「それが、先生の知っている全てですか?」
格子窓から差し込む春のひかりを顔に受けながら、浅野美嘉は僕の顔を覗き込むように言った。
僕はちいさく頷きながら、いつだったか田端瑠夏が座っていた椅子に座る彼女の目を見つめた。清潔感のある白いシャツに身を包み、うっすらと茶色がかった髪は綺麗に後ろに束ねられている。
「事の発端が起きてから現在に至るまで、集められる資料は僕なりに全て集めたつもりでいます」
浅野美嘉が僕のカウンセリングルームを訪れたのは、つい先日のことだった。SNSが原因でふさぎ込み、自分なりになんとか立ち直ろうとはしたが無理だった。もう、生きる気力みたいなものを全て使い果たしてしまった気がします。初診で彼女はそう言った。僕は彼女から事の経緯を聞き、カウンセリングを始めてから間もないうちに彼女──田端瑠夏との繋がりを知った。
「あの、どうしてこれを私に」
「知りたくありませんでしたか?」
「えっ」
「あなたはあの時、SNSの暴風雨の中の中心にいた。目まぐるしく変わる状況に理解も追いついていなかったでしょう? あなたが心に傷を負った一番の要因は恐らくこれです。自分が引き起こした。私のせいだ。でも、なにがなんだか分からない。世界中のどこにも私の居場所なんかない。こんな風に考えていませんでしたか?」
問いかけると、浅野美嘉はちいさく頷きながら「ほんとにそんな感じでした」と呟いた。
「順を追って説明をさせて頂くのがあなたの心に掛かる負荷を取り除く最短ルートだと思ったんです。偶然にもこの件に関しては個人的に調べていたのが功を奏しました。それに」
「それに?」
僕は、浅野美嘉の顔をみながら、田端瑠夏の顔を思い浮かべ、椅子に座る彼女の顔に重ねた。
──先生、最後にひとつだけお願いがあります。たぶん私はもうすぐ人知れず消えるでしょうから。未来みたいに。
あの日、田端瑠夏は僕の目をみながらそう言った。
「彼女から頼まれたんです」
「彼女とは?」
「田端瑠夏さんです。全ての原因は私の家族にある。だからせめてもの償いをしたい。これから先、あの言葉に侵され悩まれた方、あるいは残された家族や友人が先生の元を訪ねるかもしれない。だから、私が話した内容は全て話してあげてください。理由も分からず大切な人がいなくなるのは一番辛いですからって。本来公開することのないカウンセリングの内容をあなたに話したのはそれが理由です」
田端瑠夏はそれを告げた二週間後、行方不明になった。最後に会った時、「僕になにか出来ることはないか」そう尋ねると、彼女は真っすぐに僕の目をみて「先生は一人でも多くの方を助けてください」と呟いた。
「それからこれも。大きなニュースにはなりませんでしたが、〇〇県の湖の底から白いワゴン車が見つかり、中から三人分の白骨遺体が発見されたそうです。成人した男女の遺体が二つと、子供のものが一つ。死後三年から五年は経過していたそうです」
「え」
「田端瑠夏の証言や位置関係、遺体の状況から考えてまず間違いなく彼女の家族でしょう」
浅野美嘉は目を見開き、「なにが、どう、えっ?」とぶつりぶつりと言葉を呟きながら天を仰いだ。田端瑠夏の家族は、SNSで騒ぎになった数週間後に煙のように姿を消した。だが、実際はその一年前には恐らく亡くなっている。
「じゃ、あ、私がインタビューしたのは誰だったんですか?」
「分かりません」
「だって、ちゃんと受け答え、映像にも」
「ええ。理解出来ないことばかりです。僕たちは、もしかしたらみてはいけない深淵を偶然にも多く人たちと一緒に共有してしまったのかもしれません」
浅野美嘉は身体を揺らしながら机に伏し、両手で自らの髪をむしり「私は、私たちはこれから先どうしたらいいんですか」と言った。微かに目に水が張っている気がした。
「それは」
頭のなかで声がする。彼女だ。花が枯れる寸前の、最も美しい時を身に纏っているかのような、綺麗な人だった。
──先生は、一人でも多くの方を助けてあげてください。あと、
──あのお寺の方がおっしゃってくださったように全て忘れてください。それが、私の唯一の願いです。
「生きることです」
無意識に口にしていた。
「彼女たちは煙のように消えたんです。いつかまた同じように戻ってくるかもしれない。だからそれまでは、死に物狂いで生きましょう」
テーブルのうえに置いていた書類を手に取った。この日のために僕が集めてきた資料だ。これはもういりませんよね? 最後にそう問いかけると、浅野美嘉は頷いた。それを確認してから僕は一思いに破り捨てた。
