『Friends』

〜浅倉琉生〜


朝早くから、学校全体が活気に満ちている――今日は、文化祭当日だ。色紙で作った装飾が廊下の天井を横切り、教室ごとに違う匂いが混ざり合う。甘い匂い、焦げた匂い、インクとテープの匂い。日常の輪郭が、ほんの少しだけ曖昧になる。
僕たちのクラスは「没入型ミステリールーム」をやる。
教室を丸ごとひとつ使って、物語仕立ての謎解きを体験してもらう形式だ。来場者は“失われた美術品を探す調査員”という設定で、机の中や黒板、壁の額縁に隠された暗号を解いていく。

入口には水沢莉央が立っていた。落ち着いた声でルール説明をしている。人前に立つのが上手い。言葉を選ぶ間合いも自然だ。教室の奥では永瀬樹が小道具の最終確認をしている。鍵付きの箱、暗号表、ブラックライト。几帳面に配置を整え、動線に無駄がないか目で追っている。遠山楓理は装飾の仕上げに余念がない。壁に貼った“古い新聞記事”の位置を数センチ単位で直し、「世界観は大事だから」と小さく呟いていた。少し大げさなくらいの演出が、彼女には似合う。立花結衣は受付横でパンフレットを揃えている。静かな所作。紙の角を丁寧に揃える手つきが、彼女らしい。僕は教室中央のヒント係だ。詰まっているグループに、さりげなく次の視点を示す役目。

開始のチャイムと同時に、廊下のざわめきが一段上がる。最初のグループが入ってきて、照明を少し落とすと、教室の空気が変わる。 


――数週間前、文化祭の内容を決める時間があった。
飲食店案も出ていた。焼き菓子、模擬カフェ、屋台風の軽食。盛り上がりはあったが、準備や衛生管理の話になると空気が少し沈んだ。そのとき、立花が「展示型なら準備を分担できます」と静かに言った。水沢が「物語仕立てなら来場者も楽しめるかも」と続ける。
僕は、現実的な線を口にした。期間と人手を考えれば、教室完結型がいい。永瀬はすぐに具体案を出した。動線、時間制限、必要な備品。遠山は「どうせなら雰囲気を徹底したい」と言い、世界観の方向性を示した。
議論は自然にまとまり、今の形になった。

あの時間、僕はまだ教室の中心にはいなかった。けれど、外側でもなかった――


物語は、美術室から消えた絵画を巡るものだ。黒板に残されたチョークの暗号、机の裏に貼られた座標、額縁の裏の紫外線メッセージ。謎解きのグループが黒板の暗号で詰まっている。視線を受け止め、ヒントをひとつ落とす。
「チョークの色、順番に意味がある」
それだけで、彼らは気づく。教室の外では、遠山が次のグループを案内している。少し芝居がかった口調で物語の導入を語る。演出は彼女の担当だ。

午前の当番が終わり、フリー時間になる。
廊下に出ると、別の世界が広がっていた。呼び込みの声、笑い声、揚げ物の匂い。別クラスの一角に、ひときわ人だかりができている。そこが新田陽翔のクラスだ。模擬店はホットサンド屋。鉄板で焼く音がリズムみたいに響く。具材は三種類。定番のハムチーズ、甘いチョコバナナ、期間限定の照り焼きチキン。エプロン姿の新田が、客をさばいている。明るい声で呼び込み、列を整理し、同時に焼き加減を確認する。大胆な身振りの裏で、全体をよく見ている。目が合うと、片手を軽く上げる。
「来たな」
「まあな」
短い応酬。注文を受ける手は止まらない。隣の生徒が少し戸惑うと、さりげなくフォローに入る。受け取ったホットサンドは、思ったより丁寧に焼かれていた。外はこんがり、中はきちんと熱が通っている。
「どうだ」
「悪くない」
新田は笑う。大きく、けれど嫌味のない笑い方だ。
「そっちは?」
「順調だよ」
「ならあとで行くわ」
その一言に、妙な安心感がある。

教室へ戻る途中、遠山とすれ違う。装飾のリボンを直しながら、満足そうに教室を見ている。永瀬は入口でパンフレットの残数を確認している。水沢は来場者の感想をノートにまとめていた。次の改善点を考えているらしい。立花は受付で小さく微笑みながら人を迎える。

教室に戻ると、入口付近に見覚えのある姿が立っていた。エプロンを外した新田が、腕を組んで展示を眺めている。遠山の導入を聞き、永瀬の仕掛けに目を細め、水沢の説明に頷く。僕と目が合うと、軽く顎を上げた。それだけでいい。文化祭は一日で終わる。けれど、準備の時間も、廊下で交わした短い言葉も、教室の中で重ねた視線も、全部が今日の光の中に溶け込んでいる。喧騒の中に立ちながら思った。ここにいることは、悪くない。照明を少し落とし、次のグループを迎える。黒板の暗号の前で立ち止まる彼らに、さりげなく視線を送る。教室の外からは、また新田の笑い声が聞こえた。