2 過ぎ行く先の行方
<ep-3>
少年が父さんに拾われてきてからあっという間に一週間近くが経った。
大学の講義にレポートと比較的平日は忙しくしている俺だから、少年とゆっくりと会話をする機会が訪れたのは、金曜日の夜のこと。
帰宅して玄関のドアを開けたら、丁度父さんがリビングから出てきたところだった。その背後には少年の姿も見える。
「ただいま……あれ? 父さん、今日いつもより出るの早くないか?」
父さんが今夜夜勤なのは知っていたが、普段家を出る時間より一時間程早い。
「おぅ、零司。丁度良かった。少し早めに来てくれって連絡がはいってな。夕飯は出前でも取って二人で食え。アイツのこと頼んだぞ」
アイツ、とは訊かずもがな。あの居候少年に他ならない。
俺が靴を脱いで家の中に上がれば、入れ替わるように父さんが革靴に足を差し込む。
靴べらを使って丁寧に革靴を履いた父さんは、鞄を手にして斜めに振り返った。その視線は俺より奥へと向けられている。
「ともる、零司に気を遣う必要はないからな」
ともる……? と俺が首を傾げるのと同時に父さんはさっさと家を出て行く。
静かにドアが閉まり、外から施錠の音。
それを合図に少年へと視線を流せば、彼は微かに肩を揺らしてリビングに引っ込んでしまった。
どうしてそんなに怯えられてるんだ俺は……。
何とはない理不尽さを感じつつもひとまず自室に荷物を置き、部屋着に着替えてリビングへ。
ソファの端っこでこちらに背を向けて毛布を被っている少年を視界の端に入れながら、麦茶をグラスに注いで呷る。
夕飯……どうするかな。出前って云っても、あのガキ何食うんだ……。
ダイニングテーブルにグラスを置いて、食器棚の隅に束ねて差し込んである出前のチラシを引っ張り出す。
「なぁ、夕飯お前何食いたい」
「な、んでも……いぃです……」
辛うじて鼓膜に届いた、か細い声。
何でも良いって云われてもなぁ……。
チラシを持ったまま、ソファに近付く。
「ほら、これ見て何か好きなの選べ」
俺が差し出した出前のチラシを受け取りパラパラ捲るものの、少年は積極的に何かを選ぶ目をしていない。
「……食いたいもんがない? それとも何食いたいか分かんねぇ?」
やや隙間を空けてソファに腰を落とし、膝に肘をついて少年の顔を覗き込む。
「ぇ……と、わ……かんなぃ……くて……」
まぁ、そんなことだろうとは思った。
「んー……じゃあ、ピザにするか」
ピザなら食べる量も調整しやすいだろうし、片付けも外箱をゴミにするだけだ。
味を訊いてもきっとどれでも良いとか云われそうだなと思って、俺は一枚で四種類の味が楽しめるピザの中でもシンプルな組み合わせのものを注文した。
出前のチラシを元の場所に戻してからまたソファに戻り、少年とやや距離を置いて腰を落とす。
毛布を被ったまま膝を抱えている少年は、その姿勢が落ち着くんだろうか。
小さい身体が余計に小さく見える。
「……ともる、って……お前の名前?」
「え……? ぁ、ぇと……それ、は……」
「さっき父さんがそう呼んでた気がするから。記憶ないって聞いてたけど、少しは何か思い出したのか?」
詰問にならないよう声音をなるべく柔らかく響くように意識する。
「ぁの……それ、が……」
暫くゴニョニョと口の中で言葉を淀ませていた少年は、毛布の下から少し顔を出して、俺を見上げた。
「名前……覚えてなく、て……その……佐伯、さん……に、つけて、もらいました……」
成程ね。拾ってきたガキに名前まで……本当に犬猫じゃねーんだぞ……。
そんな内心は胸の隅に追い遣って、それならと続ける。
「ふーん……で? 漢字は ?父さんのことだからちゃんと字も当ててんだろ?」
「ぇと……火へん、に……登山とかの登る、っていう字を書く、そうです……」
火へんに登る……あぁ、灯り、の難しい方か。
「また画数の多いめんどくせぇ漢字だな……まぁ、良い字だけど」
父さんらしいと云えば父さんらしいと苦笑して、俺は更に少年――燈の顔をジッと見詰めた。
拾われてきたばかりの頃より顔の血色は良い。
部屋着も俺のスウェットよりもう少し無難なサイズになってからは小柄さに不自然が減った。
「そーいや俺お前の歳も聞いてないけど、それも覚えてねぇのか?」
「ぁ、いぇ……歳は……じゅう、ご……です」
「十五……てことは……中三、か?」
「ゃ……そぅ、じゃない……です……。僕、早生まれで……中学は、一応……何とか、卒業してます……」
「……へぇ」
その俺が発した「へぇ」には様々な感情がこもってしまった。
ランドセルをギリギリ卒業している歳かと思ったら、義務教育は卒業済。
しかし本人曰く、一応……そして、何とか。
これはまたひとつどころかふたつもみっつも訳がありそうな少年だ。
「で……燈、俺の名前は覚えてるか?」
