〜浅倉琉生〜
午後の授業は、午前と少しだけ時間の進み方が違う。昼休みの余韻がまだ机の上に残っていて、窓から差し込む光は柔らかく、どこか眠気を誘う。黒板に走るチョークの音が、静かな波のように教室を横切る。数学の時間だった。佐藤先生が数式を書き連ねるたび、白い粉が淡く舞う。六月の空気は湿り気を帯びていて、カーテンがわずかに揺れている。風は強くない。ただ、存在を主張しない程度に通り抜けていく。
隣の永瀬は、姿勢を崩さずノートを取っている。無駄のない筆跡。先生の説明に合わせて、必要なところだけを的確に拾う。ときどき視線を上げ、理解を確認するように小さく頷く。その動きは自然で、過度な自己主張がない。こちらが問題に手間取っていると、彼はさりげなくノートを少しだけ寄せる。
「ここ、こうじゃない?」
指先で示すのは、ほんの一行。
「……ああ」
それだけで、式はすっと解ける。過剰な説明はない。できることをできる形で置いていく。それが彼のやり方だ。
前の席では、水沢がシャーペンを走らせている。集中しているときの彼女は、普段よりも静かだ。けれど、表情は硬くならない。問題を解き終えると、小さく息を吐き、視線を窓の外へ逃がす。思考を一度ほどくような仕草。
...と、佐藤先生に指名され、そそくさと黒板に向かう。
「えっと……」
一瞬の間のあと、滑らかに答えを書き出す。迷いは少ない。説明も簡潔だ。教室の何人かが頷く。席に戻るとき、こちらに気づき、目だけで軽く合図を送る。成功を誇示するでもなく、ただ共有するように。
教室の後方では、遠山楓理が小さく身を乗り出している。佐藤先生の問いに対して、半ば勢いで手を挙げる。
「はい!」
声は明るく、やや大きい。答えが正解でも不正解でも、あまり気にしていない様子だ。大切なのは、場に参加しているという実感なのかもしれない。発言のあと、周囲をちらりと見渡す。その視線は、どこか自信に満ちている。
立花結衣は、水沢の隣で静かにメモをとっている。彼女のノートは整っている。字は細く、余白が美しい。佐藤先生の言葉をそのまま写すのではなく、自分なりに整理しているのがわかる。
授業の後半、グループで問題を解く時間が設けられた。机を寄せる音が重なる。班の四人が向かい合う。
「ここ、ちょっと難しいね」
水沢がプリントを見つめる。
「場合分けかな」
永瀬が言う。立花が小さく頷く。
「たぶん、二通り」
紙の上で、数字が静かに並び替えられていく。意見がぶつかることはない。だが、ただ同調するわけでもない。それぞれが考えを置き、必要なら修正する。遠くで楓理の声が聞こえる。
「えー、それ絶対違うって!」
教室の空気がわずかに揺れる。班の中では、静かな集中が続いていた。
チャイムが鳴る。授業の終わりを告げる乾いた音。机を元に戻す。椅子が床を擦る音が重なり、教室は再びざわめきを取り戻す。窓の外、空は少しだけ色を変えていた。青に、わずかな白が混ざる。午後は確実に進んでいる。何かが劇的に変わるわけではない。けれど、こうして同じ時間を共有することが、少しずつ輪郭を整えていく。浅倉琉生は、ノートを閉じる。ページの端に残った鉛筆の跡が、今日という一日の証のように思えた。教室のざわめきの中で、自分の居場所はまだ完全ではない。だが、確かにここにある。午後の光が、机の上を静かに滑っていった。
午後の授業は、午前と少しだけ時間の進み方が違う。昼休みの余韻がまだ机の上に残っていて、窓から差し込む光は柔らかく、どこか眠気を誘う。黒板に走るチョークの音が、静かな波のように教室を横切る。数学の時間だった。佐藤先生が数式を書き連ねるたび、白い粉が淡く舞う。六月の空気は湿り気を帯びていて、カーテンがわずかに揺れている。風は強くない。ただ、存在を主張しない程度に通り抜けていく。
隣の永瀬は、姿勢を崩さずノートを取っている。無駄のない筆跡。先生の説明に合わせて、必要なところだけを的確に拾う。ときどき視線を上げ、理解を確認するように小さく頷く。その動きは自然で、過度な自己主張がない。こちらが問題に手間取っていると、彼はさりげなくノートを少しだけ寄せる。
「ここ、こうじゃない?」
指先で示すのは、ほんの一行。
「……ああ」
それだけで、式はすっと解ける。過剰な説明はない。できることをできる形で置いていく。それが彼のやり方だ。
前の席では、水沢がシャーペンを走らせている。集中しているときの彼女は、普段よりも静かだ。けれど、表情は硬くならない。問題を解き終えると、小さく息を吐き、視線を窓の外へ逃がす。思考を一度ほどくような仕草。
...と、佐藤先生に指名され、そそくさと黒板に向かう。
「えっと……」
一瞬の間のあと、滑らかに答えを書き出す。迷いは少ない。説明も簡潔だ。教室の何人かが頷く。席に戻るとき、こちらに気づき、目だけで軽く合図を送る。成功を誇示するでもなく、ただ共有するように。
教室の後方では、遠山楓理が小さく身を乗り出している。佐藤先生の問いに対して、半ば勢いで手を挙げる。
「はい!」
声は明るく、やや大きい。答えが正解でも不正解でも、あまり気にしていない様子だ。大切なのは、場に参加しているという実感なのかもしれない。発言のあと、周囲をちらりと見渡す。その視線は、どこか自信に満ちている。
立花結衣は、水沢の隣で静かにメモをとっている。彼女のノートは整っている。字は細く、余白が美しい。佐藤先生の言葉をそのまま写すのではなく、自分なりに整理しているのがわかる。
授業の後半、グループで問題を解く時間が設けられた。机を寄せる音が重なる。班の四人が向かい合う。
「ここ、ちょっと難しいね」
水沢がプリントを見つめる。
「場合分けかな」
永瀬が言う。立花が小さく頷く。
「たぶん、二通り」
紙の上で、数字が静かに並び替えられていく。意見がぶつかることはない。だが、ただ同調するわけでもない。それぞれが考えを置き、必要なら修正する。遠くで楓理の声が聞こえる。
「えー、それ絶対違うって!」
教室の空気がわずかに揺れる。班の中では、静かな集中が続いていた。
チャイムが鳴る。授業の終わりを告げる乾いた音。机を元に戻す。椅子が床を擦る音が重なり、教室は再びざわめきを取り戻す。窓の外、空は少しだけ色を変えていた。青に、わずかな白が混ざる。午後は確実に進んでいる。何かが劇的に変わるわけではない。けれど、こうして同じ時間を共有することが、少しずつ輪郭を整えていく。浅倉琉生は、ノートを閉じる。ページの端に残った鉛筆の跡が、今日という一日の証のように思えた。教室のざわめきの中で、自分の居場所はまだ完全ではない。だが、確かにここにある。午後の光が、机の上を静かに滑っていった。
