は檜垣寮の入口で、プロの警備員がタキシード姿になり招待状のチェックをしてくれる。
会場となる食堂は、臙脂色をベースに落ち着いた色合いでテーブルセッティングをすることになった。
テーブルに飾るフラワーアレンジメントは、臙脂に映えるよう淡い黄色が選ばれた。
会場ではプロのピアニストが演奏をし、皆を迎え入れる。
食事は、イタリアンを中心としたメニューで、フルーツを使ったデザートを多めに用意してもらうようシェフに依頼した。
ステージの出し物としては、プロのマジシャンを三組、ゲストでお呼びする。
招待客が帰るときに渡す土産は、小振りなバームクーヘンと一輪の赤い薔薇。
とにかく、招待されやってくる女子が喜んでくれるように、と皆が計画を練ってくれた。
その年その年で雰囲気が大きく変わるのが夜会だが、今年は少し気障なくらい、シックな会となりそうだ。
—
次の月曜日。
真夜中にやってきたユウヒは、酷く疲れた顔をしていた。
ダンスのことなど何も分からない俺が、「少し休んだら?」と口にしてしまったくらいに疲弊していた。
「ありがと。うん、そうだよな、分かってるんだ。でもさ、練習しないでいるのってすごい不安でさ。身体を動かさずにはいられなくて」
確かにそうだろう。
夜会は、スタッフ皆で力を合わせアイデアを出し合い、準備を進めることができている。
でもユウヒはたった一人で、人生をかけたオーディションという目標に向けて、闘っているのだから。
「ちょっとトイレ」
今までも、何度か彼が寮の共有トイレを使うことはあった。
慎重にドアを開け、キョロキョロしてから廊下に出て、ささっと行って、ささっと戻ってくる。
そもそも真夜中だから、今まで誰かと出くわしてしまうことは、なかった。
しかし。
一人でトイレに行ったユウヒは、なぜか二人で戻ってきた……。
「竹田……」
そこにいたのは、俺が夜会準備スタッフの中で、最も信頼している男、補佐の竹田だった。
「ハヤセ、こいつ誰?トイレで出くわして、本気でびっくりしたんだけど。問い詰めたら、ハヤセに借した漫画をどうしても今日中に返してほしくて、忍び込んだとか言っててさ。ハヤセ漫画読まないよな?」
「あー。この男を見たのって、竹田だけ?」
「まぁ、そうだけど。こいつが着てるTシャツとジャージ、ハヤセのだろ?ていうか、こんなアイドルみたいな顔した男、俺たちの同級生にいたか?」
「あのさ、竹田。彼はA組の葉月ユウヒ。自宅生で帰宅部だから、俺たちとは接点が薄いんだ。これには事情があって。……頼む。どうか見逃してくれ」
俺は深々と頭を下げる。
「え?」
「お願いだ。見なかったことにしてほしい」
俺の横でユウヒもペコリと頭を下げた。
しばらく沈黙ののち、クククっと竹田は笑いだした。
「なんか今さ、ハヤセも人間だったんだなって思ったよ。完璧すぎる寮長だと思ってたけど、ちゃんと男子高校生らしい無鉄砲とこもあったんだって、むしろ安心した」
「安心?」
「全く隙が見えなかったからさ。夜会の準備だって、本当は一人で全部できたんじゃないかって感じてて」
「そんなことない。皆のお陰で順調なだけだ」
「必死なハヤセも新鮮でいいね。じゃ、変な夢を見たってことにしとくよ」
竹田はそう言って大欠伸をし、ひらひらと手を振り、自室へと戻っていった。
少しずつ、綻びが出始めている。
そう感じた。
でもあと少し。
ユウヒが泊まるのは、残り水曜日と金曜日の二回だけ。
こんな風にユウヒと過ごせる夜を、俺は、どうしても守りたかった。
—
俺は、本当に愚かだ。
どうしようもない馬鹿だ。
ユウヒが真夜中に学園の赤いレンガの塀を乗り越え部屋にやってくることを、俺自身の、寮長としてのリスクだと捉えていたのだから。
だからユウヒにも「バレないように気を付けてほしい」と伝えたし、一昨日、竹田にバレたときも、とにかく頭を下げ、大事にしないよう対処した。
でも、大切なことは、そこじゃなかったんだ……。
ユウヒには「寮に来ないで、ネットカフェに泊まったほうがいい」と伝えるべきだった。
練習のしすぎで疲れていると知っていたのだから、尚更だ。
だけど。
ユウヒに会いたかったんだ。
一緒にベッドに入って、体温を分け合って眠りたかった。
結局俺は、自分のことばかりで、ユウヒのことを少しも慮ってやれてなかった。
そのことに気が付くのが、致命的に遅かったのだ。