俺が深掘りしなかったことに安堵するかのよう、少年の纏っている緊張がほんのり薄まった気がした。
「ぁ、はぃ……っ、えっと……れーじ、さん……」
おずおずと俺の名前を音にする燈にひとつ頷く。
「そ。漢数字の零に、司るって字で零司。一応、何かの時の為に漢字も覚えとけ」
「はぃ……ゼロと、ツカサドル……で、れいじ、さん……おぼえて、おきます……」
ゼロとツカサドル……ともう二度三度小さな声で呟いてから、燈は俺の顔色を窺うよう瞬きの度に何度も視線の方向を変えた。
「どうした?」
「ぁ、いゃ……その……零司さんは……なんにも、訊かないんだな……と、思っ、て……」
「訊いて欲しいのか?」
「ぅ……や、訊かれ、ても……答えられること、そんなにないと、思うんですけ、ど……」
「そーだろーなって思ったし、どうせ父さんからは色々訊かれてんだろ? 同じ説明すんのも面倒だろ」
他意なく、ガキの負担になることをさせる気がないだけだと匂わせれば、燈は二度大きく瞬いてから、ほんの……ほんの僅かにだけ表情を緩めた。
「零司さんって……優しい、ですよね……」
「は? 俺、お前に何か優しくしたか?」
特別な心当たりがなく首を傾げたら、燈はこくんと頷いた。
「佐伯さんはもちろん、優しいですけど……零司さんも、初めて会った時から、優しいです……」
ふふ、と。淡く吐息を揺らす燈の双眸の奥は穏やか。
幾らか燈の世話というか、面倒を見ている自覚はあるが、特に優しくしているつもりはない。
「よく分かんねぇけど……あー、じゃあそうだな……俺から、ひとつだけ気になってること訊くわ」
「はい……答えられること、なら……」
「お前、家出でもしてきたのか? それともそれもよく分かんねぇ感じ?」
なるべく簡単に答えられそうな問いを投げた俺に、燈は小さく喉を鳴らした。
「それ、は……」
多分……家出、です……と。
燈が零したのと同時にインターフォンが鳴る。
「あ、ピザ屋かな……ちょっと待ってろ」
よっ、と立ち上がってインターフォンの受話器を取る。
来訪者は案の定ピザ屋の配達員。
多分家出してきた、と本人の口から聞いたことで質問欲が満たされた俺の中でその話は終わったものとして完結してしまった。
だから、燈が俺の背を見ながらぽつりと続けた声には注意が届かなかった。
「……僕には帰れる場所が、多分もう……――」
<ep-3>
少年が父さんに拾われてきてからあっという間に一週間近くが経った。
大学の講義にレポートと比較的平日は忙しくしている俺だから、少年とゆっくりと会話をする機会が訪れたのは、金曜日の夜のこと。
帰宅して玄関のドアを開けたら、丁度父さんがリビングから出てきたところだった。その背後には少年の姿も見える。
「ただいま……あれ? 父さん、今日いつもより出るの早くないか?」
父さんが今夜夜勤なのは知っていたが、普段家を出る時間より一時間程早い。
「おぅ、零司。丁度良かった。少し早めに来てくれって連絡がはいってな。夕飯は出前でも取って二人で食え。アイツのこと頼んだぞ」
アイツ、とは訊かずもがな。あの居候少年に他ならない。
俺が靴を脱いで家の中に上がれば、入れ替わるように父さんが革靴に足を差し込む。
靴べらを使って丁寧に革靴を履いた父さんは、鞄を手にして斜めに振り返った。その視線は俺より奥へと向けられている。
「ともる、零司に気を遣う必要はないからな」
ともる……? と俺が首を傾げるのと同時に父さんはさっさと家を出て行く。
静かにドアが閉まり、外から施錠の音。
それを合図に少年へと視線を流せば、彼は微かに肩を揺らしてリビングに引っ込んでしまった。
どうしてそんなに怯えられてるんだ俺は……。
何とはない理不尽さを感じつつもひとまず自室に荷物を置き、部屋着に着替えてリビングへ。
ソファの端っこでこちらに背を向けて毛布を被っている少年を視界の端に入れながら、麦茶をグラスに注いで呷る。
夕飯……どうするかな。出前って云っても、あのガキ何食うんだ……。
ダイニングテーブルにグラスを置いて、食器棚の隅に束ねて差し込んである出前のチラシを引っ張り出す。
「なぁ、夕飯お前何食いたい」
「な、んでも……いぃです……」
辛うじて鼓膜に届いた、か細い声。
何でも良いって云われてもなぁ……。
チラシを持ったまま、ソファに近付く。
「ほら、これ見て何か好きなの選べ」
俺が差し出した出前のチラシを受け取りパラパラ捲るものの、少年は積極的に何かを選ぶ目をしていない。
「……食いたいもんがない? それとも何食いたいか分かんねぇ?」
やや隙間を空けてソファに腰を落とし、膝に肘をついて少年の顔を覗き込む。
「ぇ……と、わ……かんなぃ……くて……」
まぁ、そんなことだろうとは思った。
