〜立花結衣〜
昼休みの廊下は、光に満ちていた。中庭に面した窓から春の風が吹き込み、カーテンをふわりと持ち上げる。教室からは賑やかな笑い声。購買へ向かう足音が駆け抜けていく。その流れの端で、私は両腕いっぱいにポスターを抱えていた。生活委員の仕事。掲示物の貼り替えは地味だけれど、学校の空気を整える大切な役目だと思っている。
廊下の中央まで来たときだった。
突然、強い風が吹き込む。ばさり、と乾いた音がして、抱えていたポスターの上部が大きくめくれ上がった。次の瞬間、束が崩れ、色とりどりの紙が一斉に舞い上がる。
「……あ」
手を伸ばしたけれど、間に合わない。ポスターは廊下いっぱいに散らばり、何枚かは風に押されて窓際まで滑っていく。足元に広がる紙の海に、胸がひやりと冷えた。急いでしゃがみ込み、拾い始める。そのとき、軽快な足音が近づいてきた。
「おい、なんだなんだ?」
明るい声。顔を上げると、見覚えのない男子生徒がこちらへ駆け寄ってくる。迷いなく窓際へ走り、逃げそうになった一枚をぱっと押さえた。
「風、今日やばいな!」
そう言いながら、次々と拾い集めていく。動きに躊躇がない。むしろ少し楽しんでいるようにも見える。
「す、すみません……」
私は慌てて頭を下げる。
「なんで謝んの? 風のせいでしょ」
彼は笑った。屈託のない、まっすぐな笑顔。
「ほら、そっち頼む。俺こっち集めるから」
指示は自然で、頼もしい。気づけば私は、言われた通りに反対側のポスターを拾っていた。彼の動きは早く、しかも雑ではない。重ねるときにはきちんと角を揃えている。
最後の一枚を手に、彼が立ち上がる。
「オッケー、コンプリート」
少し得意げな声。
「ありがとうございます……本当に」
「いや、こんくらい全然」
軽く肩をすくめる仕草が、どこか大人びている。
「...生活委員?」
ポスターの束を見て、彼が尋ねる。
「はい。掲示の貼り替えで」
「一人で? 大変じゃん」
そう言いながら、彼はひょいと私の手元から半分を持ち上げた。
「手伝うよ。どこに貼んの?」
「え……」
突然の申し出に戸惑う。
「時間あるし。どうせ教室戻っても俺騒いでるだけだしさ」
明るく笑う。その言葉に、気負いはない。
「あの……お名前、伺ってもいいですか」
「俺? 新田。新田陽翔」
即答だった。
「立花結衣です」
「結衣ね。よろしく」
初対面なのに、心の距離が近い。それでも不思議と嫌ではない。押しつけがましさがなく、ただまっすぐだ。
「三か月前に転校してきたんだよね」
自分から言う。
「そうなんですか」
「うん。前の学校とはだいぶ雰囲気違うけど、ここも悪くない」
そう言って、にっと笑う。 その横顔を見ながら、私は思い出す。
「浅倉くんと、同じ学校だったって……」
「あ、琉生?」
名前を聞いた瞬間、彼の表情が柔らいだ。
「そうそう。一か月前にこっち来たよな」
「知り合いなんですか」
「前の学校で同じクラス。あいつ、人見知りするけど、慣れたら面白いよ」
どこか誇らしげに言う。
「俺が先に転校してさ。あとから琉生も来た。知ってるかもしれんけどな」
その口調には、仲間を気遣う色が滲んでいる。
「結衣って琉生と同じクラス?」
「はい」
「じゃあ、よろしく頼むわ。あいつ、放っとくとずっと静かにしてるから」
三階の掲示板へ向かう階段を、並んで上る。新田くんはポスターを軽々と抱え、軽い足取りで段を上がる。途中で下級生に声をかけられれば、笑いながら手を振り返す。その自然な明るさに、廊下の空気が少し柔らぐ。
「ここ?」
「はい」
掲示板の前で、古いポスターを外す。
「これ、曲がってるよ」
彼はそう言って、貼り直しかけた私の手元をそっと支えた。
「ここ、少し上」
指先は迷いなく、けれど乱暴ではない。画鋲を押し込むときも、危ないから貸してと言って、自分がやる。大胆で、でもさりげなく気遣う。
特別棟の前でも同じように作業を進める。
「こういうの、意外と楽しいな」
新田くんは笑う。
「なんか...普段やらないことって新鮮じゃん?」
私は小さく頷く。一人なら、きっと黙々と終わらせていただけの仕事。けれど今は、廊下の光や、風の匂いまで違って感じられる。
最後の一枚を貼り終えたとき、予鈴が鳴った。
「ミッション完了!」
彼は両手を軽く打ち合わせる。
「本当に助かりました」
「いいって。困ってる人は助ける主義」
さらりと言う。
冗談のようでいて、本気にも聞こえる。胸の奥が少しだけ温かくなった。
風はもう穏やかだ。
けれど、先ほどとは違う。
廊下に残るのは、紙のざわめきではなく、明るい笑い声の余韻。
最初はびっくりした。正直関わってはいけない人に話しかけられた気がした。
――でも、その時気がしただけだった。
大胆で、にぎやかで、それでいてちゃんと優しい人。
昼休みの短い時間が、思いがけず色づいたように感じられた。
