夏を引きずっていた十月から十一月になった途端、夜は寒さを感じるようになった。
俺がユウヒに貸す寝具も、タオルケットから毛布へと変わる。
この毛布は、寮父に無理を言って貸し出してもらったものだ。
予備にもう一枚借りたいと申し出たとき、当然ながら寮父は不思議そうな顔をした。
タオルケットは、各自が洗濯をするので二枚ずつ配られていたが、この寮に毛布が洗濯できるランドリーは無い。
俺は余計な言い訳を口にせず、「寒いのでお借りしたい」の一言で押し切ったが、それでも貸してもらえたのは、日頃の行いが良いお陰だろう。
そんな寮長としての評価を落とすかもしれない橋を、俺は今、渡っているのだ。
しかし、ユウヒのオーディションまでは残り三週間。
なんとかこのままバレずに彼の安眠を確保してやりたい。
そんな中、ある事件が俺の耳に飛び込んできた。
それは十一月最初の金曜日のことだった。
食堂での朝食のとき、耳が早い者が既にその噂を檜垣寮に持ち込んでいた。
「おい、ハヤセ。聞いたか?」
「なにを?」
俺はクロワッサンを口に放り込みながら、聞き返す。
「夜中に学園の塀を乗り越えて、足を骨折した奴がいるらしいぞ」
「え?」
当然、俺の頭にはユウヒのことがよぎり、クロワッサンを喉に詰まらせそうになる。
いや、彼は昨晩は自宅へ帰ったはずだ。
俺の部屋へは来ていない。
「な、何年生だ?」
「二年。籠目寮の奴らしいから、西側の塀だろうな」
籠目寮……。
俺はそれを聞いて胸を撫で下ろし、リンゴジュースでクロワッサンを流し込む。
「それで?どういう状況だったんだ」
「まだ噂だけどな。夜会の招待状欲しさに近寄ってきた子と、付き合い始めたらしくて、夜中に学園を抜け出したらしい」
「そのとき、塀から落ちたのか?」
「いや、浮かれて帰宅したタイミングらしい。塀の下で蹲って、同室のやつに電話で助けを求めたらしいぞ。恥ずかしいよなー。もっと上手くやれって話だよ」
放課後には、三つの寮の寮長が緊急召集され「学園の赤いレンガの塀を乗り越えて出入りするなど、もっての外だ」と寮生皆に伝達するよう言い渡された。
骨折者を出した籠目寮の寮長は、特に厳しく注意を受け「寮の浮ついた空気を察するのも寮長の仕事だ」などと言われている。
夕食のタイミングで、檜垣寮の寮生に寮長として注意喚起したけれど、この中で最も罪に近いのは、間違いなく俺だろう……。
『今夜泊まりに行く』
部屋へ戻った途端に届いたメッセージに、俺はすぐ返信をする。
『寮でちょっとした事件があって、今夜はやめといたほうがいいかも。ごめん』
すぐに既読になったけれど、ユウヒからは中々返信メッセージが届かない。
しばらくして、ピコンと通知がきた。
『それなら大丈夫。今日はネットカフェに泊まるから』
これからもネットカフェに泊まればいいのに、とは少しも思えない。
ユウヒには、この一人部屋に忍び込んできてほしい。
ここに泊まってほしい。
一緒のベッドで眠りたい。
そんな自分の甘えた感情をハッキリと自覚してしまったのは、ユウヒのオーディションまで残り十六日。
夜会まで残り十七日のことだった。
—
翌日の土曜日。
俺は朝の正門でユウヒを待ち伏せる。
俺の部屋に泊まるときには、郵便局近くの駐輪場に留めているという自転車で、ビューっと門を通り抜けた彼の背中に「ユウヒ!」と声をかけた。
「あっ、おはよう!ハヤセ」
自転車から下りたOFFなメガネ姿のユウヒは酷く眠そうで、目の下には隈があった。
「昨日はごめん」
「いや、全然大丈夫」
「ネットカフェ、あんまり眠れなかった?」
「うーん。たぶんハヤセの部屋が快適すぎるんだよね。僕さ、ハヤセのベッドだとぐっすり眠れるから」
