〜浅倉琉生〜
放課後の校舎は、昼間とは別の静けさをまとっている。授業の終わりを告げるチャイムが遠ざかり、委員会へ向かう足音が階段を駆け下りていくと、廊下には長い余白が残る。窓の外では、六月の光がやわらかく傾きはじめていた。多目的室の扉を開けると、数人の生徒がすでに集まっている。その中に、水沢の姿があった。
―――転校して三日目の午後、まだ教室の空気の温度も測りきれないまま、黒板に「委員会」と大きく書かれた。立候補の声が上がり、推薦の笑いが起こり、どこか既視感のある流れの中で役割が決まっていく。立花結衣は生活委員を選び、遠山楓理は勢いよく文化委員へと手を挙げた。永瀬樹は控えめに整美委員に落ち着き、周囲の納得を自然に引き受けていた。
琉生は、しばらく様子を見ていた。前に出るほどの確信はなく、何もしないまま残ることにも違和感がある。そんな曖昧な心持ちのまま手を挙げたのが、福祉委員会だった。理由は明確ではない。ただ、静かな場所がいいと思っただけだ。
名簿が配られたとき、そこに水沢莉央の名前を見つけた。彼女がどんな表情でその欄を選んだのかはわからない。ただ、同じ行に並んだ文字が、どこか安心を伴って目に入った―――
「同じだったね」
振り返り、穏やかに笑う。声は小さいが、確かに届く。
「うん、よろしく。」
それだけの返答でも、間は空白にならなかった。
顧問の教師が活動内容を説明する。校内の掲示物の管理、ボランティア活動の補助、募金の準備、地域施設への手紙作成。どれも目立つものではない。だが、誰かの手を経由して、どこかへとつながる役目だ。
机を寄せ、簡単な役割分担が始まる。水沢は自然にホワイトボードの前に立ち、予定を書き出した。大きくも小さくもない文字。整いすぎず、乱れもしない。
「来月の清掃ボランティア、担当決めちゃおうか」
促すようでいて、押しつけない。琉生は配布資料の整理を引き受ける。紙を順に揃え、枚数を数え、机の上に重ねる。単調な作業だが、心は不思議と落ち着いていた。水沢がふと横目で見る。
「こういうの、嫌じゃないでしょ」
「まあ」
曖昧な返事に、彼女は小さく頷く。
「目立たないけど、大事なんだよね」
その言葉には軽さがない。普段は明るい彼女が、少しだけ深い声音で言うと、それだけで空気が変わる。
会議は穏やかに進み、特別な波風も立たずに終わった。窓の外はすでに夕暮れへと傾き、校庭の端が薄い橙色に染まっている。片付けをしながら、水沢が静かに言った。
「委員会決めのとき、ちょっと迷ったんだ」
椅子を机に入れる音が重なる。
「でも、ここかなって思って」
「どうして?」
問いかけると、彼女は少しだけ視線を遠くに置いた。
「派手じゃないから」
短い言葉のあと、続ける。
「目立たない場所のほうが、ちゃんと見えることもあるでしょ」
廊下に出ると、部活動の掛け声が遠くに響いている。昼間の喧騒はなく、声は薄い壁を通して柔らかく届く。階段を並んで下りる。足音は重ならず、それでも歩幅は自然と揃う。
「琉生、合ってると思うよ」
唐突に言われ、足を止めそうになる。
「何が...?」
「委員会」
それ以上の説明はない。だが、必要もなかった。
昇降口を出ると、夕風が頬を撫でる。校門の向こうで、新田が誰かと笑い合っている。楓理の声が弾む。にぎやかな輪郭が、遠景のように広がっている。その光景を横目に、水沢は少しだけ目を細めた。
「静かなほうが、続く気がするんだ」
独り言のような呟き。琉生は答えない。ただ、その隣に立つ。福祉委員会の活動は、これから何度も繰り返されるだろう。掲示を貼り替え、手紙を書き、募金箱を抱えて立つ。派手さはない。だが、確かな重みがある。夕陽が校舎の窓を一枚ずつ照らし、やがて群青に溶けていく。静かな役割の中で、ふたりの歩幅は、少しずつ揃いはじめていた。
