月曜日から火曜日へ日付が変わり、時計の針は午前一時を指している。
当然ながら、我が檜垣(ひがき)寮の中は寝静まっていた。
俺は、寝巻替わりのジャージとTシャツ姿に、予め部屋に持ってきておいた靴を履く。
そしてスマホと、念のための武器、雨傘を装備する。
寮父に開扉の通知がいくかもしれない非常口を避け、伝統的に寮長に与えられる一階奥の一人部屋の窓から、こっそり外へ出た。
目的は一つ。
特権で一人部屋が与えられる寮長の座を死守するべく、寮内で起きるトラブルを未然に防ぐのだ。
オバケ騒動の噂が立った備蓄庫には、鍵がかかっていないはずだ。
災害時、施錠されていては役に立たないという配慮だろう。
そもそも寮を三つ擁する青海波(せいがいは)学園の敷地は、赤いレンガの塀で囲まれており、外部からの侵入者をあまり想定していない。
男子高であるということもあって、多少セキュリティが緩いのかもしれない。
オカルト的なことを信じない俺は、備蓄庫の中にいるのはおそらく猫か狸だと予想している。
ただ、それらの動物が、どうやって重い戸を開け中に入ったのか、と問われれば、明確な答えは用意できない。
つまり、誰かが備蓄庫内でこっそりと動物を飼っている、というのが妥当な線だろう。
俺は、外灯を頼りに裏門近くの備蓄庫へ辿り着き、一旦深呼吸をする。
九月も後半なのに外は蒸し暑い。
空は晴れていたが月は見えず、暗かった。
中に居るのが人だろうが、霊だろうが、動物だろうが、いきなり開けるのは良くないはずだと、変に生真面目なところが出てしまい「コンコン」とノックをする。
全く反応はない。
「備蓄庫にオバケがいる」という噂は、あくまでも噂だったのだ。
それでも念のため雨傘をバットのように構え、重い引き戸を右へ引っ張った。
「えっ、うそ」
心臓が止まるかと思うほど、驚く。
だってそこには、紺色の千鳥格子柄ズボンに白シャツという我が学園の制服を着た男が、こちら側に顔を向け丸まるように倒れていたから。
「だ、大丈夫か?」
まさか死んでいるのではと一瞬ヒヤリとしたが、触れた肩は温かい。
どこかに怪我をしている様子もなく、もちろん拘束もされていない。
よく見れば、男はスースーと穏やかな寝息を立てていた。
「は?」
備蓄庫の中の物を多少移動してスペースを作り、床には段ボールを敷いたようだ。
腰のあたりには、布団替わりなのか申し訳程度にバスタオルが掛かっていた。
枕にしているのは、リュックサックだろうか。
耳にはワイヤレスイヤホンを嵌め、右手にスマホを握りしめ眠っている。
俺がこんなに観察していても、この男は起きる気配がない。
スマホのライトを顔に充ててみると、目を閉じているのに、睫毛が長くとても綺麗な顔をしているのが分かった。
なのに、誰なのかはピンとはこない。
生徒全体の八割を占める寮生でないことだけは、確かだ。
こんな綺麗な男、我が寮にも、残りの二つの寮にも居ないから。
となると、あまり交流のない残り二割の自宅生。
さらに、おそらくは帰宅部の、学園生活にあまり積極的ではない人物だと想像できる。
この男が誰で、どんな理由でこんなところで眠っているのか見当もつかない。
でもとにかく、俺はこんなことで足元を掬われ、寮長の座、いやその特権の一人部屋を失うことだけは、ゴメンだ。
「おい、起きろ。こんなところで何してる?おい!」
「んー」
「起きろってば。おい」
「んんー」
彼が寝返りを打ったことで、制服のポケットに縫われた校章の色が見えた。
緑、俺と同じ二年生のようだ。
「オマエ、誰だ?ここで何してる?おい」
寮父や寮生に気づかれるのは絶対に避けたいから、押し殺した声で問い詰める。
「ん、朝?」
寝ぼけた声を出す男の顔は、目を開けると、さらにドキッとするほど美しく整っていた。
アイドルグループに所属していると言われても、納得しそうな容姿だ。
こんな状況なのに、胸が変に高鳴って、俺はその顔を直視できず思わず目を逸らす。
「とにかくこっちへ来い」
「へ?」
俺は男の腕を取り、リュックサックとバスタオルを拾い上げ、戸を閉める。