ベッド……って言っちゃってるし、ユウヒ……。
「寮で事件って大丈夫だったの?」
「あっ、うん。まぁ、問題ない」
「そう。じゃ、月曜日はまた泊まってもいい?」
「もちろん」
「やったー!」
学園の駐輪場には人の気配がないとはいえ、そんな風に抱き着いてきたら俺の顔が赤くなってしまうじゃないか。
俺は自分の愚かさを思い知っている。
二カ月もの間、真夜中に塀を乗り越え忍び込んでくる自宅生を、週に三回も部屋に泊めていることがもしもバレたら、寮長はクビだろう。
そしたら来年度、功労賞として与えられるはずの一人部屋も、ダメになるはずだ。
それでも、あと二週間。
残りたった六回。
ユウヒを部屋に泊めてやりたい。
リスクを冒してでも、彼をサポートしたかったし、甘い時間を味わいたかった。
「ハヤセ先輩!」
駐輪場から校舎へ続く渡り廊下で、檜垣寮の一年生二人に声を掛けられた。
「先輩、夜会当日のテーブルに飾る花なんですけど、ご相談したくて」
気を利かせたユウヒが、小さな声で「じゃあね」と手を振って、校舎に向かって走り去っていく。
「花屋さんから、淡い黄色系と赤茶系の二パターン、アレンジ花の提案を受けたんですけど」
クリアファイルから書類を出して、プリントした画像を広げて見せられた。
「どちらがいいと思いますか?」
「君たちはどう思うの?」
「決め手に欠けるというか、どういう基準で選んでいいのか分からなくて」
「装飾担当に相談してごらん。テーブルクロスの色や、飾り付けの雰囲気と合わせほうがいいと思うよ」
「そっか、はい!」
「ありがとうございました」
夜会の準備だって大詰めだ。
今、ユウヒのことがバレたら、俺の一人部屋が取り消しになるだけじゃ済まないかもしれない。
皆が一生懸命準備している夜会に、泥を塗るがないようにしなければ……。
一度ユウヒと、ゆっくり話し合ってみることが必要かもしれない。
俺がユウヒに貸す寝具も、タオルケットから毛布へと変わる。
この毛布は、寮父に無理を言って貸し出してもらったものだ。
予備にもう一枚借りたいと申し出たとき、当然ながら寮父は不思議そうな顔をした。
タオルケットは、各自が洗濯をするので二枚ずつ配られていたが、この寮に毛布が洗濯できるランドリーは無い。
俺は余計な言い訳を口にせず、「寒いのでお借りしたい」の一言で押し切ったが、それでも貸してもらえたのは、日頃の行いが良いお陰だろう。
そんな寮長としての評価を落とすかもしれない橋を、俺は今、渡っているのだ。
しかし、ユウヒのオーディションまでは残り三週間。
なんとかこのままバレずに彼の安眠を確保してやりたい。
そんな中、ある事件が俺の耳に飛び込んできた。
それは十一月最初の金曜日のことだった。
食堂での朝食のとき、耳が早い者が既にその噂を檜垣寮に持ち込んでいた。
「おい、ハヤセ。聞いたか?」
「なにを?」
俺はクロワッサンを口に放り込みながら、聞き返す。
「夜中に学園の塀を乗り越えて、足を骨折した奴がいるらしいぞ」
「え?」
当然、俺の頭にはユウヒのことがよぎり、クロワッサンを喉に詰まらせそうになる。
いや、彼は昨晩は自宅へ帰ったはずだ。
俺の部屋へは来ていない。
「な、何年生だ?」
「二年。籠目寮の奴らしいから、西側の塀だろうな」
籠目寮……。
俺はそれを聞いて胸を撫で下ろし、リンゴジュースでクロワッサンを流し込む。
「それで?どういう状況だったんだ」
「まだ噂だけどな。夜会の招待状欲しさに近寄ってきた子と、付き合い始めたらしくて、夜中に学園を抜け出したらしい」
「そのとき、塀から落ちたのか?」
「いや、浮かれて帰宅したタイミングらしい。塀の下で蹲って、同室のやつに電話で助けを求めたらしいぞ。恥ずかしいよなー。もっと上手くやれって話だよ」
