〜水沢莉央〜
休日の午前、空は淡く澄んでいた。駅前から出ている無料シャトルバスに揺られながら、窓の外を眺めていた。等間隔に並ぶ街路樹、ガラスに反射する陽光、どこか所在なげに歩く人影。平日の学校とは違う、ゆるやかな時間の流れがある。隣には立花結衣が座っている。膝の上に小さなトートバッグを置き、両手を揃えている姿は相変わらず整っている。休日だからといって大きく装うわけでもなく、けれど細部にささやかな気遣いがある。薄いベージュのカーディガンが、彼女の柔らかさをそのまま形にしたようだった。
「混んでるかな」
結衣が小さく言う。
「昼前だし、たぶん大丈夫」
そう答えながら、私は自分の声が少しだけ弾んでいるのを感じていた。理由は特別なことではない。ただ、こうして学校の外で誰かと会う時間が、思いのほか好きなのだ。ショッピングモールは、白い外壁が光を跳ね返し、広いガラス扉の向こうにひんやりとした空気を抱えている。中へ入ると、柔らかな香りと控えめな音楽が迎えてくれた。天井は高く、吹き抜けの空間が視界を縦に伸ばしている。休日の人波は穏やかだ。家族連れ、手をつないだ恋人同士、友人同士の笑い声。誰もが急いではいない。莉央はふと、昨日の放課後を思い出す。駅までの帰り道、長く伸びる影。琉生は、まだ完全に溶け込んだわけではない。それでも、あの並びの中で違和感なく歩いていた。少しずつ、輪郭が柔らかくなっている。
「まず、どこ見る?」
「新しいショップ、できたって聞いた」
そう言って、二階のアパレルフロアへ向かう。エスカレーターの手すりに触れると、冷たい感触が指先を引き締める。新しい店は、ガラス越しに淡い色合いの服が並んでいた。白や薄青、くすんだピンク。どれも主張しすぎず、それでいて目を引く。流行を追いすぎない、少しだけ背伸びしたデザイン。結衣が一枚のブラウスを手に取る。
「これ、きれい」
小さな声。だが、その目は確かだ。
「似合いそう」
そう言うと、彼女は少しだけ困ったように笑う。
「派手じゃないかな」
「全然。むしろ、ちょうどいい」
鏡の前に立つ結衣は、学校で見るより少しだけ大人びて見えた。光の当たり方のせいかもしれない。あるいは、休日という余白が彼女の雰囲気を際立たせているのか。莉央は自分でも一着手に取る。淡いグレーのワンピース。布地は軽く、風を含みそうだ。鏡越しに目が合う。
「莉央は、そういうの似合うと思う」
結衣が言う。
「背伸びしすぎかな」
「ううん。自然」
短い会話。だが、十分だった。試着室のカーテンを閉めると、外の音が遠のく。ひとりきりの小さな空間。布の擦れる音だけが響く。鏡の中の自分は、少し違って見える。学校での自分、友人といる自分、そして今、ひとりで立っている自分。どれも本物だが、微妙に表情が異なる。カーテンを開けると、結衣が待っていた。
「いいと思う」
素直な感想。過剰な賛辞はない。買うかどうかはまだ決めない。ただ、こうして迷う時間も悪くない。
店を出ると、吹き抜けから下階が見える。中央のイベントスペースでは、子ども向けのワークショップが開かれているらしい。カラフルな風船が揺れている。
「お腹すいたね」
結衣が言う。
「うん」
フードコートへ向かう。窓際の席が空いていた。トレーを置き、向かい合う。人のざわめきはあるが、不思議と落ち着く。天井の照明が柔らかく、テーブルの上に淡い影を落とす。結衣がストローを回しながら、ぽつりと口にする。
「琉生くん、少し変わったよね」
やはり同じことを思っていたらしい。
「うん。最初より、目が上がってる」
「目?」
「周りを見る余裕、みたいな」
言葉にしてみると、自分でも少し照れくさい。
結衣は小さく笑う。
「莉央、よく見てる」
「結衣もでしょ」
否定はしない。ただ、視線を落とすだけだ。永瀬の静かな気遣いも、楓理の勢いも、それぞれが違う方向から琉生を包んでいる。自分はそのどこに立っているのか、はっきりとはわからない。けれど、そっと隣にいられたらいいと思う。食事を終え、雑貨店をのぞく。小さなガラスのアクセサリーが光を反射している。結衣が青いイヤリングを手に取る。
「きれい」
「海みたい」
初夏の色だ。店を出るころには、外の光が少し傾き始めていた。ガラス越しの空が、淡いオレンジを帯びている。学校の外で過ごす時間は、日常を別の角度から照らしてくれる。友人たちの姿も、少し違って見える。
「今日はありがとう」
結衣が言う。
「こちらこそ」
短い言葉。それで十分だ。
バスが到着し、扉が開く。乗り込むと、窓の外にモールの白い壁が遠ざかっていく。来週、また教室で会う。いつもの席、いつもの光。その中でも、何かしらは少しずつ変化し続ける。...自分は今の自分のままでいられるだろうか。何も変わらない、今の自分のままで。莉央は窓に映る自分を見つめ、静かに目を細めた。日常は続く。だが、その中で変わっていくものがある。それを見逃さないでいたいと、思った。
見逃したく、なかった。
