「ほらこれ、タオルケット」
予め棚から出して準備しておいたものを、彼に渡す。
「サンキュ」
ユウヒはラグの上でリュックサックを枕にして、丸くなる。
「あー、疲れた。おやすみ」
「スマホの充電はいいのか?」
「あっ、するする。ありがと。やっぱやさしいなハヤセは」
手際よく自前のケーブルを取り出し、充電し始めたユウヒは再び丸まり、あっという間にスースーと寝息を立て始めた。
その寝顔は俺のベッドのほうを向いている。
目を閉じていても、長い睫毛が目立つ美しく可愛らしいONのユウヒ。
彼のオーディションまでは、二ヶ月を切っていた。
幸いここは一人部屋だし、こうして静かに眠るだけならば、寝場所を提供してやるくらい、容易いことかもしれない。
寮生ではないとはいえ、同じ敷地の学園に通う生徒なのだから……。
俺の頭は自分でも気づかぬうちに、彼の侵入を認める様々な言い訳を並べようとしていた。
一人っ子で母はなく、大学教授をする父と、二人暮らしで育った俺。
父はなんでも自分でやれる人で、祖父母や公共の子育て支援サポートに頼ることなく、俺を育てた。
当然父は、俺にも自分のことは自分でするよう求めたし、実際やれた。
だからそれが普通なのだと思って、幼少期を過ごした。
実家は田舎なので無駄に大きく、自室に居れば父の気配を感じたりはしない。
温もりのようなものは、家のどこにも存在しないが、それを寂しいと思ったこともない。
そもそも俺は物心ついてからずっと、家族だけじゃなく、他人とも一定の距離を置き、近しい関係になったことがなかった。
チームプレイのスポーツでも習っていたら、遠征や合宿で他人との距離が縮まっただろうに、そんな経験もない。
よって、誰かと同じ部屋で眠る経験が皆無のままこの学園へ進学した。
寮に入った初日。
四人部屋で、人の寝息や寝言、イビキが聴こえる環境に驚き、苦痛で、強い嫌悪を感じた。
数日で慣れるかと思ったが、とてもじゃないが無理で、眠れない日々が続く。
その後、寝不足の俺に気づいたタケル先輩のアドバイスにより、イヤホンをして寝る術を身につけた。
雨の音や波の音、焚き火が燃える音を聴きながら眠るのは、それなりに効果があったが、早く寮長になって、一人部屋に行きたいという思いは日に日に強くなった。
そんな俺が今、ユウヒの寝息を聞き、落ち着いた気持ちになれるのは、なぜなのか。
どうして彼のことは不快に思わないのか。
自分でも不思議でしかたない。
あまつさえ、この男は朝方になると、俺のベッドに入ってくるのだ……。
そうだ!
今日は無理をしてても眠らず起きていて、ユウヒがどんなタイミングで、俺のベッドへ移動してくるのか、観察してみよう。
そしたらハムスターのように身を寄せ合って眠ることを、未然に防げるかもしれないから。
その決定的瞬間は、予想より早い時間に訪れた。
ユウヒが眠り始めて一時間もしない頃、彼の寝顔が苦しげに歪んだのだ。
眉を寄せて、タオルケットから出ている右手が何かを掴み取ろうとするように、天井に向かって真っすぐに伸びる。
呻くような声を小さく漏らしている彼が、辛く苦しい夢を見ていることは、一目で分かった。
伸ばした右手を掴んで握ってあげたいと思った。
どうした?大丈夫だぞ、と声をかけてあげたくなった。
でも「眠っている人の夢に介入してはいけない」と何かの本で読んだ記憶がある。
どうするのがいいのだろう……。
そう迷っているうちに、ユウヒはガバッと上半身を跳ね起こした。
魘された挙句、目が覚めたようだ。
でも夢を引きずっているのか、はぁはぁと苦しそうに肩で息をしている。
俺は見てはいけないものを見たように感じ、咄嗟に目を閉じ寝たふりをした。
少しの間を置いて、彼がいるラグのほうからガサガサと音がし、ごく小さな音で音楽が鳴り始めた。
あの第三スタジオで、何度も何度も聴いたダンスミュージックだ。
俺はゆっくりと目を開ける。
ユウヒは暗闇の中、充電中のスマホで、自分のレッスン動画と思われるものを見ていた。
