2-1.【調査記録:2026年02月04日 13:00】
場所:X大学 人文学部研究棟 演習室
内容:演習「都市民俗学特論:江戸・東京の空間と伝承」
担当:桐谷教授
研究棟の教室には、冬の午後特有の低くて重い光が差し込んでいた。
参加者は私を含めて数人、皆、博士課程の院生だ。桐谷教授は、使い古されたホワイトボードの前に立ち、ゆっくりと「都市民俗学」と書き記した。
「宮田登氏が提唱した都市民俗学において、東京という街は、山村や農村とは異なる特異な『怪異の受容体』であるとされている。……今日は、江戸から東京への変遷における『空間の意識』と『怪異』について議論しよう」
教授の声は、学術的な冷静さを保っている。
私はノートを広げた。しかし、文字の輪郭が時折歪む。
「田中君。江戸における『境界』の意味について、君の調査結果はどうだ」
隣に座る田中が、資料をめくった。
「はい。江戸は巨大な人口流動を持つ都市であり、それに伴い『辻』、つまり交差点や『橋の袂』といった境界空間に、特異な噂や信仰が集中しました。たとえば『置いてけ堀』や『番町皿屋敷』です。これらは単なる幽霊譚ではなく、都市構造の『外側』や『際(きわ)』に生じた心理的な異界の表出です。宮田氏流に言うならば、都市の過密が、本来は山にあるはずの『異界』を、辻や堀という形で日常生活の中に引き摺り下ろしたと言えます」
「その通りだ。では佐藤さん、江戸の怪談が娯楽へ変容したプロセスについては?」
「はい」と佐藤が答える。
「江戸後期には、怪談は畏怖の対象から、歌舞伎や百物語といった『消費されるコンテンツ』へと変容しました。お岩さんの『四谷怪談』も、当時の社会矛盾や女性の抑圧を反映したリアリズム文学に近いのではないかと思います。面白いのは、お岩さんが『目』を壊すという設定です。民俗学において、目は魂の出入り口であり、そこが損なわれることは、現世の理が壊れる象徴とも取れるのではないでしょうか」
私は、思わず机の下で膝を握りしめた。
お岩さん。目の破壊。現世の理。
学術的な分析として語られるその言葉が、私の右目の奥の痛みを、冷酷に肯定しているように聞こえてしまう。
「教授」と、私は遮るように手を挙げた。
「……江戸という土地そのものに、何らかの意図はなかったのでしょうか。徳川家康が、あえて湿地帯であった江戸を選んだ理由。一部の非公式な言説……たとえば、江戸を『穢土』と呼び、そこに潜む何かを封印するためにあえて結界を築いた、といった説については……」
教授は眼鏡の奥の瞳をわずかに細めた。
「芦沢さん。それは宮田登氏の『ケとハレ』の理論、あるいは天海僧正による都市計画の呪術的側面に関する俗説だね。確かに、江戸東京学の事典には、天海が鬼門に寛永寺を、裏鬼門に増上寺を置いたという記述がある。家康が湿地を選んだのは軍事的な理由だけではなく、朝廷、つまり天津神の子孫たちが忌避した国津神の土地を管理・封印するための、いわば『巨大な檻』として江戸を設計した……という解釈は、民俗学的ファンタジーとしては非常に魅力的だ」
教授の言う通り、『江戸東京学事典』を開くと、そこには整然とした論理で天海の知略が記されている。北東の寛永寺、南西の増上寺。完璧な結界だ。
けれど、宮田登氏の理論を重ね合わせたとき、別の顔が見えてくる。
天海が守ろうとしたのは内側だけではないのではないか。彼は、江戸という土地がもともと持っていた『穢土』としての性質を、外堀という巨大な円環の中に閉じ込めたのではないか。
だとすれば、外堀沿いにあるこの大学の図書館は、天海の築いた檻の真上にあるということだ。
私たちが、この地で学問という知恵を深めれば深めるほど、その檻の蓋を内側から叩いていることにならないだろうか。
私の考えすぎだろうか。
教授はホワイトボードに、外堀の輪郭をなぞるような円を描いた。
「もし江戸が、本来は人が住むべきではない『穢土』への入り口であったとしたら。外堀は、その穢れが漏れ出さないようにするための物理的・呪術的な境界線……すなわち『境』となる。都市が近代化し、その境が壊されたとき、何が起きるか。宮田氏は、都市伝説とは『場所の記憶』の再燃であると説いた。……さて、芦沢さん。君がその説に固執するのは、何か理由があるのかね?」
私は答えられなかった。
右目の奥で、水が波打つ音がした。
「……いいえ。ただ、図書館で古い地名の由来を調べていた際、少し気になったので」
私が言いよどむと、教授は別のトピックへと進んだ。
「……宮田氏の都市民俗学において、特に注目すべきは、彼が都市の『高低差』に異界への入り口を見出していた点だ。田中君、君の調べた市ヶ谷・四谷周辺の地名について、地形の観点から補足はあるか?」
