〜浅倉琉生〜
転校してきて、一週間が過ぎた。七日間という時間は、思いのほか素直だ。急に親密になるわけでも、劇的に何かが変わるわけでもない。ただ、朝の空気に混じる匂いや、階段の段差の癖、教室のざわめきの高さが、身体に馴染みはじめる。それだけで、世界は少しだけ角を失う。月曜の朝、窓から差す光は白く、机の木目を淡く浮かび上がらせていた。鞄を下ろすと、隣の永瀬が顔を上げる。
「おはよう」
抑えた声色。過度に明るくもなく、冷たくもない。ちょうどいい温度で、言葉を差し出してくる。
挨拶を返すと、彼はわずかに口元を緩めた。会話はそれ以上広がらない。それでも気まずさはない。沈黙が空白にならず、ただの時間として流れる。その感覚に、ようやく慣れてきた。一時間目が終わると、教室の空気は緩む。楓理が後ろの席から身を乗り出した。
「ねえ聞いて、昨日さ——」
言葉は勢いよく放たれ、息継ぎの間も惜しい。まあ、相変わらず思いついたことをそのまま形にしてしまうだけだ。彼女の話題は、駅前の新しいカフェから、担任の口癖、週末の予定へと軽やかに跳ねる。教室の何人かが笑い、誰かが相槌を打つ。楓理は満足そうに頷き、また次の話題へ進む。
「琉生も今度行こ。あそこ絶対好きだと思う」
唐突だが、排他的ではない。彼女の世界には、境界線があまりないのだろう。
「機会があれば」
そう返すと、絶対ね、と強く念を押される。約束というより宣言に近い。
昼休み、班の四人で机を寄せる。弁当の匂いが混じり合い、窓の外では初夏の風がカーテンを揺らす。水沢が蓋を開けながら言う。
「一週間って、早いようで長いよね」
声音は軽いが、どこか遠くを見る目をしている。彼女はよく笑うが、その笑みの奥に静かな観察者の気配がある。場を和ませながら、きちんと全体を見ている。
「琉生、最初より顔が柔らかくなった」
さらりと言う。立花も小さく頷く。
「うん。少し」
声は細いが、曖昧ではない。彼女は言葉を慎重に選ぶ。過不足なく、必要なだけを置いていく。
「そうか」
自覚はない。だが、否定する理由もない。永瀬はペットボトルのキャップを閉めながら、静かに言った。
「慣れないと、周りを見る余裕がないからな...」
断言ではない。経験を差し出すような調子だ。水沢が笑う。
「樹、なんか先生みたい」
「別に」
彼は肩をすくめる。照れも誇張もない。
午後は体育だった。グラウンドの土は乾き、白線がくっきりと伸びている。二クラス合同の体育では、新田が中心になってチームをまとめていた。
「よし、ポジション適当に回そうぜ」
声は大きいが、乱暴ではない。誰かが戸惑えば自然にフォローが入る。大胆で、前に出ることを恐れないが、独りよがりにはならない。試合の合間、彼は水を飲みながらこちらに笑いかけた。
「もう体力戻った?」
「まだ」
「だよな。無理すんなよ」
軽い調子で、しかし本気で言う。彼の明るさは、押しつけにならないぎりぎりを知っている。
授業が終わり、教室に戻ると、汗の匂いと日差しが混ざり合う。窓際の席に腰を下ろすと、六月の光がまぶしい。
放課後、廊下で楓理が再び声を上げる。
「今度の文化祭さ、絶対派手にやりたいんだけど!」
まだ何も決まっていないのに、すでに構想は膨らんでいるらしい。周囲が呆れ半分で笑うと、彼女は少し頬を膨らませる。
「だってさ、せっかくなんだから思いきりやらないと損じゃない?」
勢いに押されながらも、どこか納得させられてしまう。彼女の言葉には、過剰な装飾がない。ただ熱量がある。その横で、永瀬が静かに補足する。
「現実的な範囲でね」
「わかってるって!」
即座に返す楓理。けれど本気で怒ってはいない。帰り道、五人で歩く。夕方の光はやわらかく、影を長く伸ばす。アスファルトに落ちた木漏れ日が、まるで薄いレースのようだ。水沢がふと足を止める。
「なんか、この時間好きなんだよね」
空を見上げる。青は少しずつ群青へと変わり始めている。立花が小さく微笑む。
「静かだから?」
「うん。あと、終わった感じがするから」
今日がきちんと終わる。その安心。楓理がぼそっと呟いた。
「...でも明日もあるけどね」
笑いが起こる。
「それは言わないお約束でしょ?」
永瀬は歩幅を合わせながら、さりげなく車道側に位置を変える。琉生はその中に、中心でも端でもなくただ自然に並んでいる。一週間前、この景色は借り物のようだった。今はまだ完全ではないが、自分の影がちゃんと地面に落ちている。楓理が急に振り返る。
「ねえ、今度みんなで写真撮ろうよ!」
理由は特にないらしい。ただ思いついただけだ。水沢が笑う。
「いいね。記念になるし」
立花も頷く。
それだけで十分だった。何気ない団欒の中、夕暮れは静かに沈み続けていた。