振り付けをおさらいするように、手と首を動かしている。
どうやらさっき伸ばしていた右手も、ダンスの振りだったようだ。
一曲まるまる振りの確認をしたあと、彼は大きくため息をつき、スマホを置く。
そしてユウヒは立ち上がった。
俺は慌てて目を閉じる。
こちらへ近づいてくる気配があって、彼がベッドへ乗ってきたのがわかった。
俺を起こさないように、静かにゆっくりと慎重に移動する。
さらに、俺を跨いで狭いベッドの奥側へ行った。
そして俺のタオルケットを捲り、するりと入ってきた。
彼の温かい体温と、柑橘系の匂いをすぐそば感じる。
心臓がドクドクと大きく鳴っていた。
ユウヒのではなく、俺の心臓が。
この音が聞こえてしまったら、狸寝入りがバレるのではと焦るが、幸い彼には届いていないようだ。
ユウヒは、ごく自然に俺に手を伸ばしてきた。
そして背中から俺のことを包み込むように、抱きしめた。
彼はまたスースーと安定した呼吸で、眠り始める。
安心したように、穏やかに、もう魘されることはなく、よく眠っていた。
彼が背負っているオーディションという重圧を、本当の意味で理解してやることはできないのだろう。
そう思いながら俺も目を閉じた。
高鳴っていた心臓は少しずつ収まって、それでも触れ合っている箇所には熱を感じる。
俺もユウヒも、ハムスターになって身を寄せ合う平和な夢が見られるといい……。
翌朝。
アラームで目が覚めれば、やはり彼はもうベッドにいなかった。
タオルケットだけが綺麗に畳まれ、置かれていた。
予め棚から出して準備しておいたものを、彼に渡す。
「サンキュ」
ユウヒはラグの上でリュックサックを枕にして、丸くなる。
「あー、疲れた。おやすみ」
「スマホの充電はいいのか?」
「あっ、するする。ありがと。やっぱやさしいなハヤセは」
手際よく自前のケーブルを取り出し、充電し始めたユウヒは再び丸まり、あっという間にスースーと寝息を立て始めた。
その寝顔は俺のベッドのほうを向いている。
目を閉じていても、長い睫毛が目立つ美しく可愛らしいONのユウヒ。
彼のオーディションまでは、二ヶ月を切っていた。
幸いここは一人部屋だし、こうして静かに眠るだけならば、寝場所を提供してやるくらい、容易いことかもしれない。
寮生ではないとはいえ、同じ敷地の学園に通う生徒なのだから……。
俺の頭は自分でも気づかぬうちに、彼の侵入を認める様々な言い訳を並べようとしていた。
一人っ子で母はなく、大学教授をする父と、二人暮らしで育った俺。
父はなんでも自分でやれる人で、祖父母や公共の子育て支援サポートに頼ることなく、俺を育てた。
当然父は、俺にも自分のことは自分でするよう求めたし、実際やれた。
だからそれが普通なのだと思って、幼少期を過ごした。
実家は田舎なので無駄に大きく、自室に居れば父の気配を感じたりはしない。
温もりのようなものは、家のどこにも存在しないが、それを寂しいと思ったこともない。
そもそも俺は物心ついてからずっと、家族だけじゃなく、他人とも一定の距離を置き、近しい関係になったことがなかった。
チームプレイのスポーツでも習っていたら、遠征や合宿で他人との距離が縮まっただろうに、そんな経験もない。
よって、誰かと同じ部屋で眠る経験が皆無のままこの学園へ進学した。
寮に入った初日。
四人部屋で、人の寝息や寝言、イビキが聴こえる環境に驚き、苦痛で、強い嫌悪を感じた。
数日で慣れるかと思ったが、とてもじゃないが無理で、眠れない日々が続く。
その後、寝不足の俺に気づいたタケル先輩のアドバイスにより、イヤホンをして寝る術を身につけた。
雨の音や波の音、焚き火が燃える音を聴きながら眠るのは、それなりに効果があったが、早く寮長になって、一人部屋に行きたいという思いは日に日に強くなった。
そんな俺が今、ユウヒの寝息を聞き、落ち着いた気持ちになれるのは、なぜなのか。
どうして彼のことは不快に思わないのか。
自分でも不思議でしかたない。
あまつさえ、この男は朝方になると、俺のベッドに入ってくるのだ……。
そうだ!
