Haru「あ、最近ネットで流行ってるやつ? 動画見たことある。秋津駅と新秋津駅の間で、別の世界に迷い込むってやつでしょ」
いっちゃん「そう。あれって結局、駅が清瀬と所沢と東村山の『境界』にあるからだって言われてるじゃない? うちの大学もそうじゃん。外堀って新宿区と千代田区の境界線でしょ。飯田橋の向こうは文京区だし」

【画像:飯田橋駅付近地図】
出典:国土地理院(CC BY 4.0)
M「あ……確かに。民俗学的に言えば、境界は『あわい』の場所、異界と繋がりやすい場所だもんね」
Haru「江戸時代から外堀は江戸城の惣構の境界だったわけだし、地図上では線一本だけど、霊的には深い溝なんだよ。地下書庫はその底にあるんだから、そりゃ何かと繋がっててもおかしくないわ」
いっちゃん「……でもさ、防犯カメラ映像の『壁に張り付いてる人』とか『天井見てる人』。あれ、見てる時は怖いと思ったけど、なんか……気持ちわかる気がしない?」
M「えっ」
いっちゃん「なんていうかさ、あそこにいると『あ、この壁の中にある世界の方が正しいんだ』って感覚になる時があるんだよね。壁に顔を押し付けると、すごく安心するような……」
ちあき「いっちゃん、それヤバいよ」
いっちゃん「いや、冗談じゃなくて。昨日の夜、私も一瞬だけ天井見上げちゃったもん。首が勝手に動くんだよ。なんていうんだろう、魚が水面を見上げるみたいな感じで」
いっちゃん「例の写真の先輩も、去年の暮れくらいから言ってた。『向こう側の景色が透けて見える』って。あっちの世界はこっちよりずっと静かで、全部が水の中に沈んでるみたいに綺麗なんだってさ」
……昨夜、私が中臣悠月の小説という過去の亡霊を追いかけている間に、現在進行形の異変は、もはや「隠すべき異常」から「共有される共感」へと変質していた。
先輩の顔が歪んだ写真。
それは単なる機器の故障ではない。認識そのものが、あるいは「存在の秩序」そのものが屈折し始めているのではないか。
右目の奥で、鈍い拍動が響く。
視界の端がわずかに揺らぎ、昨日の地下書庫の重苦しい空気が、今この自室にまで染み出しているような錯覚に襲われた。
他者との対話は、私にとって常に不快なノイズの源泉だ。
だが、この情報の連鎖に割り込まなければいけない。そうでもしなければ、私の頭部もまた、あの写真の先輩のように歪んで溶けて消えてしまうのではないかという、ありえない妄想がとめどなく溢れて止まらなくなる。
私は、乾燥した唇を一度舐め、一度深呼吸してから、文字を入力した。
芦沢紗月「すみません。その写真の先輩は、今どこにいますか」