転校してきて、一週間が過ぎた。七日間という時間は、思いのほか素直だ。急に親密になるわけでも、劇的に何かが変わるわけでもない。ただ、朝の空気に混じる匂いや、階段の段差の癖、教室のざわめきの高さが、身体に馴染みはじめる。それだけで、世界は少しだけ角を失う。月曜の朝、窓から差す光は白く、机の木目を淡く浮かび上がらせていた。鞄を下ろすと、隣の永瀬が顔を上げる。
「おはよう」
抑えた声色。過度に明るくもなく、冷たくもない。ちょうどいい温度で、言葉を差し出してくる。
挨拶を返すと、彼はわずかに口元を緩めた。会話はそれ以上広がらない。それでも気まずさはない。沈黙が空白にならず、ただの時間として流れる。その感覚に、ようやく慣れてきた。一時間目が終わると、教室の空気は緩む。楓理が後ろの席から身を乗り出した。
「ねえ聞いて、昨日さ——」
言葉は勢いよく放たれ、息継ぎの間も惜しい。まあ、相変わらず思いついたことをそのまま形にしてしまうだけだ。彼女の話題は、駅前の新しいカフェから、担任の口癖、週末の予定へと軽やかに跳ねる。教室の何人かが笑い、誰かが相槌を打つ。楓理は満足そうに頷き、また次の話題へ進む。
「琉生も今度行こ。あそこ絶対好きだと思う」
唐突だが、排他的ではない。彼女の世界には、境界線があまりないのだろう。
「機会があれば」
そう返すと、絶対ね、と強く念を押される。約束というより宣言に近い。
昼休み、班の四人で机を寄せる。弁当の匂いが混じり合い、窓の外では初夏の風がカーテンを揺らす。水沢が蓋を開けながら言う。
「一週間って、早いようで長いよね」
声音は軽いが、どこか遠くを見る目をしている。彼女はよく笑うが、その笑みの奥に静かな観察者の気配がある。場を和ませながら、きちんと全体を見ている。
「琉生、最初より顔が柔らかくなった」
さらりと言う。立花も小さく頷く。
「うん。少し」
声は細いが、曖昧ではない。彼女は言葉を慎重に選ぶ。過不足なく、必要なだけを置いていく。
「そうか」
自覚はない。だが、否定する理由もない。永瀬はペットボトルのキャップを閉めながら、静かに言った。
「慣れないと、周りを見る余裕がないからな...」
断言ではない。経験を差し出すような調子だ。水沢が笑う。
「樹、なんか先生みたい」
「別に」
彼は肩をすくめる。照れも誇張もない。
午後は体育だった。グラウンドの土は乾き、白線がくっきりと伸びている。二クラス合同の体育では、新田が中心になってチームをまとめていた。
「よし、ポジション適当に回そうぜ」
声は大きいが、乱暴ではない。誰かが戸惑えば自然にフォローが入る。大胆で、前に出ることを恐れないが、独りよがりにはならない。試合の合間、彼は水を飲みながらこちらに笑いかけた。
「もう体力戻った?」
「まだ」
「だよな。無理すんなよ」
軽い調子で、しかし本気で言う。彼の明るさは、押しつけにならないぎりぎりを知っている。
授業が終わり、教室に戻ると、汗の匂いと日差しが混ざり合う。窓際の席に腰を下ろすと、六月の光がまぶしい。
放課後、廊下で楓理が再び声を上げる。
「今度の文化祭さ、絶対派手にやりたいんだけど!」
まだ何も決まっていないのに、すでに構想は膨らんでいるらしい。周囲が呆れ半分で笑うと、彼女は少し頬を膨らませる。
「だってさ、せっかくなんだから思いきりやらないと損じゃない?」
勢いに押されながらも、どこか納得させられてしまう。彼女の言葉には、過剰な装飾がない。ただ熱量がある。その横で、永瀬が静かに補足する。
「現実的な範囲でね」
「わかってるって!」
即座に返す楓理。けれど本気で怒ってはいない。帰り道、五人で歩く。夕方の光はやわらかく、影を長く伸ばす。アスファルトに落ちた木漏れ日が、まるで薄いレースのようだ。水沢がふと足を止める。
「なんか、この時間好きなんだよね」
空を見上げる。青は少しずつ群青へと変わり始めている。立花が小さく微笑む。
「静かだから?」
「うん。あと、終わった感じがするから」
今日がきちんと終わる。その安心。楓理がぼそっと呟いた。
「...でも明日もあるけどね」
笑いが起こる。
「それは言わないお約束でしょ?」
永瀬は歩幅を合わせながら、さりげなく車道側に位置を変える。琉生はその中に、中心でも端でもなくただ自然に並んでいる。一週間前、この景色は借り物のようだった。今はまだ完全ではないが、自分の影がちゃんと地面に落ちている。楓理が急に振り返る。
「ねえ、今度みんなで写真撮ろうよ!」
理由は特にないらしい。ただ思いついただけだ。水沢が笑う。
「いいね。記念になるし」
立花も頷く。
それだけで十分だった。何気ない団欒の中、夕暮れは静かに沈み続けていた。
