一禍来福

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 前をゆく刹の足取りは、あの時と同じように迷いがない。
 建物に入るまで、秋羅の心臓は不安で張り裂けそうだったが、今ではウソみたいに落ち着いている。
 いや、と歩きながら思う。

 多分、加美山が手を繋いでくれているから大丈夫なんだ。

 理由はわからないが、彼と手を繋ぐと、不安が吸い取られるみたいに気持ちが落ち着くのだ。胸の隙間を塞いでくれるような、妙な安心感が全身を包み込む。
 彼に初めて会った夢の中でもそうだった。
 あの時は恐怖を感じることは殆どなかったけれど、手を引いてくれる刹とは初対面だったはずなのに、彼についていけば大丈夫なんだ、と何故か思っていた。夢の中だからそう感じたのかと思っていたが、そうではなかった。

 でもなんで心霊スポットなんかに?

 刹の背中を見ながら考える。
 心霊スポットに何の用事があるのか分からない。正直言って、心霊スポットなんて普通なら行かない。普通に怖いし、自分の体質的に絶対に変なことが起こる自信がある。前に付き合いで行った時は次の日に体調を崩したし、一緒に行った同級生は数日後に、入院するレベルの怪我をした。
 でも刹一人で心霊スポットに行くと聞いて、いても立ってもいられなかった。
 もしも一人で行って遭難なんてしたら困る。心霊スポットは大抵電波が繋がらないことが多いし、老朽化が進んでいるところが多い。不慮の事故なんてこともあり得る。それを考えたら、一人で行かせるなんてこと、出来るわけがなかった。
 心霊スポットに進んで行く人で考えつくのは、霊媒師だとか、面白いものを撮りたがる人だ。
 しかし、刹はどちらにも見えなかった。そもそもカメラを持って歩いていないから、後者ではない。では前者か、と言われるとそれも首を捻ってしまう。リキ、という名前のぬいぐるみに入ったナニカを連れているが、ナニカを祓いに来ている感じもまったくない。
 というか、この『リキ』とかいう存在は、一体何なんだろう。まさか悪霊とかじゃないよな?
 そんな事を思った刹那。

「おい」

 突然リキが声を上げたせいで、内心ドキリとした。

「刹、右方向に厄介なのがあるぞ」

 胸中を見透かされたのかと思ったが、刹への言葉だったらしい。気付かれないようにほっと息を吐いた秋羅をよそに、刹は嫌そうな声でいった。

「まじか。避けたほうが良いよな」
「我は構わんぞ。良い力試しになる」
「喧嘩はやめろっていつも言ってるだろ」

 刹の口ぶり的に、彼にとっては心霊スポットに行くのは珍しいことではないのだろう。でもやっぱり、目的は分からない。聞いても良いだろうか。そう思ったときには、口に出していた。

「加美山は、いつもこんなことしてるの?」

 弾かれたように振り返った刹と目が合う。その瞬間、しまった、と思った。話の腰を折ってしまったかもしれない、と思ったからだ。お前に関係ないだろ、と言われても可笑しくない状況だ。しかし刹は、あっけらかんとにんまり笑った。

「まあね」
「いつも一人で? なんで?」
「まあ簡単にいうと、探し物してんだよ」

 その探しているモノが何なのか、秋羅には分からない。でも刹にとって、大事なものなのは、彼の表情から分かった。切なさと悲しみをきれいに混ぜたような感情が、ありありと読み取れた。普段は飄々としているのに、こんな顔も出来るんだと秋羅は思った。それと同時に、胸の奥に湧いた得体の知れない靄。それは嫉妬に似たものだと理解した途端、そんなものを抱いた自分に自分で驚いた。
 刹とは長年一緒にいるわけではない。
 最近知り合って、自分が付き纏っていると言っても過言ではない人だ。だというのに、どうしてモヤっとしたものが胸に湧いたのか。長年一緒にいる友人の新にそういう気持ちを抱くのは分かる。でも、刹に抱くのはなんだかおかしな気もした。