男は右手に持ったままのスマホで時刻を見て、「まだ真夜中じゃん」と文句を言ってきた。
「静かに!」
彼の腕を引っ張って、俺は自分の部屋の窓の下へ連れてゆく。
とにかく、この男を人目のつかない場所へ、隠さねばならない。
そして明日の朝早くに、この寮の敷地から追い出すのだ。
「靴を脱いで、ここから中に入れ」
「ん」
男は軽々とした身のこなしで、俺の部屋への侵入を果たす。
そして俺を振り向き、「エアコンついてて、めっちゃ快適」と可愛らしく笑った。
色々と問い詰めたかったが、男はベッド横に敷かれたラグの上にゴロンと寝転ぶ。
そして、さっきと同じように横を向いて丸まり、あっという間にスースーと寝息を立て始めた。
どういう神経をしていたら、こんなに図太くいられるのだろう。
腹が立ったが、予備のタオルケットを棚から出し、この可愛らしい男に掛けてやる。
こんな風に世話をする俺も、どうかしていると自分自身に呆れながら、自分のベッドに潜った。
—
ふと、目が覚めると窓の外は、まだ薄暗かった。
それにしても、今俺が眠るベッドの中は快適だ。
エアコンが部屋の室温を低く保ち、タオルケットの中は温かく心地よい。
柑橘系シャンプーのいい匂いも仄かに香っている。
スースーと規則的に聞こえる寝息は、まるで子守歌のようだ……。
え?寝息?
「え?えーーー!」
ラグで寝ていたはずの男が、図々しくも俺のベッドに入り込んでいる。
いつの間にか俺たちは身を寄せ合って、温もりの中、眠っていたようだ。
「ありえない、まじでありえない」
なにより一人で過ごすことを大事にしてきた俺が、見知らぬ男とタオルケットに包まり、それを「快適」だと思うなんて……。
俺は、男をベッドに残しラグの上へ移動する。
「どうして俺がこんなに気を使わなきゃいけないんだ……」
そう文句を口にしながら、男のために出してやった予備のタオルケットを自分に掛け、ギュッと目を閉じる。
クーラーの風が当たり、冷え切っていたタオルケットを纏いながら、手放した温かさを恋しく思ってしまわぬよう、自分を律した。
当然ながら、我が檜垣(ひがき)寮の中は寝静まっていた。
俺は、寝巻替わりのジャージとTシャツ姿に、予め部屋に持ってきておいた靴を履く。
そしてスマホと、念のための武器、雨傘を装備する。
寮父に開扉の通知がいくかもしれない非常口を避け、伝統的に寮長に与えられる一階奥の一人部屋の窓から、こっそり外へ出た。
目的は一つ。
特権で一人部屋が与えられる寮長の座を死守するべく、寮内で起きるトラブルを未然に防ぐのだ。
オバケ騒動の噂が立った備蓄庫には、鍵がかかっていないはずだ。
災害時、施錠されていては役に立たないという配慮だろう。
そもそも寮を三つ擁する青海波(せいがいは)学園の敷地は、赤いレンガの塀で囲まれており、外部からの侵入者をあまり想定していない。
男子高であるということもあって、多少セキュリティが緩いのかもしれない。
オカルト的なことを信じない俺は、備蓄庫の中にいるのはおそらく猫か狸だと予想している。
ただ、それらの動物が、どうやって重い戸を開け中に入ったのか、と問われれば、明確な答えは用意できない。
つまり、誰かが備蓄庫内でこっそりと動物を飼っている、というのが妥当な線だろう。
俺は、外灯を頼りに裏門近くの備蓄庫へ辿り着き、一旦深呼吸をする。
九月も後半なのに外は蒸し暑い。
空は晴れていたが月は見えず、暗かった。
中に居るのが人だろうが、霊だろうが、動物だろうが、いきなり開けるのは良くないはずだと、変に生真面目なところが出てしまい「コンコン」とノックをする。
全く反応はない。
「備蓄庫にオバケがいる」という噂は、あくまでも噂だったのだ。
それでも念のため雨傘をバットのように構え、重い引き戸を右へ引っ張った。
「えっ、うそ」
心臓が止まるかと思うほど、驚く。
だってそこには、紺色の千鳥格子柄ズボンに白シャツという我が学園の制服を着た男が、こちら側に顔を向け丸まるように倒れていたから。
「だ、大丈夫か?」
まさか死んでいるのではと一瞬ヒヤリとしたが、触れた肩は温かい。