放課後には、三つの寮の寮長が緊急召集され「学園の赤いレンガの塀を乗り越えて出入りするなど、もっての外だ」と寮生皆に伝達するよう言い渡された。
骨折者を出した籠目寮の寮長は、特に厳しく注意を受け「寮の浮ついた空気を察するのも寮長の仕事だ」などと言われている。
夕食のタイミングで、檜垣寮の寮生に寮長として注意喚起したけれど、この中で最も罪に近いのは、間違いなく俺だろう……。
『今夜泊まりに行く』
部屋へ戻った途端に届いたメッセージに、俺はすぐ返信をする。
『寮でちょっとした事件があって、今夜はやめといたほうがいいかも。ごめん』
すぐに既読になったけれど、ユウヒからは中々返信メッセージが届かない。
しばらくして、ピコンと通知がきた。
『それなら大丈夫。今日はネットカフェに泊まるから』
これからもネットカフェに泊まればいいのに、とは少しも思えない。
ユウヒには、この一人部屋に忍び込んできてほしい。
ここに泊まってほしい。
一緒のベッドで眠りたい。
そんな自分の甘えた感情をハッキリと自覚してしまったのは、ユウヒのオーディションまで残り十六日。
夜会まで残り十七日のことだった。
—
翌日の土曜日。
俺は朝の正門でユウヒを待ち伏せる。
俺の部屋に泊まるときには、郵便局近くの駐輪場に留めているという自転車で、ビューっと門を通り抜けた彼の背中に「ユウヒ!」と声をかけた。
「あっ、おはよう!ハヤセ」
自転車から下りたOFFなメガネ姿のユウヒは酷く眠そうで、目の下には隈があった。
「昨日はごめん」
「いや、全然大丈夫」
「ネットカフェ、あんまり眠れなかった?」
「うーん。たぶんハヤセの部屋が快適すぎるんだよね。僕さ、ハヤセのベッドだとぐっすり眠れるから」
ベッド……って言っちゃってるし、ユウヒ……。
「寮で事件って大丈夫だったの?」
「あっ、うん。まぁ、問題ない」
「そう。じゃ、月曜日はまた泊まってもいい?」
「もちろん」
「やったー!」
学園の駐輪場には人の気配がないとはいえ、そんな風に抱き着いてきたら俺の顔が赤くなってしまうじゃないか。
俺は自分の愚かさを思い知っている。
二カ月もの間、真夜中に塀を乗り越え忍び込んでくる自宅生を、週に三回も部屋に泊めていることがもしもバレたら、寮長はクビだろう。
そしたら来年度、功労賞として与えられるはずの一人部屋も、ダメになるはずだ。
それでも、あと二週間。
残りたった六回。
ユウヒを部屋に泊めてやりたい。
リスクを冒してでも、彼をサポートしたかったし、甘い時間を味わいたかった。
「ハヤセ先輩!」
駐輪場から校舎へ続く渡り廊下で、檜垣寮の一年生二人に声を掛けられた。
「先輩、夜会当日のテーブルに飾る花なんですけど、ご相談したくて」
気を利かせたユウヒが、小さな声で「じゃあね」と手を振って、校舎に向かって走り去っていく。
「花屋さんから、淡い黄色系と赤茶系の二パターン、アレンジ花の提案を受けたんですけど」
クリアファイルから書類を出して、プリントした画像を広げて見せられた。
「どちらがいいと思いますか?」
「君たちはどう思うの?」
「決め手に欠けるというか、どういう基準で選んでいいのか分からなくて」
「装飾担当に相談してごらん。テーブルクロスの色や、飾り付けの雰囲気と合わせほうがいいと思うよ」
「そっか、はい!」
「ありがとうございました」
夜会の準備だって大詰めだ。
今、ユウヒのことがバレたら、俺の一人部屋が取り消しになるだけじゃ済まないかもしれない。
皆が一生懸命準備している夜会に、泥を塗るがないようにしなければ……。
一度ユウヒと、ゆっくり話し合ってみることが必要かもしれない。



