件の場所に向かい始めて早々、刹は後悔し始めている。やっぱり薮口は連れてくるべきじゃなかったかもしれない、と。
駐車スペースに車を止めてもらったまでは良かった。しかし本命の建物に向かう何もない道中で、秋羅が過度なリアクションをするのである。
本人が本当に怖がっているのが分かるから、文句を言うのも気が引ける。でもいくらなんでも怖がり過ぎでは、と思ってしまうのだ。
体をビクッと大きく揺らすのが目の端に見えるのと、うわっ!? と大きい声を上げているくらいだから、別に気にしなければいい話なのだけれど。
何故だか、少し後ろを歩く秋羅が気になって仕方がなかった。
車を出してもらった罪悪感なのか、はたまた別の理由なのかは、刹自身わからない。
「ひっ!?」
秋羅がまた声を上げる。一応視える立場から言っておくと、何もいない。草が風に揺れただけである。
ふーっと息を吐いてから、振り返る。
懐中電灯の光を受けた銀混じりの茶の瞳と目が合った。恐怖で乱された不安げに揺れるそれ。
やっぱりお前来るべきじゃなかったよ、薮口。
「? どうかした? 加美山」
でも多分、面白がって来ているわけではない、と思う。今までの冷やかし連中とは違うのは分かる。だとしても、どうしてわざわざ本来は苦手であろう心霊スポットに、一緒に行く、なんて言ったのだろう。秋羅のことがわからない。
「加美山?」
いや、そもそも人の心なんてわからないものだ。それを自分は十分知っているはずだ。此処に来たいと思った何かしらの理由が、彼にもあるのだろう。その理由を知れなくても、いいはずなのに。
「おーい、大丈夫?」
はっと意識を戻す。目の前で手を左右に振っている秋羅が、心配そうにこちらを見ていた。いやそれは俺のセリフ、という言葉を飲み込んで、片手を差し出した。
目を白黒させた秋羅に、言ってやる。
「手を繋ごう。そうすれば怖くないだろ?」
それは昔、妹のような子によくやってあげたことだった。その子もすごく怖がりだったけれど、手を繋いでやるとずいぶんと落ち着いてくれていた。秋羅がそうだとは限らないのに、それしか思いつかなかったから。
目を数度瞬いた秋羅は、息を零すように笑った。その笑みは、安心よりも嬉しさが滲んでいたように見えた。
「ありがと、加美山。君は本当に優しいね」
返事をするまもなく、手を強く握りしめられる。
その手は背が高いからなのか、刹よりも大きく骨張っていた。夢の中では気付かなかった。あの時酷く冷えていたそれは、今はとても温かく刹の手を包みこんでいる。安心させるためにした事なのに、逆に自分が安心させられている。
ふっと息が漏れた。
「お前が怖がりだから仕方なくだよ。特別だからな」
誤魔化すように軽口を叩く。突然、フンッ、と不満げに鼻を鳴らしたリキが言った。
「本当に呆れるほど怖がりだな、貴様は。しっかり刹に感謝しろ、小僧」
「うん。本当にありがとう、加美山」
「良いって。車出してくれたお礼みたいなモンだよ」
そうだ。これはその礼だと思えば良い。そんな適当な理由付けをして、また歩き出す。
歩きながらあることを思い出して、あ、と声を上げた。
「言い忘れてたけど、建物内に入ったら絶対に俺のことフルネームで呼んだり、自分のフルネーム言ったりするなよ」
足を止めずに、少しだけ秋羅に視線をやる。銀混じりの茶の瞳に、さっきまでの恐怖はない。安堵しつつ、口を動かす。
「もし何か聞こえても、ダレかに名前を聞かれても、絶対に答えるな」
「え? なんで?」
「人じゃないモノに名前を知られると、マジヤバいから」
「ヤバいって例えばどんなふうに?」
「たとえばぁ? うーん、そうだなぁ」
他の心霊スポットに行ったときのことを思い返す。自分以外の人間に遭遇した時は、本当に碌なことがなかった。
「一生その場所から出られなくなったり、死ぬまで遊びに付き合わされたり。……嗚呼、そのヒトと同じ死に方を何回も体験させられてるヤツもいたかな」
それらは大抵自業自得で、行った場所を縄張りにしているヒトを軽んじたのが原因だ。仮にその場所で何も起きなかったとしても、帰り道で事故に遭ったり、家に帰った後も霊障が続いたりすることもある。
まあ今回は肝試しってわけじゃないから大丈夫だと思うけど、と口を動かしながら見た秋羅が、顔を青くしているのが見えて思わず笑ってしまった。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。名前を言わなければな」
「名前を言わないのってそんなに重要なの?」
「まあね。名前を教えるのは、相手と縁を結ぶことと同じだ。つまり、相手がこっちを認識して、こっちも彼らを認識してるって合図なんだよ。人だったら物理的に会話ができるけど、人じゃないモノは、大抵人間に声が届かないし、直接精神とか魂に干渉する方が楽なんだ。……そうだな、簡単に言うと精神的に金縛りに遭う的な感じ。心が死んだら体が死ぬって前もいっただろ? そんな感じになるってわけ」
「なるほど。あの夢と同じような状態を意図的に起こして、出られなくなるってことか」
「正解。だからお前は、基本的に俺とリキ以外の声は無視しろ。リキか俺がいいって言うまでは、俺等以外とは話さないって約束してくれ」
「わかった。約束する」
強く頷いて食い気味に即答した秋羅に、笑ってヨシと頷く。
コイツのこういうところ、マジで素直だよな。夢の中でも素直に付いて来たもんな。そんなことを思いつつ、歩き続ける。
とうとう建物の前にたどり着いて、やっと足を止める。
何処が入口かわからないくらいに、ツタ植物が生い茂り、何者も入ることを許さないように見えるその場所。一度顔を上げて全体を見る。
かなり凝った造りをしたホテル、否、旅館だ。
懐中電灯で照らした客室らしき場所はスプレー缶で落書きされていて、窓ガラスは全て割れて吹きさらしになっているようだった。かなり荒廃している。
感覚を研ぎ澄まして建物全体を探ると、確かにこの世ならざるものが多数存在しているのが分かった。
不意に、ぎゅうっと手を握られて秋羅を見る。さっきまで怖がっていた彼はどこへやら、旅館を見上げる瞳には強い光が宿っている。
手を握り返せば、視線がバチリとかち合った。
「じゃあ、行くぞ」
「うん。行こう」
良い返事だ。
その返事に背中を押されるように、刹は生い茂った植物を掻き分けて、入口へと足を踏み入れたのだった。