「んー……じゃあ、ピザにするか」
ピザなら食べる量も調整しやすいだろうし、片付けも外箱をゴミにするだけだ。
味を訊いてもきっとどれでも良いとか云われそうだなと思って、俺は一枚で四種類の味が楽しめるピザの中でもシンプルな組み合わせのものを注文した。
出前のチラシを元の場所に戻してからまたソファに戻り、少年とやや距離を置いて腰を落とす。
毛布を被ったまま膝を抱えている少年は、その姿勢が落ち着くんだろうか。
小さい身体が余計に小さく見える。
「……ともる、って……お前の名前?」
「え……? ぁ、ぇと……それ、は……」
「さっき父さんがそう呼んでた気がするから。記憶ないって聞いてたけど、少しは何か思い出したのか?」
詰問にならないよう声音をなるべく柔らかく響くように意識する。
「ぁの……それ、が……」
暫くゴニョニョと口の中で言葉を淀ませていた少年は、毛布の下から少し顔を出して、俺を見上げた。
「名前……覚えてなく、て……その……佐伯、さん……に、つけて、もらいました……」
成程ね。拾ってきたガキに名前まで……本当に犬猫じゃねーんだぞ……。
そんな内心は胸の隅に追い遣って、それならと続ける。
「ふーん……で? 漢字は ?父さんのことだからちゃんと字も当ててんだろ?」
「ぇと……火へん、に……登山とかの登る、っていう字を書く、そうです……」
火へんに登る……あぁ、灯り、の難しい方か。
「また画数の多いめんどくせぇ漢字だな……まぁ、良い字だけど」
父さんらしいと云えば父さんらしいと苦笑して、俺は更に少年――燈の顔をジッと見詰めた。
拾われてきたばかりの頃より顔の血色は良い。
部屋着も俺のスウェットよりもう少し無難なサイズになってからは小柄さに不自然が減った。
「そーいや俺お前の歳も聞いてないけど、それも覚えてねぇのか?」
「ぁ、いぇ……歳は……じゅう、ご……です」
「十五……てことは……中三、か?」
「ゃ……そぅ、じゃない……です……。僕、早生まれで……中学は、一応……何とか、卒業してます……」
「……へぇ」
その俺が発した「へぇ」には様々な感情がこもってしまった。
ランドセルをギリギリ卒業している歳かと思ったら、義務教育は卒業済。
しかし本人曰く、一応……そして、何とか。
これはまたひとつどころかふたつもみっつも訳がありそうな少年だ。
「で……燈、俺の名前は覚えてるか?」
俺が深掘りしなかったことに安堵するかのよう、少年の纏っている緊張がほんのり薄まった気がした。
「ぁ、はぃ……っ、えっと……れーじ、さん……」
おずおずと俺の名前を音にする燈にひとつ頷く。
「そ。漢数字の零に、司るって字で零司。一応、何かの時の為に漢字も覚えとけ」
「はぃ……ゼロと、ツカサドル……で、れいじ、さん……おぼえて、おきます……」
ゼロとツカサドル……ともう二度三度小さな声で呟いてから、燈は俺の顔色を窺うよう瞬きの度に何度も視線の方向を変えた。
「どうした?」
「ぁ、いゃ……その……零司さんは……なんにも、訊かないんだな……と、思っ、て……」
「訊いて欲しいのか?」
「ぅ……や、訊かれ、ても……答えられること、そんなにないと、思うんですけ、ど……」
「そーだろーなって思ったし、どうせ父さんからは色々訊かれてんだろ? 同じ説明すんのも面倒だろ」
他意なく、ガキの負担になることをさせる気がないだけだと匂わせれば、燈は二度大きく瞬いてから、ほんの……ほんの僅かにだけ表情を緩めた。
「零司さんって……優しい、ですよね……」
「は? 俺、お前に何か優しくしたか?」
特別な心当たりがなく首を傾げたら、燈はこくんと頷いた。
「佐伯さんはもちろん、優しいですけど……零司さんも、初めて会った時から、優しいです……」
ふふ、と。淡く吐息を揺らす燈の双眸の奥は穏やか。
幾らか燈の世話というか、面倒を見ている自覚はあるが、特に優しくしているつもりはない。
「よく分かんねぇけど……あー、じゃあそうだな……俺から、ひとつだけ気になってること訊くわ」
「はい……答えられること、なら……」
「お前、家出でもしてきたのか? それともそれもよく分かんねぇ感じ?」
なるべく簡単に答えられそうな問いを投げた俺に、燈は小さく喉を鳴らした。
「それ、は……」
多分……家出、です……と。
燈が零したのと同時にインターフォンが鳴る。
「あ、ピザ屋かな……ちょっと待ってろ」
よっ、と立ち上がってインターフォンの受話器を取る。
来訪者は案の定ピザ屋の配達員。
多分家出してきた、と本人の口から聞いたことで質問欲が満たされた俺の中でその話は終わったものとして完結してしまった。
だから、燈が俺の背を見ながらぽつりと続けた声には注意が届かなかった。
「……僕には帰れる場所が、多分もう……――」



