こちらは、私の出身地である●●県婀娜多村における地域文化とその変遷についての調査記録です。
今回の記事では婀娜多村そのものに関する情報を整理し、まとめていきます。
乱暴な言い方かもしれませんが、婀娜多村は間違いなく、「見捨てられた土地」だったのだと思います。
【土壌】
村は斜面に囲まれています。周囲に比べてひと際おちくぼんだ沼地、それが婀娜多村です。
地滑りをおこしやすい脆弱な地盤です。
記録によれば、明治以降だけでも、集落の半分が埋没する規模の土砂災害が7回も起きています。
さらに、村の土は極端に酸性が強く、鉄分を異常に含んだ「赤土」でした。
通常の作物は根を張るそばから腐り、実をつけません。
唯一育つのは、村で「餓鬼の指」と呼ばれる、ひどく苦くて筋張った野生の根菜類だけでした。
戦後の食糧難の時代、近隣の村が闇市などで糊口を凌いでいた頃、婀娜多村の住民は泥水をすすり、
その「指」を噛み締めて、辛うじて命を繋いでいたといいます。
【水質】
水資源も劣悪でした。
山から流れてくる水は重金属の含有量が高く、長く飲み続ければ歯は茶色く変色し、関節の痛みを訴える者が続出したそうです。
「婀娜多(あだた)」という地名についても、一説には「仇(あた)なす多(おお)くの地」――すなわち、人間に仇なす場所が転じたものだという文献すらありました。
産業と呼べるものは何一つありません。
海はなく、山は急峻すぎて木材の切り出しも困難。
昭和の中頃、一度だけ鉱山開発の計画が持ち上がったそうですが、試験掘りの段階で「掘る価値なし」と切り捨てられました。
村が国や県から受け取っていたのは、わずかな過疎対策費と、災害時の見舞金だけです。
そこにあるのは、豊かな自然などと言えるようなものではありません。ただ死んでいないだけの残骸です。
【澱】
私が特に注目したのは、村の古い写真資料たちです。
どの写真に写る村人も、一様に同じ表情をしていました。
頬はこけ、目は落ち窪み、何かに怯えるような、あるいは何かを激しく憎んでいるような、暗い眼差し。
その表情の理由は、単なる貧困だけではなかったはずです。
逃げ場のない山間に閉じ込められ、不毛な土を耕し続け、いつ土砂に呑まれるか分からない恐怖の中で暮らす。
そんな生活が数世代も続けば、人間の精神はどうなるか。
外に向けるべき出口のない怒りや、自分たちの不幸に対する「理由」への渇望。
それらは逃げ場を失い、村という狭い器の中でドロドロとした「澱(おり)」のように溜まっていったのでしょう。
2000年代初頭の村の広報誌の切り抜きも見つけました。
そこには「美しい村づくり」という標語と共に、村人たちが笑顔で草むしりをする写真が載っていましたが、
その背後の溝には、大量の家庭ゴミや、動物の死骸のようなものが放置されているのが映り込んでいました。
今回の記事では婀娜多村そのものに関する情報を整理し、まとめていきます。
乱暴な言い方かもしれませんが、婀娜多村は間違いなく、「見捨てられた土地」だったのだと思います。
【土壌】
村は斜面に囲まれています。周囲に比べてひと際おちくぼんだ沼地、それが婀娜多村です。
地滑りをおこしやすい脆弱な地盤です。
記録によれば、明治以降だけでも、集落の半分が埋没する規模の土砂災害が7回も起きています。
さらに、村の土は極端に酸性が強く、鉄分を異常に含んだ「赤土」でした。
通常の作物は根を張るそばから腐り、実をつけません。
唯一育つのは、村で「餓鬼の指」と呼ばれる、ひどく苦くて筋張った野生の根菜類だけでした。
戦後の食糧難の時代、近隣の村が闇市などで糊口を凌いでいた頃、婀娜多村の住民は泥水をすすり、
その「指」を噛み締めて、辛うじて命を繋いでいたといいます。
【水質】
水資源も劣悪でした。
山から流れてくる水は重金属の含有量が高く、長く飲み続ければ歯は茶色く変色し、関節の痛みを訴える者が続出したそうです。
「婀娜多(あだた)」という地名についても、一説には「仇(あた)なす多(おお)くの地」――すなわち、人間に仇なす場所が転じたものだという文献すらありました。
産業と呼べるものは何一つありません。
海はなく、山は急峻すぎて木材の切り出しも困難。
昭和の中頃、一度だけ鉱山開発の計画が持ち上がったそうですが、試験掘りの段階で「掘る価値なし」と切り捨てられました。
村が国や県から受け取っていたのは、わずかな過疎対策費と、災害時の見舞金だけです。
そこにあるのは、豊かな自然などと言えるようなものではありません。ただ死んでいないだけの残骸です。
【澱】
私が特に注目したのは、村の古い写真資料たちです。
どの写真に写る村人も、一様に同じ表情をしていました。
頬はこけ、目は落ち窪み、何かに怯えるような、あるいは何かを激しく憎んでいるような、暗い眼差し。
その表情の理由は、単なる貧困だけではなかったはずです。
逃げ場のない山間に閉じ込められ、不毛な土を耕し続け、いつ土砂に呑まれるか分からない恐怖の中で暮らす。
そんな生活が数世代も続けば、人間の精神はどうなるか。
外に向けるべき出口のない怒りや、自分たちの不幸に対する「理由」への渇望。
それらは逃げ場を失い、村という狭い器の中でドロドロとした「澱(おり)」のように溜まっていったのでしょう。
2000年代初頭の村の広報誌の切り抜きも見つけました。
そこには「美しい村づくり」という標語と共に、村人たちが笑顔で草むしりをする写真が載っていましたが、
その背後の溝には、大量の家庭ゴミや、動物の死骸のようなものが放置されているのが映り込んでいました。