昼休みの廊下は、光に満ちていた。中庭に面した窓から春の風が吹き込み、カーテンをふわりと持ち上げる。教室からは賑やかな笑い声。購買へ向かう足音が駆け抜けていく。その流れの端で、私は両腕いっぱいにポスターを抱えていた。生活委員の仕事。掲示物の貼り替えは地味だけれど、学校の空気を整える大切な役目だと思っている。
廊下の中央まで来たときだった。
突然、強い風が吹き込む。ばさり、と乾いた音がして、抱えていたポスターの上部が大きくめくれ上がった。次の瞬間、束が崩れ、色とりどりの紙が一斉に舞い上がる。
「……あ」
手を伸ばしたけれど、間に合わない。ポスターは廊下いっぱいに散らばり、何枚かは風に押されて窓際まで滑っていく。足元に広がる紙の海に、胸がひやりと冷えた。急いでしゃがみ込み、拾い始める。そのとき、軽快な足音が近づいてきた。
「おい、なんだなんだ?」
明るい声。顔を上げると、見覚えのない男子生徒がこちらへ駆け寄ってくる。迷いなく窓際へ走り、逃げそうになった一枚をぱっと押さえた。
「風、今日やばいな!」
そう言いながら、次々と拾い集めていく。動きに躊躇がない。むしろ少し楽しんでいるようにも見える。
「す、すみません……」
私は慌てて頭を下げる。
「なんで謝んの? 風のせいでしょ」
彼は笑った。屈託のない、まっすぐな笑顔。
「ほら、そっち頼む。俺こっち集めるから」
指示は自然で、頼もしい。気づけば私は、言われた通りに反対側のポスターを拾っていた。彼の動きは早く、しかも雑ではない。重ねるときにはきちんと角を揃えている。
最後の一枚を手に、彼が立ち上がる。
「オッケー、コンプリート」
少し得意げな声。
「ありがとうございます……本当に」
「いや、こんくらい全然」
軽く肩をすくめる仕草が、どこか大人びている。
「...生活委員?」
ポスターの束を見て、彼が尋ねる。
「はい。掲示の貼り替えで」
「一人で? 大変じゃん」
そう言いながら、彼はひょいと私の手元から半分を持ち上げた。
「手伝うよ。どこに貼んの?」
「え……」
突然の申し出に戸惑う。
「時間あるし。どうせ教室戻っても俺騒いでるだけだしさ」
明るく笑う。その言葉に、気負いはない。
「あの……お名前、伺ってもいいですか」
「俺? 新田。新田陽翔」
即答だった。
「立花結衣です」
「結衣ね。よろしく」
初対面なのに、心の距離が近い。それでも不思議と嫌ではない。押しつけがましさがなく、ただまっすぐだ。
「三か月前に転校してきたんだよね」
自分から言う。
「そうなんですか」
「うん。前の学校とはだいぶ雰囲気違うけど、ここも悪くない」
そう言って、にっと笑う。 その横顔を見ながら、私は思い出す。
「浅倉くんと、同じ学校だったって……」
「あ、琉生?」
名前を聞いた瞬間、彼の表情が柔らいだ。
「そうそう。一か月前にこっち来たよな」
「知り合いなんですか」
「前の学校で同じクラス。あいつ、人見知りするけど、慣れたら面白いよ」
どこか誇らしげに言う。
「俺が先に転校してさ。あとから琉生も来た。知ってるかもしれんけどな」
その口調には、仲間を気遣う色が滲んでいる。
「結衣って琉生と同じクラス?」
「はい」
「じゃあ、よろしく頼むわ。あいつ、放っとくとずっと静かにしてるから」
三階の掲示板へ向かう階段を、並んで上る。新田くんはポスターを軽々と抱え、軽い足取りで段を上がる。途中で下級生に声をかけられれば、笑いながら手を振り返す。その自然な明るさに、廊下の空気が少し柔らぐ。
「ここ?」
「はい」
掲示板の前で、古いポスターを外す。
「これ、曲がってるよ」
彼はそう言って、貼り直しかけた私の手元をそっと支えた。
「ここ、少し上」
指先は迷いなく、けれど乱暴ではない。画鋲を押し込むときも、危ないから貸してと言って、自分がやる。大胆で、でもさりげなく気遣う。
特別棟の前でも同じように作業を進める。
「こういうの、意外と楽しいな」
新田くんは笑う。
「なんか...普段やらないことって新鮮じゃん?」
私は小さく頷く。一人なら、きっと黙々と終わらせていただけの仕事。けれど今は、廊下の光や、風の匂いまで違って感じられる。
最後の一枚を貼り終えたとき、予鈴が鳴った。
「ミッション完了!」
彼は両手を軽く打ち合わせる。
「本当に助かりました」
「いいって。困ってる人は助ける主義」
さらりと言う。
冗談のようでいて、本気にも聞こえる。胸の奥が少しだけ温かくなった。
風はもう穏やかだ。
けれど、先ほどとは違う。
廊下に残るのは、紙のざわめきではなく、明るい笑い声の余韻。
最初はびっくりした。正直関わってはいけない人に話しかけられた気がした。
――でも、その時気がしただけだった。
大胆で、にぎやかで、それでいてちゃんと優しい人。
昼休みの短い時間が、思いがけず色づいたように感じられた。
