ユウヒと会話していると、物事が思わぬ方向に転がることが、ままある。
今もまさにそういう状況で、俺は彼と並んで座り、路線バスに揺られていた。
「ねぇ、さっきから気になってるんだけど、それなに?」
俺が膝の上で抱えている洒落た紙袋を、ユウヒが指さす。
「フィナンシェ。手土産が必要なんじゃないかと思って。待ち合わせの前に、駅前の洋菓子屋で買った。和菓子のほうがよかったか?」
「手土産?えっと、僕にくれるの?」
「ご家族に、と思って。俺、友達の家なんて訪ねた経験がないから分からないんだけど、こういうときは何か持参するものだろ?」
「そうなの?」
「いや、分かんない。でも、夜会スタッフで俺の補佐をしてくれてる竹田に聞いたら、菓子折りを持っていったほうがいいって。……だけどあいつ、もしかして俺が女の子の家にでも、行くと思ったのかな?」
路線バスは駅前から、山の方に向かって走っている。
乗客は少なく、俺たち二人と、数名だけだ。
窓の外は暗く、どの辺りを走っているのか、地元ではない俺には少しも見当がつかない。
「あれ?言ってなかったっけ。うち、父親も母親も、妹も弟も、海外。父の赴任先で暮らしてる。僕、一人暮らし」
「へ?そうなの?」
「うん。そうだよ」
俺は、急に肩の力が抜けた。
友達の家を訪ねるなんて初めてだったから、それなりに緊張していたのかもしれない。
そもそも、どうしてこうなったかと言えば、俺がユウヒに「ゆっくり話がしたい」と持ち掛けたからだ。
俺としては、今日は土曜日で昼で授業が終わるから「一緒にランチでも」というつもりだったのに。
ユウヒからの返事は違った。
「じゃあさ、今夜、僕んちに泊まりにおいでよ。土曜は大人クラスが多くて、レッスンは夕方で終わっちゃうんだ。な?いいだろ?」
この話をしたのは二限目の休み時間。
目の前にいたのは、寝て起きたばっかりみたいなOFFのユウヒだったけれど、名案だというように、メガネの奥を輝かせていた。
迷っているうちに三限目の開始を知らせるチャイムが鳴り「じゃあ十九時に郵便局で!」と待ち合わせ場所まで決まってしまう。
俺は昼過ぎに寮に戻って、慌てて外泊届を提出し、今、こうしてバスに揺られている。
一年に三回だけ許される外泊の権利を、今まで使う機会もなく過ごしていたことが、功を奏したわけだ。
三十分ほどバスに揺られたところで、ユウヒが降車ボタンを押す。
新興住宅地と思われる住宅街でバスは停まった。
「バス停から五分くらい歩くんだ」
バス通りから右に伸びる上り坂を進み、まだ新しそうな一軒家の前で、ユウヒが「ここ」と玄関を指した。
「自転車で帰ってくると、最後のこの上り坂がきついんだよねー」
そんなことを言いながら、鍵を開け「どうぞ」と俺を招き入れてくれた。
彼が、こんな大きな家で一人暮らしをしているとは、少しも想像しなかった。
家の中はちゃんと生活感があるが、充分に片付いている。
キッチンから続くリビングには着替えや日用品が、きちんと並べられていた。
隣の部屋には、布団が畳んであり、その奥には洗濯物が室内干しされている。
リビングのテーブルやソファが、部屋の端に偏って配置されているのは、このフローリングで、ダンスの練習をするためなのだろう。
大きな姿見鏡も、ダンス用なのかもしれない。
「僕の部屋は二階にあるんだけど、面倒くさくてほぼ一階で暮らしてるんだよね。そこのソファに座ってて。ご飯作るよ」
「ユウヒが?作ってくれるのか?」
「母親がさ、ミールキットって言うの?材料が全部セットになって届く宅配を手配してくれてて、定期的に届くんだよ。だから家に帰る日は自炊しないと、溜まっちゃうんだ」
彼は慣れた手つきで、壁に掛けてあったエプロンを制服の上に纏い、料理を始めた。
俺はさっきから、ただただ驚いている。
この数分で、ユウヒという男の解像度が急に上がって戸惑っている。
一人で一軒家で暮らすことは、寮で暮らすより、ずっと労力を使うだろう。
ダンスだってあんなに頑張っているのに……。
彼がキッチンに立つ後ろ姿を、俺は尊敬の目で見つめた。
すぐにいい匂いがしてきて、テーブルに回鍋肉が並んだ。
「二人前あるのがこれだけだったから」
「すごい、美味そう」