今日は無理をしてても眠らず起きていて、ユウヒがどんなタイミングで、俺のベッドへ移動してくるのか、観察してみよう。
そしたらハムスターのように身を寄せ合って眠ることを、未然に防げるかもしれないから。
その決定的瞬間は、予想より早い時間に訪れた。
ユウヒが眠り始めて一時間もしない頃、彼の寝顔が苦しげに歪んだのだ。
眉を寄せて、タオルケットから出ている右手が何かを掴み取ろうとするように、天井に向かって真っすぐに伸びる。
呻くような声を小さく漏らしている彼が、辛く苦しい夢を見ていることは、一目で分かった。
伸ばした右手を掴んで握ってあげたいと思った。
どうした?大丈夫だぞ、と声をかけてあげたくなった。
でも「眠っている人の夢に介入してはいけない」と何かの本で読んだ記憶がある。
どうするのがいいのだろう……。
そう迷っているうちに、ユウヒはガバッと上半身を跳ね起こした。
魘された挙句、目が覚めたようだ。
でも夢を引きずっているのか、はぁはぁと苦しそうに肩で息をしている。
俺は見てはいけないものを見たように感じ、咄嗟に目を閉じ寝たふりをした。
少しの間を置いて、彼がいるラグのほうからガサガサと音がし、ごく小さな音で音楽が鳴り始めた。
あの第三スタジオで、何度も何度も聴いたダンスミュージックだ。
俺はゆっくりと目を開ける。
ユウヒは暗闇の中、充電中のスマホで、自分のレッスン動画と思われるものを見ていた。
振り付けをおさらいするように、手と首を動かしている。
どうやらさっき伸ばしていた右手も、ダンスの振りだったようだ。
一曲まるまる振りの確認をしたあと、彼は大きくため息をつき、スマホを置く。
そしてユウヒは立ち上がった。
俺は慌てて目を閉じる。
こちらへ近づいてくる気配があって、彼がベッドへ乗ってきたのがわかった。
俺を起こさないように、静かにゆっくりと慎重に移動する。
さらに、俺を跨いで狭いベッドの奥側へ行った。
そして俺のタオルケットを捲り、するりと入ってきた。
彼の温かい体温と、柑橘系の匂いをすぐそば感じる。
心臓がドクドクと大きく鳴っていた。
ユウヒのではなく、俺の心臓が。
この音が聞こえてしまったら、狸寝入りがバレるのではと焦るが、幸い彼には届いていないようだ。
ユウヒは、ごく自然に俺に手を伸ばしてきた。
そして背中から俺のことを包み込むように、抱きしめた。
彼はまたスースーと安定した呼吸で、眠り始める。
安心したように、穏やかに、もう魘されることはなく、よく眠っていた。
彼が背負っているオーディションという重圧を、本当の意味で理解してやることはできないのだろう。
そう思いながら俺も目を閉じた。
高鳴っていた心臓は少しずつ収まって、それでも触れ合っている箇所には熱を感じる。
俺もユウヒも、ハムスターになって身を寄せ合う平和な夢が見られるといい……。
翌朝。
アラームで目が覚めれば、やはり彼はもうベッドにいなかった。
タオルケットだけが綺麗に畳まれ、置かれていた。



