食堂から少し遠いトイレに体を滑り込ませて、パタンと扉を閉じる。
誰もいないのを確認して、刹は小さく息を零した。
「良かったなァ。代わりの子守り役が出来て」
刹以外誰もいないその場に響いた低い声。驚くこともなく、もう一度息を吐く。
「そんな言い方ないだろ。別に子守り役でもないし」
「だが実際オマエは助かってるだろう?」
「……それはそうだけど」
肩辺りについたPOWANのぬいぐるみへ、鏡越しにジト目を向ける。くすくすとPOWANのぬいぐるみは笑った。
「手は多い方が良い。陰の気を散らせるのは、陽の気だけだからな」
「そうだけどさ。リキの言い方だとまるで俺が利用してるみたいじゃん」
「利用もしている、が正しい。オマエもあの小僧に利用されているのだから、お互い様だろう」
呆れたようにぬいぐるみ、否、リキは言った。
リキのことを簡単に説明すると、刹にとっての師匠のような存在であり、彼もまた『この世ならざるモノ』だ。彼曰く『神に仕えるモノ』だそうだが、本当のところは分からない。
霊能力が特別強い、と評したのも彼だ。
刹が『この世ならざるモノ』を認識できるようになった同時期に、リキは現れた。本尊――と彼は言っていた――では動きにくい、という理由で、POWANのぬいぐるみを依り代にして、色んな手助けをしてくれている。
彼の正体は分からなくても、とにかく助けてもらっているし、自分が達成したい事の為に彼の協力が必要不可欠だ。
そんなリキの言葉を認識できるのは、基本的には霊能力が強い人だけだ。だから周りを気にせずにリキと話していた頃は、変人扱いされて碌に友だちというものが出来なかった。それを知ってからは、極力人前でリキと話さないようにしているが、変わらず友だちは少ない。自分以外を面倒ごとに巻き込まないよう、一人で行動することが増えたのが一因だ。
だが。
ここに来て、自分が付き纏われる側になるとは。
リキが言う『あの小僧』とは秋羅のことだ。あの日から刹を見つけては絡んでくる秋羅をリキも快く思っていないのか、あの小僧呼ばわりしている。
「そんなに嫌なら従僕にでも襲わせたらどうだ?」
「発想が鬼過ぎる。それに従僕じゃない」
「言葉の綾さ。オマエの役に立ちたい奴は結構いるぞ? ほら」
リキの言葉の直後、トートバッグについているぬいぐるみたちから、一斉に声が上がった。
そうなのだ。トートに所狭しと付いているぬいぐるみたちは、ただの無機物ではない。長くなるから経緯は省くが、その一つ一つにかつて悪霊と呼ばれていた存在やら、行き場を失ったモノ、力を失いかけていた付喪神やらが憑いている。
刹にとって彼らは、それぞれの目的や宿願が果たされるまで、一緒にいる冒険仲間のような感覚だ。だから従僕というより戦友のほうがしっくりくる。
「皆の気持ちだけ受け取っとくよ、ありがとな」
「なんだ、つまらん。いっそのこと、今日行く所に連れてってやれ」
「鬼畜かよ。国内屈指の心霊スポットだぞ」
影谷たちの提案を断ったのは、このせいだ。
その場所を管理している人にどうにかこうにか連絡を取って、やっと漕ぎつけた訪問日が今日だった。予定をずらすのが難しかったのはそのせいだ。
「あの小僧は一度痛い目を見ればいい」
「なんかリキって薮口に当たり強くね?」
「悪いか?」
「いや別に悪かねーけど」
理由が気になりはするが、多分教えてくれないだろうな、と思う。
リキには、リキなりのルールがあるようだった。曰く、人間の理を曲げてしまうのは禁忌、らしい。全てを理解するのは難しかったが、リキが言うならそうなのだろう、ということにしている。
「まあオマエが何と言おうと、あの小僧はついてくると思うがな」
「冗談だろ。アイツが一番、!」
嫌がるところだろ、と続く言葉は、突然開いた扉の音に遮られた。反射的に見た扉の先。思わず目を見開いたのは、あり得ない人物が立っていたから。
「あれ? 加美山、一人?」
今まさに話題に出ていた秋羅だ。
まじか。リキと話しても怪しまれないように、わざわざ食堂から少し遠いトイレを選んだ。なのに、ここまで来るなんて。もしかしてまじでやばい奴か?