放課後の校舎は、昼間とは別の静けさをまとっている。授業の終わりを告げるチャイムが遠ざかり、委員会へ向かう足音が階段を駆け下りていくと、廊下には長い余白が残る。窓の外では、六月の光がやわらかく傾きはじめていた。多目的室の扉を開けると、数人の生徒がすでに集まっている。その中に、水沢の姿があった。
―――転校して三日目の午後、まだ教室の空気の温度も測りきれないまま、黒板に「委員会」と大きく書かれた。立候補の声が上がり、推薦の笑いが起こり、どこか既視感のある流れの中で役割が決まっていく。立花結衣は生活委員を選び、遠山楓理は勢いよく文化委員へと手を挙げた。永瀬樹は控えめに整美委員に落ち着き、周囲の納得を自然に引き受けていた。
琉生は、しばらく様子を見ていた。前に出るほどの確信はなく、何もしないまま残ることにも違和感がある。そんな曖昧な心持ちのまま手を挙げたのが、福祉委員会だった。理由は明確ではない。ただ、静かな場所がいいと思っただけだ。
名簿が配られたとき、そこに水沢莉央の名前を見つけた。彼女がどんな表情でその欄を選んだのかはわからない。ただ、同じ行に並んだ文字が、どこか安心を伴って目に入った―――
「同じだったね」
振り返り、穏やかに笑う。声は小さいが、確かに届く。
「うん、よろしく。」
それだけの返答でも、間は空白にならなかった。
顧問の教師が活動内容を説明する。校内の掲示物の管理、ボランティア活動の補助、募金の準備、地域施設への手紙作成。どれも目立つものではない。だが、誰かの手を経由して、どこかへとつながる役目だ。
机を寄せ、簡単な役割分担が始まる。水沢は自然にホワイトボードの前に立ち、予定を書き出した。大きくも小さくもない文字。整いすぎず、乱れもしない。
「来月の清掃ボランティア、担当決めちゃおうか」
促すようでいて、押しつけない。琉生は配布資料の整理を引き受ける。紙を順に揃え、枚数を数え、机の上に重ねる。単調な作業だが、心は不思議と落ち着いていた。水沢がふと横目で見る。
「こういうの、嫌じゃないでしょ」
「まあ」
曖昧な返事に、彼女は小さく頷く。
「目立たないけど、大事なんだよね」
その言葉には軽さがない。普段は明るい彼女が、少しだけ深い声音で言うと、それだけで空気が変わる。
会議は穏やかに進み、特別な波風も立たずに終わった。窓の外はすでに夕暮れへと傾き、校庭の端が薄い橙色に染まっている。片付けをしながら、水沢が静かに言った。
「委員会決めのとき、ちょっと迷ったんだ」
椅子を机に入れる音が重なる。
「でも、ここかなって思って」
「どうして?」
問いかけると、彼女は少しだけ視線を遠くに置いた。
「派手じゃないから」
短い言葉のあと、続ける。
「目立たない場所のほうが、ちゃんと見えることもあるでしょ」
廊下に出ると、部活動の掛け声が遠くに響いている。昼間の喧騒はなく、声は薄い壁を通して柔らかく届く。階段を並んで下りる。足音は重ならず、それでも歩幅は自然と揃う。
「琉生、合ってると思うよ」
唐突に言われ、足を止めそうになる。
「何が...?」
「委員会」
それ以上の説明はない。だが、必要もなかった。
昇降口を出ると、夕風が頬を撫でる。校門の向こうで、新田が誰かと笑い合っている。楓理の声が弾む。にぎやかな輪郭が、遠景のように広がっている。その光景を横目に、水沢は少しだけ目を細めた。
「静かなほうが、続く気がするんだ」
独り言のような呟き。琉生は答えない。ただ、その隣に立つ。福祉委員会の活動は、これから何度も繰り返されるだろう。掲示を貼り替え、手紙を書き、募金箱を抱えて立つ。派手さはない。だが、確かな重みがある。夕陽が校舎の窓を一枚ずつ照らし、やがて群青に溶けていく。静かな役割の中で、ふたりの歩幅は、少しずつ揃いはじめていた。