休日の午前、空は淡く澄んでいた。駅前から出ている無料シャトルバスに揺られながら、窓の外を眺めていた。等間隔に並ぶ街路樹、ガラスに反射する陽光、どこか所在なげに歩く人影。平日の学校とは違う、ゆるやかな時間の流れがある。隣には立花結衣が座っている。膝の上に小さなトートバッグを置き、両手を揃えている姿は相変わらず整っている。休日だからといって大きく装うわけでもなく、けれど細部にささやかな気遣いがある。薄いベージュのカーディガンが、彼女の柔らかさをそのまま形にしたようだった。
「混んでるかな」
結衣が小さく言う。
「昼前だし、たぶん大丈夫」
そう答えながら、私は自分の声が少しだけ弾んでいるのを感じていた。理由は特別なことではない。ただ、こうして学校の外で誰かと会う時間が、思いのほか好きなのだ。ショッピングモールは、白い外壁が光を跳ね返し、広いガラス扉の向こうにひんやりとした空気を抱えている。中へ入ると、柔らかな香りと控えめな音楽が迎えてくれた。天井は高く、吹き抜けの空間が視界を縦に伸ばしている。休日の人波は穏やかだ。家族連れ、手をつないだ恋人同士、友人同士の笑い声。誰もが急いではいない。莉央はふと、昨日の放課後を思い出す。駅までの帰り道、長く伸びる影。琉生は、まだ完全に溶け込んだわけではない。それでも、あの並びの中で違和感なく歩いていた。少しずつ、輪郭が柔らかくなっている。
「まず、どこ見る?」
「新しいショップ、できたって聞いた」
そう言って、二階のアパレルフロアへ向かう。エスカレーターの手すりに触れると、冷たい感触が指先を引き締める。新しい店は、ガラス越しに淡い色合いの服が並んでいた。白や薄青、くすんだピンク。どれも主張しすぎず、それでいて目を引く。流行を追いすぎない、少しだけ背伸びしたデザイン。結衣が一枚のブラウスを手に取る。
「これ、きれい」
小さな声。だが、その目は確かだ。
「似合いそう」
そう言うと、彼女は少しだけ困ったように笑う。
「派手じゃないかな」
「全然。むしろ、ちょうどいい」
鏡の前に立つ結衣は、学校で見るより少しだけ大人びて見えた。光の当たり方のせいかもしれない。あるいは、休日という余白が彼女の雰囲気を際立たせているのか。莉央は自分でも一着手に取る。淡いグレーのワンピース。布地は軽く、風を含みそうだ。鏡越しに目が合う。
「莉央は、そういうの似合うと思う」
結衣が言う。
「背伸びしすぎかな」
「ううん。自然」
短い会話。だが、十分だった。試着室のカーテンを閉めると、外の音が遠のく。ひとりきりの小さな空間。布の擦れる音だけが響く。鏡の中の自分は、少し違って見える。学校での自分、友人といる自分、そして今、ひとりで立っている自分。どれも本物だが、微妙に表情が異なる。カーテンを開けると、結衣が待っていた。
「いいと思う」
素直な感想。過剰な賛辞はない。買うかどうかはまだ決めない。ただ、こうして迷う時間も悪くない。
店を出ると、吹き抜けから下階が見える。中央のイベントスペースでは、子ども向けのワークショップが開かれているらしい。カラフルな風船が揺れている。
「お腹すいたね」
結衣が言う。
「うん」
フードコートへ向かう。窓際の席が空いていた。トレーを置き、向かい合う。人のざわめきはあるが、不思議と落ち着く。天井の照明が柔らかく、テーブルの上に淡い影を落とす。結衣がストローを回しながら、ぽつりと口にする。
「琉生くん、少し変わったよね」
やはり同じことを思っていたらしい。
「うん。最初より、目が上がってる」
「目?」
「周りを見る余裕、みたいな」
言葉にしてみると、自分でも少し照れくさい。
結衣は小さく笑う。
「莉央、よく見てる」
「結衣もでしょ」
否定はしない。ただ、視線を落とすだけだ。永瀬の静かな気遣いも、楓理の勢いも、それぞれが違う方向から琉生を包んでいる。自分はそのどこに立っているのか、はっきりとはわからない。けれど、そっと隣にいられたらいいと思う。食事を終え、雑貨店をのぞく。小さなガラスのアクセサリーが光を反射している。結衣が青いイヤリングを手に取る。
「きれい」
「海みたい」
初夏の色だ。店を出るころには、外の光が少し傾き始めていた。ガラス越しの空が、淡いオレンジを帯びている。学校の外で過ごす時間は、日常を別の角度から照らしてくれる。友人たちの姿も、少し違って見える。
「今日はありがとう」
結衣が言う。
「こちらこそ」
短い言葉。それで十分だ。
バスが到着し、扉が開く。乗り込むと、窓の外にモールの白い壁が遠ざかっていく。来週、また教室で会う。いつもの席、いつもの光。その中でも、何かしらは少しずつ変化し続ける。...自分は今の自分のままでいられるだろうか。何も変わらない、今の自分のままで。莉央は窓に映る自分を見つめ、静かに目を細めた。日常は続く。だが、その中で変わっていくものがある。それを見逃さないでいたいと、思った。
見逃したく、なかった。