「美味いよ。味付けも付属の調味料を入れるだけだから、失敗しないし。ライスは冷凍してあるのをすぐチンするね」
俺だって料理はする。
中学生の頃の弁当も自分で作っていた。
でも、ユウヒの手際の良さには惚れ惚れしてしまう。
いや、たぶん俺はユウヒのことを舐めていたんだ。
ダンスしかしていないのだと、思い込んでいた。
俺の部屋に泊まらない日は、自宅に帰って用意された食事を食べ、用意された風呂に入り、洗濯も出しておけば畳んで部屋に置かれているような、夢みたいな生活をしていると思っていた。
甘えた男だと見くびっていた。
「すごいな、ユウヒは……」
思わずそう口にしたけれど、彼は「何が?」という顔をして、回鍋肉のピーマンを、せっせと俺の皿に移動させる。
その姿は、俺の知っているユウヒだったから、思わず微笑んでしまった。
夕食は、テレビのバラエティ番組を見ながら食べた。
ユウヒはゲラゲラ笑いながら、テレビをあまり見ない俺に、芸人さんの解説をしてくれるが、彼だって詳しくはないようだ。
回鍋肉は美味しく、ユウヒは追加でご飯を解凍してくれ、それを二人で分け合って食べた。
食後には「俺が皿を洗うよ」と申し出てみたが、「いいのいいの」とユウヒが手慣れた様子で食洗器に入れていく。
「コーヒー飲むでしょ」
「あっ、うん。ありがとう」
テレビは知らないドラマが始まったので、ユウヒが消してしまった。
急に静かになったリビングには、コーヒーを淹れるコポコポという音だけが聞こえている。
ユウヒは俺に貸してくれるという着替えを取りに、二階へ上がっていった。
その隙に、改めて部屋を見渡す。
ここがユウヒが生活している場所。
俺の知らない彼が詰まっている場所。
テレビ横には、ガチャガチャで取ったのだろう変な顔をした熊のフィギュアが並べられている。
家族写真だと思われる写真立ての前には、少年漫画が積み上げられていた。
意外と甘いものが好きなのか、お菓子の買い置きも目に留まる。
ふと思った。
ここに女の子が遊びにくるようなことは、あるのだろうか。
俺を誘ったように、軽い感じでダンススクールの女の子を招き入れたりするのだろうか……。
今もまさにそういう状況で、俺は彼と並んで座り、路線バスに揺られていた。
「ねぇ、さっきから気になってるんだけど、それなに?」
俺が膝の上で抱えている洒落た紙袋を、ユウヒが指さす。
「フィナンシェ。手土産が必要なんじゃないかと思って。待ち合わせの前に、駅前の洋菓子屋で買った。和菓子のほうがよかったか?」
「手土産?えっと、僕にくれるの?」
「ご家族に、と思って。俺、友達の家なんて訪ねた経験がないから分からないんだけど、こういうときは何か持参するものだろ?」
「そうなの?」
「いや、分かんない。でも、夜会スタッフで俺の補佐をしてくれてる竹田に聞いたら、菓子折りを持っていったほうがいいって。……だけどあいつ、もしかして俺が女の子の家にでも、行くと思ったのかな?」
路線バスは駅前から、山の方に向かって走っている。
乗客は少なく、俺たち二人と、数名だけだ。
窓の外は暗く、どの辺りを走っているのか、地元ではない俺には少しも見当がつかない。
「あれ?言ってなかったっけ。うち、父親も母親も、妹も弟も、海外。父の赴任先で暮らしてる。僕、一人暮らし」
「へ?そうなの?」
「うん。そうだよ」
俺は、急に肩の力が抜けた。
友達の家を訪ねるなんて初めてだったから、それなりに緊張していたのかもしれない。
そもそも、どうしてこうなったかと言えば、俺がユウヒに「ゆっくり話がしたい」と持ち掛けたからだ。
俺としては、今日は土曜日で昼で授業が終わるから「一緒にランチでも」というつもりだったのに。
ユウヒからの返事は違った。
「じゃあさ、今夜、僕んちに泊まりにおいでよ。土曜は大人クラスが多くて、レッスンは夕方で終わっちゃうんだ。な?いいだろ?」
この話をしたのは二限目の休み時間。
目の前にいたのは、寝て起きたばっかりみたいなOFFのユウヒだったけれど、名案だというように、メガネの奥を輝かせていた。
迷っているうちに三限目の開始を知らせるチャイムが鳴り「じゃあ十九時に郵便局で!」と待ち合わせ場所まで決まってしまう。