「? おーい、薮口? どした?」
「あ、いや。毎回一人で怖くないのかなって」

 心配そうに覗き込んできた刹に、それらしい言葉を一応返す。うーんと首を捻った刹は言った。

「別に怖くはないな。リキもいるし、俺って結構コッチで有名みたいで、来たんだな、みたいな顔されること多いし」

 彼は笑ったが、全く笑い事ではない。というか、霊界といえば良いのかそっちで有名なのはどうなんだ、と思う。だが、視えて、かつ、会話が出来る刹にはそんなものなのかもしれない。
 認識できるということは、彼らがどんな表情をしていて、どんな事を要求していて、どんな事を言っているかが分かるというのと同義だ。
 恐怖は理解できないところから生まれる、と何処かの誰かが言っていた。霊的なものの恐怖はもしかしたらそこから来ているのかもしれないな、と刹を見ていると思う。分からないから怖いだけで、案外そんなに怖いものではないのかもしれない。自分が無駄に怖がっているような気もして居た堪れなくなるのだが、その羞恥よりもずっと得るものが多いのも事実だ。
 はたと気づく。

 もしかして、だから余計に僕は加美山と一緒にいたいと思うし、理解したいと思うのかもしれない。

 その結論に妙に納得がいった。
 確かに刹と一緒にいると、不幸体質が軽減されるというメリットもあったけれど、それだけでこんなに一緒にいたいと思う自分自身を不思議に思っていた。
 いつもの秋羅だったら、うざがられた時点で身を引いている。というよりも、そもそもうざがられるような事はしない。自分とは合わない人なんだな、と簡単に諦めて離れるのが普通だったのに、こと刹に関しては、それが全く出来なかった。
 うざがられても、彼と一緒にいたいと何故か思うし、それほど長い付き合いでもないのに、嫉妬までしてしまう自分。
 あの夢を見たせいで可笑しくなってしまったのかと心配したが、そうじゃない。未知のものや、新しい価値観を見せてくれる刹だからこそ、彼の世界に触れていたいと思うのだと思う。それにプラスして、単純に刹の傍は居心地が良かった。影谷が、加美山くんの近くは居心地が良いんだ、と言っていたのも頷ける。

「やっぱり加美山ってすごいなぁ」

 そんな諸々の事を含めての言葉だったのだが、肝心の刹は訝しげな顔をして言った。

「え、なに? 急にどうした? 大丈夫か? 熱でも出た?」

 そんな事を言いながら、自由な方の手で秋羅の額の温度を測ってくるのが可笑しくて、また笑ってしまった。

「なんで笑ってんの?」
「ふふっ、いや、あははっ、なんでもないよ」
「やっぱり精神でも攻撃されたんじゃ……?」
「安心しろ、刹。この小僧が可笑しいのは元からだ」

 失礼な言葉がリキから飛んできたが、それも気にならないほど秋羅の気分は浮ついていた。

 その浮ついた気持ちが祟ったのかもしれない。

「いイなァ、たのシそゥ。狡イズるイ、ズルイズルいズルイズルい! ナンでオマえダケ良イ想ィシてるノなんでナンでナンデなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!」

 全身が粟立つような耳障りな声が聞こえた途端、全身が凍りついたように動かなくなった。刹が持っていた懐中電灯がチカチカと点滅して、視界が黒く塗りつぶされていく。耳鳴りが酷くなって、それ以外の音も辺りの状況もわからなくなる。
 ただ、繋いでいる手の温もりだけが確かだった。

「薮口! おい! しっかりしろ!」

 耳鳴りを裂くように、刹が呼ぶ声が聞こえる。
 返事がしたいのに、出来なかった。
 もう立っているのか、倒れているのか分からない。脳が直接揺さぶられるような感覚と、意識を引き抜かれていくような感覚。手を強く強く握り締められる感覚を最後に、秋羅は意識を手放した。