「はい。この周辺は、その名の通り『谷』の付く地名が密集しています。市ヶ谷、四谷、千駄ヶ谷……。宮田氏は、こうした起伏の激しい地形、特に『谷』や『坂』が、現世と異界が接触する境界』として機能すると重視しました。平坦な場所よりも、高低差がある場所の方が、空間に歪みが生じやすく、異質なものが溜まりやすいと考えたのです」
田中の言葉を受け、佐藤が口を開く。
「坂道は『サカ』、つまり『境』に通じますからね。特に四谷から市ヶ谷にかけての入り組んだ坂は、かつての江戸の人々にとって、ケである日常から非日常のハレ、怪異へと踏み込むための物理的な装置でもあったと思います。そして、その『谷』の底を流れているのが、他ならぬ外堀という巨大な水系ですよね、教授」
「その通りだ。宮田氏は、外堀を単なる軍事境界線としてではなく、都市に張り巡らされた『巨大な水による結界』と捉えていた節がある。水は古来より、霊を運ぶ媒体であると同時に、異界を封じ込める壁でもあった。この『谷』という窪地に、外堀という『水』を流し込むことで、天海僧正は江戸の邪気を物理的に洗浄し、同時に地下の深淵に蓋をした……という見方ができるね。だが、興味深いのは、宮田氏が『都市の境界は常に変動する』と述べている点だ。高層ビルが建ち、地下鉄が入り乱れる現代、天海が設計した水のライン――外堀は、いったいどうなっているだろうか。地表はコンクリートで覆われても、底にある『谷』の性質は変わらない。むしろ、密閉された地下空間で、行き場を失った異界の圧力が、特定の個人……それも、知的な好奇心を持ってその場所に留まる人間に、集中的に噴出しているのかもしれないよ」
「……っ」
私は思わず息を呑む。
私たちは、異界との境界で常に学んでいるということなのか。
背筋がひやりとする。
「では、次回のフィールドワークでは、実際に『境界』を歩いてみることにしよう。この大学の周辺、外堀通りをね。堀に沿った道や坂道を歩き都市空間がどのように異界を飲み込み、隠蔽してきたか。君たちの目で確かめてほしい」
ゼミは、ごくありふれた言葉で締めくくられた。
他の院生たちは、楽しそうにフィールドワークの後にどこで江戸の食文化を楽しむかを話し合っている。私にとっては、ノイズでしかない。
私は一人、重いバッグを肩にかけると、ゼミ室を後にした。
場所:X大学 人文学部研究棟 演習室
内容:演習「都市民俗学特論:江戸・東京の空間と伝承」
担当:桐谷教授
研究棟の教室には、冬の午後特有の低くて重い光が差し込んでいた。
参加者は私を含めて数人、皆、博士課程の院生だ。桐谷教授は、使い古されたホワイトボードの前に立ち、ゆっくりと「都市民俗学」と書き記した。
「宮田登氏が提唱した都市民俗学において、東京という街は、山村や農村とは異なる特異な『怪異の受容体』であるとされている。……今日は、江戸から東京への変遷における『空間の意識』と『怪異』について議論しよう」
教授の声は、学術的な冷静さを保っている。
私はノートを広げた。しかし、文字の輪郭が時折歪む。
「田中君。江戸における『境界』の意味について、君の調査結果はどうだ」
隣に座る田中が、資料をめくった。
「はい。江戸は巨大な人口流動を持つ都市であり、それに伴い『辻』、つまり交差点や『橋の袂』といった境界空間に、特異な噂や信仰が集中しました。たとえば『置いてけ堀』や『番町皿屋敷』です。これらは単なる幽霊譚ではなく、都市構造の『外側』や『際(きわ)』に生じた心理的な異界の表出です。宮田氏流に言うならば、都市の過密が、本来は山にあるはずの『異界』を、辻や堀という形で日常生活の中に引き摺り下ろしたと言えます」
「その通りだ。では佐藤さん、江戸の怪談が娯楽へ変容したプロセスについては?」
「はい」と佐藤が答える。
「江戸後期には、怪談は畏怖の対象から、歌舞伎や百物語といった『消費されるコンテンツ』へと変容しました。お岩さんの『四谷怪談』も、当時の社会矛盾や女性の抑圧を反映したリアリズム文学に近いのではないかと思います。面白いのは、お岩さんが『目』を壊すという設定です。民俗学において、目は魂の出入り口であり、そこが損なわれることは、現世の理が壊れる象徴とも取れるのではないでしょうか」
私は、思わず机の下で膝を握りしめた。
お岩さん。目の破壊。現世の理。
学術的な分析として語られるその言葉が、私の右目の奥の痛みを、冷酷に肯定しているように聞こえてしまう。
「教授」と、私は遮るように手を挙げた。
「……江戸という土地そのものに、何らかの意図はなかったのでしょうか。徳川家康が、あえて湿地帯であった江戸を選んだ理由。一部の非公式な言説……たとえば、江戸を『穢土』と呼び、そこに潜む何かを封印するためにあえて結界を築いた、といった説については……」