俺は昼過ぎに寮に戻って、慌てて外泊届を提出し、今、こうしてバスに揺られている。
一年に三回だけ許される外泊の権利を、今まで使う機会もなく過ごしていたことが、功を奏したわけだ。
三十分ほどバスに揺られたところで、ユウヒが降車ボタンを押す。
新興住宅地と思われる住宅街でバスは停まった。
「バス停から五分くらい歩くんだ」
バス通りから右に伸びる上り坂を進み、まだ新しそうな一軒家の前で、ユウヒが「ここ」と玄関を指した。
「自転車で帰ってくると、最後のこの上り坂がきついんだよねー」
そんなことを言いながら、鍵を開け「どうぞ」と俺を招き入れてくれた。
彼が、こんな大きな家で一人暮らしをしているとは、少しも想像しなかった。
家の中はちゃんと生活感があるが、充分に片付いている。
キッチンから続くリビングには着替えや日用品が、きちんと並べられていた。
隣の部屋には、布団が畳んであり、その奥には洗濯物が室内干しされている。
リビングのテーブルやソファが、部屋の端に偏って配置されているのは、このフローリングで、ダンスの練習をするためなのだろう。
大きな姿見鏡も、ダンス用なのかもしれない。
「僕の部屋は二階にあるんだけど、面倒くさくてほぼ一階で暮らしてるんだよね。そこのソファに座ってて。ご飯作るよ」
「ユウヒが?作ってくれるのか?」
「母親がさ、ミールキットって言うの?材料が全部セットになって届く宅配を手配してくれてて、定期的に届くんだよ。だから家に帰る日は自炊しないと、溜まっちゃうんだ」
彼は慣れた手つきで、壁に掛けてあったエプロンを制服の上に纏い、料理を始めた。
俺はさっきから、ただただ驚いている。
この数分で、ユウヒという男の解像度が急に上がって戸惑っている。
一人で一軒家で暮らすことは、寮で暮らすより、ずっと労力を使うだろう。
ダンスだってあんなに頑張っているのに……。
彼がキッチンに立つ後ろ姿を、俺は尊敬の目で見つめた。
すぐにいい匂いがしてきて、テーブルに回鍋肉が並んだ。
「二人前あるのがこれだけだったから」
「すごい、美味そう」
「美味いよ。味付けも付属の調味料を入れるだけだから、失敗しないし。ライスは冷凍してあるのをすぐチンするね」
俺だって料理はする。
中学生の頃の弁当も自分で作っていた。
でも、ユウヒの手際の良さには惚れ惚れしてしまう。
いや、たぶん俺はユウヒのことを舐めていたんだ。
ダンスしかしていないのだと、思い込んでいた。
俺の部屋に泊まらない日は、自宅に帰って用意された食事を食べ、用意された風呂に入り、洗濯も出しておけば畳んで部屋に置かれているような、夢みたいな生活をしていると思っていた。
甘えた男だと見くびっていた。
「すごいな、ユウヒは……」
思わずそう口にしたけれど、彼は「何が?」という顔をして、回鍋肉のピーマンを、せっせと俺の皿に移動させる。
その姿は、俺の知っているユウヒだったから、思わず微笑んでしまった。
夕食は、テレビのバラエティ番組を見ながら食べた。
ユウヒはゲラゲラ笑いながら、テレビをあまり見ない俺に、芸人さんの解説をしてくれるが、彼だって詳しくはないようだ。
回鍋肉は美味しく、ユウヒは追加でご飯を解凍してくれ、それを二人で分け合って食べた。
食後には「俺が皿を洗うよ」と申し出てみたが、「いいのいいの」とユウヒが手慣れた様子で食洗器に入れていく。
「コーヒー飲むでしょ」
「あっ、うん。ありがとう」
テレビは知らないドラマが始まったので、ユウヒが消してしまった。
急に静かになったリビングには、コーヒーを淹れるコポコポという音だけが聞こえている。
ユウヒは俺に貸してくれるという着替えを取りに、二階へ上がっていった。
その隙に、改めて部屋を見渡す。
ここがユウヒが生活している場所。
俺の知らない彼が詰まっている場所。
テレビ横には、ガチャガチャで取ったのだろう変な顔をした熊のフィギュアが並べられている。
家族写真だと思われる写真立ての前には、少年漫画が積み上げられていた。
意外と甘いものが好きなのか、お菓子の買い置きも目に留まる。
ふと思った。
ここに女の子が遊びにくるようなことは、あるのだろうか。
俺を誘ったように、軽い感じでダンススクールの女の子を招き入れたりするのだろうか……。