格子窓から差し込む春のひかりを顔に受けながら、浅野美嘉は僕の顔を覗き込むように言った。
僕はちいさく頷きながら、いつだったか田端瑠夏が座っていた椅子に座る彼女の目を見つめた。清潔感のある白いシャツに身を包み、うっすらと茶色がかった髪は綺麗に後ろに束ねられている。
「事の発端が起きてから現在に至るまで、集められる資料は僕なりに全て集めたつもりでいます」
浅野美嘉が僕のカウンセリングルームを訪れたのは、つい先日のことだった。SNSが原因でふさぎ込み、自分なりになんとか立ち直ろうとはしたが無理だった。もう、生きる気力みたいなものを全て使い果たしてしまった気がします。初診で彼女はそう言った。僕は彼女から事の経緯を聞き、カウンセリングを始めてから間もないうちに彼女──田端瑠夏との繋がりを知った。
「あの、どうしてこれを私に」
「知りたくありませんでしたか?」
「えっ」
「あなたはあの時、SNSの暴風雨の中の中心にいた。目まぐるしく変わる状況に理解も追いついていなかったでしょう? あなたが心に傷を負った一番の要因は恐らくこれです。自分が引き起こした。私のせいだ。でも、なにがなんだか分からない。世界中のどこにも私の居場所なんかない。こんな風に考えていませんでしたか?」
問いかけると、浅野美嘉はちいさく頷きながら「ほんとにそんな感じでした」と呟いた。
「順を追って説明をさせて頂くのがあなたの心に掛かる負荷を取り除く最短ルートだと思ったんです。偶然にもこの件に関しては個人的に調べていたのが功を奏しました。それに」
「それに?」
僕は、浅野美嘉の顔をみながら、田端瑠夏の顔を思い浮かべ、椅子に座る彼女の顔に重ねた。
──先生、最後にひとつだけお願いがあります。たぶん私はもうすぐ人知れず消えるでしょうから。未来みたいに。
あの日、田端瑠夏は僕の目をみながらそう言った。
「彼女から頼まれたんです」
「彼女とは?」
「田端瑠夏さんです。全ての原因は私の家族にある。だからせめてもの償いをしたい。これから先、あの言葉に侵され悩まれた方、あるいは残された家族や友人が先生の元を訪ねるかもしれない。だから、私が話した内容は全て話してあげてください。理由も分からず大切な人がいなくなるのは一番辛いですからって。本来公開することのないカウンセリングの内容をあなたに話したのはそれが理由です」
田端瑠夏はそれを告げた二週間後、行方不明になった。最後に会った時、「僕になにか出来ることはないか」そう尋ねると、彼女は真っすぐに僕の目をみて「先生は一人でも多くの方を助けてください」と呟いた。
「それからこれも。大きなニュースにはなりませんでしたが、〇〇県の湖の底から白いワゴン車が見つかり、中から三人分の白骨遺体が発見されたそうです。成人した男女の遺体が二つと、子供のものが一つ。死後三年から五年は経過していたそうです」
「え」
「田端瑠夏の証言や位置関係、遺体の状況から考えてまず間違いなく彼女の家族でしょう」
浅野美嘉は目を見開き、「なにが、どう、えっ?」とぶつりぶつりと言葉を呟きながら天を仰いだ。田端瑠夏の家族は、SNSで騒ぎになった数週間後に煙のように姿を消した。だが、実際はその一年前には恐らく亡くなっている。
「じゃ、あ、私がインタビューしたのは誰だったんですか?」
「分かりません」
「だって、ちゃんと受け答え、映像にも」
「ええ。理解出来ないことばかりです。僕たちは、もしかしたらみてはいけない深淵を偶然にも多く人たちと一緒に共有してしまったのかもしれません」
浅野美嘉は身体を揺らしながら机に伏し、両手で自らの髪をむしり「私は、私たちはこれから先どうしたらいいんですか」と言った。微かに目に水が張っている気がした。
「それは」
頭のなかで声がする。彼女だ。花が枯れる寸前の、最も美しい時を身に纏っているかのような、綺麗な人だった。
──先生は、一人でも多くの方を助けてあげてください。あと、
──あのお寺の方がおっしゃってくださったように全て忘れてください。それが、私の唯一の願いです。
「生きることです」
無意識に口にしていた。
「彼女たちは煙のように消えたんです。いつかまた同じように戻ってくるかもしれない。だからそれまでは、死に物狂いで生きましょう」
テーブルのうえに置いていた書類を手に取った。この日のために僕が集めてきた資料だ。これはもういりませんよね? 最後にそう問いかけると、浅野美嘉は頷いた。それを確認してから僕は一思いに破り捨てた。