教授は眼鏡の奥の瞳をわずかに細めた。
「芦沢さん。それは宮田登氏の『ケとハレ』の理論、あるいは天海僧正による都市計画の呪術的側面に関する俗説だね。確かに、江戸東京学の事典には、天海が鬼門に寛永寺を、裏鬼門に増上寺を置いたという記述がある。家康が湿地を選んだのは軍事的な理由だけではなく、朝廷、つまり天津神の子孫たちが忌避した国津神の土地を管理・封印するための、いわば『巨大な檻』として江戸を設計した……という解釈は、民俗学的ファンタジーとしては非常に魅力的だ」
教授の言う通り、『江戸東京学事典』を開くと、そこには整然とした論理で天海の知略が記されている。北東の寛永寺、南西の増上寺。完璧な結界だ。
けれど、宮田登氏の理論を重ね合わせたとき、別の顔が見えてくる。
天海が守ろうとしたのは内側だけではないのではないか。彼は、江戸という土地がもともと持っていた『穢土』としての性質を、外堀という巨大な円環の中に閉じ込めたのではないか。
だとすれば、外堀沿いにあるこの大学の図書館は、天海の築いた檻の真上にあるということだ。
私たちが、この地で学問という知恵を深めれば深めるほど、その檻の蓋を内側から叩いていることにならないだろうか。
私の考えすぎだろうか。
教授はホワイトボードに、外堀の輪郭をなぞるような円を描いた。
「もし江戸が、本来は人が住むべきではない『穢土』への入り口であったとしたら。外堀は、その穢れが漏れ出さないようにするための物理的・呪術的な境界線……すなわち『境』となる。都市が近代化し、その境が壊されたとき、何が起きるか。宮田氏は、都市伝説とは『場所の記憶』の再燃であると説いた。……さて、芦沢さん。君がその説に固執するのは、何か理由があるのかね?」
私は答えられなかった。
右目の奥で、水が波打つ音がした。
「……いいえ。ただ、図書館で古い地名の由来を調べていた際、少し気になったので」
私が言いよどむと、教授は別のトピックへと進んだ。
「……宮田氏の都市民俗学において、特に注目すべきは、彼が都市の『高低差』に異界への入り口を見出していた点だ。田中君、君の調べた市ヶ谷・四谷周辺の地名について、地形の観点から補足はあるか?」
「はい。この周辺は、その名の通り『谷』の付く地名が密集しています。市ヶ谷、四谷、千駄ヶ谷……。宮田氏は、こうした起伏の激しい地形、特に『谷』や『坂』が、現世と異界が接触する境界』として機能すると重視しました。平坦な場所よりも、高低差がある場所の方が、空間に歪みが生じやすく、異質なものが溜まりやすいと考えたのです」
田中の言葉を受け、佐藤が口を開く。
「坂道は『サカ』、つまり『境』に通じますからね。特に四谷から市ヶ谷にかけての入り組んだ坂は、かつての江戸の人々にとって、ケである日常から非日常のハレ、怪異へと踏み込むための物理的な装置でもあったと思います。そして、その『谷』の底を流れているのが、他ならぬ外堀という巨大な水系ですよね、教授」
「その通りだ。宮田氏は、外堀を単なる軍事境界線としてではなく、都市に張り巡らされた『巨大な水による結界』と捉えていた節がある。水は古来より、霊を運ぶ媒体であると同時に、異界を封じ込める壁でもあった。この『谷』という窪地に、外堀という『水』を流し込むことで、天海僧正は江戸の邪気を物理的に洗浄し、同時に地下の深淵に蓋をした……という見方ができるね。だが、興味深いのは、宮田氏が『都市の境界は常に変動する』と述べている点だ。高層ビルが建ち、地下鉄が入り乱れる現代、天海が設計した水のライン――外堀は、いったいどうなっているだろうか。地表はコンクリートで覆われても、底にある『谷』の性質は変わらない。むしろ、密閉された地下空間で、行き場を失った異界の圧力が、特定の個人……それも、知的な好奇心を持ってその場所に留まる人間に、集中的に噴出しているのかもしれないよ」
「……っ」
私は思わず息を呑む。
私たちは、異界との境界で常に学んでいるということなのか。
背筋がひやりとする。
「では、次回のフィールドワークでは、実際に『境界』を歩いてみることにしよう。この大学の周辺、外堀通りをね。堀に沿った道や坂道を歩き都市空間がどのように異界を飲み込み、隠蔽してきたか。君たちの目で確かめてほしい」
ゼミは、ごくありふれた言葉で締めくくられた。
他の院生たちは、楽しそうにフィールドワークの後にどこで江戸の食文化を楽しむかを話し合っている。私にとっては、ノイズでしかない。
私は一人、重いバッグを肩にかけると、ゼミ室を後にした。