どこかに怪我をしている様子もなく、もちろん拘束もされていない。
よく見れば、男はスースーと穏やかな寝息を立てていた。
「は?」
備蓄庫の中の物を多少移動してスペースを作り、床には段ボールを敷いたようだ。
腰のあたりには、布団替わりなのか申し訳程度にバスタオルが掛かっていた。
枕にしているのは、リュックサックだろうか。
耳にはワイヤレスイヤホンを嵌め、右手にスマホを握りしめ眠っている。
俺がこんなに観察していても、この男は起きる気配がない。
スマホのライトを顔に充ててみると、目を閉じているのに、睫毛が長くとても綺麗な顔をしているのが分かった。
なのに、誰なのかはピンとはこない。
生徒全体の八割を占める寮生でないことだけは、確かだ。
こんな綺麗な男、我が寮にも、残りの二つの寮にも居ないから。
となると、あまり交流のない残り二割の自宅生。
さらに、おそらくは帰宅部の、学園生活にあまり積極的ではない人物だと想像できる。
この男が誰で、どんな理由でこんなところで眠っているのか見当もつかない。
でもとにかく、俺はこんなことで足元を掬われ、寮長の座、いやその特権の一人部屋を失うことだけは、ゴメンだ。
「おい、起きろ。こんなところで何してる?おい!」
「んー」
「起きろってば。おい」
「んんー」
彼が寝返りを打ったことで、制服のポケットに縫われた校章の色が見えた。
緑、俺と同じ二年生のようだ。
「オマエ、誰だ?ここで何してる?おい」
寮父や寮生に気づかれるのは絶対に避けたいから、押し殺した声で問い詰める。
「ん、朝?」
寝ぼけた声を出す男の顔は、目を開けると、さらにドキッとするほど美しく整っていた。
アイドルグループに所属していると言われても、納得しそうな容姿だ。
こんな状況なのに、胸が変に高鳴って、俺はその顔を直視できず思わず目を逸らす。
「とにかくこっちへ来い」
「へ?」
俺は男の腕を取り、リュックサックとバスタオルを拾い上げ、戸を閉める。
男は右手に持ったままのスマホで時刻を見て、「まだ真夜中じゃん」と文句を言ってきた。
「静かに!」
彼の腕を引っ張って、俺は自分の部屋の窓の下へ連れてゆく。
とにかく、この男を人目のつかない場所へ、隠さねばならない。
そして明日の朝早くに、この寮の敷地から追い出すのだ。
「靴を脱いで、ここから中に入れ」
「ん」
男は軽々とした身のこなしで、俺の部屋への侵入を果たす。
そして俺を振り向き、「エアコンついてて、めっちゃ快適」と可愛らしく笑った。
色々と問い詰めたかったが、男はベッド横に敷かれたラグの上にゴロンと寝転ぶ。
そして、さっきと同じように横を向いて丸まり、あっという間にスースーと寝息を立て始めた。
どういう神経をしていたら、こんなに図太くいられるのだろう。
腹が立ったが、予備のタオルケットを棚から出し、この可愛らしい男に掛けてやる。
こんな風に世話をする俺も、どうかしていると自分自身に呆れながら、自分のベッドに潜った。
—
ふと、目が覚めると窓の外は、まだ薄暗かった。
それにしても、今俺が眠るベッドの中は快適だ。
エアコンが部屋の室温を低く保ち、タオルケットの中は温かく心地よい。
柑橘系シャンプーのいい匂いも仄かに香っている。
スースーと規則的に聞こえる寝息は、まるで子守歌のようだ……。
え?寝息?
「え?えーーー!」
ラグで寝ていたはずの男が、図々しくも俺のベッドに入り込んでいる。
いつの間にか俺たちは身を寄せ合って、温もりの中、眠っていたようだ。
「ありえない、まじでありえない」
なにより一人で過ごすことを大事にしてきた俺が、見知らぬ男とタオルケットに包まり、それを「快適」だと思うなんて……。
俺は、男をベッドに残しラグの上へ移動する。
「どうして俺がこんなに気を使わなきゃいけないんだ……」
そう文句を口にしながら、男のために出してやった予備のタオルケットを自分に掛け、ギュッと目を閉じる。
クーラーの風が当たり、冷え切っていたタオルケットを纏いながら、手放した温かさを恋しく思ってしまわぬよう、自分を律した。



