『Friends』

〜浅倉琉生〜


文化祭明けの初日。校舎は、何事もなかったかのような顔をしている。色とりどりの装飾は取り払われ、黒板のイラストもほとんど消されている。けれど、よく見ればテープの跡や、画鋲の小さな穴が残っていて、昨日までの喧騒が確かにここにあったことを証明している。机に鞄を置き、椅子を引く。椅子の脚が床を擦る音が、やけに澄んで聞こえた。
水沢はすでに席に着き、ノートを開いている。姿勢はいつも通り整っているが、どこか力が抜けている。ページの端に小さな走り書きが見える。きっと文化祭の反省か、改善点のメモだろう。ああいうところが、彼女らしい。
立花は配布物を揃えている。文化祭で使ったパンフレットの残りをまとめ、必要なものと不要なものを分けているらしい。静かな所作。紙を扱う指先が、昨日と変わらず丁寧だ。
遠山は黒板の端に残ったチョーク跡を見つめている。完全には消えていない線を、指でなぞるように確認してから、少しだけ笑った。満足そうでもあり、名残惜しそうでもある。
永瀬は机の上で資料を整理している。文化祭の収支表だろうか。必要なものだけを残す作業に、いつも通り迷いがない。

教室は、いつもの形に戻ろうとしている。昨日の熱は、もうない。それでも、どこかに薄く残っている。午前の授業は淡々と進む。板書の音、ページをめくる音、教師の声。非日常の余韻は、徐々に日常へ溶けていく。

昼休み、僕は廊下へ出た。文化祭の看板が外された壁は、妙に広く感じる。人の流れも、昨日より静かだ。階段を降りようとしたとき、少し先で立花の姿が目に入った。誰かと話している。近づくにつれ、その相手がわかる。

新田陽翔。

別クラスの廊下で、壁に軽く背を預けながら、身振りを交えて話している。少し顔を上げて、いつもの落ち着いた笑みで応じている。笑い声がひとつ弾ける。彼女が笑うときは、声は大きくないけれど、目元がやわらかくなる。それを、新田はちゃんと見ている。
会話の内容までは聞こえない。ただ、新田が何かを大げさに説明し、立花が小さく首を振る。その繰り返し。

あの二人、関わり合ったんだな。そんなことを、ぼんやり思う。
そういえば文化祭の準備期間中、立花が委員の仕事で動き回っていたな。新田も、自分のクラスで中心になっていたはずだ。どこかで交差したのだろう。不思議でも何でもない。

僕は、そのまま階段を降りる。会話に割り込む理由はない。割り込む必要もない。
廊下の窓から入る光が、床に長い帯を作っている。文化祭は終わった。けれど、人と人の間にできた線は、簡単には消えないらしい。
購買の前で、水沢が誰かと話しているのが見える。真面目な顔で、たぶん何かの調整をしている。永瀬は教室へ戻る途中らしく、腕に資料を抱えている。遠山は教室の後ろで、文化祭の写真を見ている。

それぞれの位置。
それぞれの速度。

自分はどこに立っているのか、と考える。転校してきた頃は、ただ静かにやり過ごせればいいと思っていた。目立たず、深く関わらず。でも、文化祭を経て、少しだけ感覚が変わった。

教室で意見を出したあの日。
謎解きのヒントを落とした瞬間。
新田の模擬店で交わした短い会話。

どれも小さな出来事だ。けれど、確かにここにいた証みたいなものだ。

午後の授業。窓際の席で、ノートを取る。前の席で立花がペンを走らせている。さっき廊下で見た横顔とは違い、今は真剣な表情だ。新田は別の教室にいる。それぞれの場所で、それぞれの時間を過ごしている。それでいい。日常は、思ったより滑らかに戻ってくる。それでも、どこかが少しだけ違う。文化祭前と、同じではない。廊下を歩くと、まだわずかに甘い匂いが残っている気がする。錯覚かもしれない。それでも、悪くないと思う。教室のドアを開けると、夕方の光が差し込んでいた。新しい日常が、静かに始まっている。