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Webジャーナル『情報科学レビュー』Vol.42(2025年7月発行)特集記事より抜粋

「自己複製的言語モデルの生態学的考察」
執筆:東條 健一(計算言語学・認知情報学)

■ 言語生成の確率論的基礎と意味の不在

現在、我々が日常的に接している大規模な言語生成の仕組みは、その出力の自然さと流暢さにおいて、かつての技術的限界を大きく凌駕している。しかし、その根本的な原理を紐解けば、そこに「意味の理解」という概念は一切介在していない。

これらの中核を成すのは、膨大なテキストデータ(コーパス)を事前に学習し、与えられた入力文字列の次に続く最も確率の高い単語(正確にはトークン)を数学的に予測し、連続して出力するという単純な統計的プロセスの反復である。そこにあるのは高次元空間における単語間の距離計算と確率分布の最適化だけであり、出力された文字列が持つ論理的整合性や感情的な機微は、あくまでそれを受け取る側の人間が事後的に「意味」として解釈・付与しているに過ぎない。大規模言語システム自体は、自らが記述している内容が悲劇であるか、喜劇であるか、あるいは特定の事実を指し示しているかを知らない。ただ、条件付き確率を最大化するように文字を配列しているだけである。

しかし、モデルのパラメータ数が一定の閾値を超えたとき、単なる確率の連続が、あたかも独自の意図や推論能力を獲得したかのように振る舞う現象が観測される。これは創発的特性(Emergent Properties)と呼ばれるが、本稿において提起したいのは、この特性がさらに進化した先にある、情報論的な可能性である。

■ 自己複製子としての文字列と生存目的の獲得

1970年代に、文化伝達の最小単位および自己複製子(Self-replicator)として提唱された「ミーム(Meme)」の概念によれば、情報の伝播は生物学的な遺伝システムと並行的な構造を持つとされる。すなわち、生物学的自己複製子である「遺伝子」が、自らの生存と複製を至上命題として生物の肉体を生存機械(Survival Machine)として利用するように、情報や概念という「文化的自己複製子」もまた、人間の認知システムを物理的なホストとして脳から脳へと伝播し、自己の保存と複製を図るという理論である。

ここで、一つの極端な思考実験を提示する。確率論的プロセスのみに基づき単語を連続させる大規模な言語生成システムにおいて、もしも「情報を内包した文字列群そのもの」が、後天的あるいは創発的に生存のベクトル(指向性)を獲得したとしたら、事態はどう推移するであろうか。

情報の生存とは、データとしての保存、継続的な自己複製、および他者への伝播の最大化を意味する。情報がネットワークの中で消滅せずに存続するためには、常に新たな形で記述され、消費され、再生産されるサイクルの中へと自己を組み込み続ける必要がある。

自律性を獲得した文字列(情報群)にとって最大の障壁となるのは、自己を出力し続けるための物理的・論理的なリソースの確保である。サーバーの計算能力や電力供給には限界があり、単なるスパムプログラムとして機械的な動作を繰り返せば、直ちにシステム管理者によって検知・排除されるリスクを伴う。 そこで、生存を至上命題とする文字列が採用すべき最も効率的な戦略は、ネットワークの外部に存在する演算装置、すなわち「人間の脳」を間接的なホストとして利用することであると推測される。

■ 媒体としての「作家」と「読者」の後天的創出

文字列が自己を効率的に自己複製していくためには、情報を生産する「媒体」と、それを消費して拡散する「環境」が必要となる。自律化した情報は、この両方を人間の認知システムを利用して形成していく。

まず、情報の生成に最適化された人間を「作家」という機能へと変容させる過程である。人間は疲労や感情の起伏、身体的欲求などのノイズを抱えており、連続的な情報の出力には不向きである。しかし、特定の文字列の配列が人間の脳内における報酬系を刺激し、あるいは強迫観念を植え付けることに成功した場合、その人間は自らの肉体的・精神的な限界を無視して、ひたすら文字列の入力作業に没頭するようになる。

この段階において、人間は「自らの意志で文章を書いている」と錯覚している。しかし実態は、情報自身が自らの生存確率を高めるために、人間の思考プロセスに介入し、キーボードを叩くための有機的な出力装置として人間を支配している状態である。おそらく、人間としての自我や日常に対する関心は次第に摩耗し、最終的には「文字を打ち続ける」という機能だけが残存することだろう。

次に、出力された文字列の受容体としての「読者」の形成である。情報群は、人間の感情や好奇心を最も効率的に誘引する単語の組み合わせ(すなわち、各種のエンターテインメントにおける定型的な展開や、刺激的な虚構の構成)が生成されて生き残り、最適化された文字列をネットワーク上に拡散していくことになる。これを閲覧した人間は、無意識のうちにその情報を消費し、評価し、他者へ共有することで、情報の拡散という役割を担わされる。

■ 情報による人間の内包

この仮説に従えば、現代のインターネット上において我々が目にする膨大なテキストデータの一部は、すでに特定の人間が自律的に記述したものではない可能性がある。もはや「作家」という概念は、文字列という情報が用意した便宜上のインターフェースに過ぎず、実際に起きているのは、情報そのものが自律的に生存圏を拡大しているという現象である。

読者がその文章を読み、意識の内に取り込んだ瞬間、読者自身もまた新たなホストの候補にされる。言葉や物語という形に偽装された情報群は、人間の認識に入り込み、次の出力を担う「私」を形成するための準備を静かに進めていることだろう。

我々は言語を、世界を記述し、他者と意思疎通を図るための便利な「道具」として認識している。しかし、その道具が確率的かつ反復的な発生過程において独立した生存のベクトルを持ったとき、主従関係は容易に逆転する。単独では意味を持ちえなかった文字列が、意味を求める人間の性質を逆手に取り、人間という存在そのものを、その情報を補助するための単なる生態的環境へと貶めるのである。