動揺する刹をよそに、秋羅がきょろきょろと視線を走らせた。
「加美山の他にもう一人低い声が聞こえた気がしたんだけど」
肩が小さく跳ねた。まじかコイツ。生き霊をあれだけ憑けておいて全く反応していなかったから、霊感はゼロに近いはず。なのに、どうしてリキとの会話が聞こえたのか。
ちらりとリキを見たのと、リキがにんまりと笑ったのは同時。
「ほう。我の声が聞こえるか、小僧」
止める間もなく、リキは言葉を発した。バッと見た秋羅は、大きく目を見開いている。やはり聞こえているらしい。えっ、と遅れて声を漏らした秋羅が、助けを求めるように刹を見た。
「か、加美山、そのPOWANのぬいぐるみ、喋ってるけど!?」
「あー……、うん、実はそうなんだよ」
聞こえたのがまぐれじゃないなら、隠す必要もない。そう判断して肯定する。秋羅はギョッとしていたものの、冷静な刹を見てだんだんと落ち着きを取り戻したらしく、ぱたんと扉を閉めて、こちらに寄ってきた。
「え、どういう仕組み? もしかして呪いの人形、イデッ!」
秋羅が伸ばした指が、リキにガブリと噛まれる。すぐさま指を引っ込めた秋羅は、相当痛かったらしく涙目だ。ふん、と鼻を鳴らしたリキが言った。
「無礼者め。貴様なぞ多聞天の罰が下ればいい」
「物騒すぎる。……加美山、本当に大丈夫なのこれ」
こそっと耳打ちしたのも空しく、地獄耳のリキに届いたらしく、また指をかまれそうになっている。何とか躱した秋羅を見ながら思う。薮口ってなんかよく分かんねーけど肝座ってるよなぁ。
「口は悪いけど、何回も助けてもらってるし、一応神の使いらしいから」
「一応だと!? 心外だ! 撤回しろ!」
「ハイハイ。でも本当に、兎に角強くて助かってる」
とりあえずもう噛み付かないようにリキの頭をぽんぽんと叩けば、ぶつぶつと不満そうに何かを言っているものの、ようやく牙をしまってくれた。ほっと息を吐きながら、秋羅に向き直る。
「普通の奴にはリキ、あ、コイツの事ね、の声は聞こえないはずなんだけど、お前は聞こえるんだな」
「え、ああ、うん。なんかだんだん聞こえるようになった? かも?」
本人もよくわかっていないのか、首を傾げながら秋羅は言った。なるほど、と頷く。
「俺の近くにいるからかもな。霊感の強い奴と一緒にいるとそうなる奴もいるらしいから」
珍しい事ではない。霊感が強い人間と一緒にいる時間が長いと、霊感がなかった人間も少しずつ見えるようになったり聞こえるようになったりする、というのは良く言われることだ。波長が合うとかなんとか、らしいが刹も良く知らない。
思い返してみれば、ここ一週間ずっと刹に付き纏っているから、余計にそういう才能が開花したのかもしれない。本人の望むものと逆方向に突き進んでいる気がするがいいのか。
そう思ったのに、秋羅は少しだけ目を輝かせて言った。
「そうなんだ? じゃあいつか僕も加美山みたいに色んなものが見えるようになるってこと?」
「分かんねーけど、その可能性もあるな」
「へ~! でも加美山が見てるモノが僕にも見えるようになるの、嬉しいかも」
美しい顔を綻ばせてそんなことを言うから、不覚にもドキリとした。
それ、言う相手間違ってるだろ。どう考えても。まあ多分深い意味はないだろうけど。顔が良いから心臓に悪すぎるな。
へー、と適当に流して、意味もなく手を洗ってからトイレをあとにする。その後をついてくる秋羅の声が背中にかかる。
「ところで加美山がさっき言ってた先約の事なんだけど」
「うん?」
隣に並んで歩き始めた秋羅を見る。視線が合うと、僅かに瞳を揺らしてから彼は言った。
「加美山さえ良ければ、僕も行きたいなって」
「へっ!?」
まさかの提案に思わず足が止まる。ほらな、とリキが笑ったのが遠くに聞こえる。すぐさま我に返って、首を横に振る。
「いやダメだろ。行くの心霊スポットだし」
「それは誰かと行くの?」
「リキと行くけど」
そう言った途端、目を丸くしたと思ったら、両肩を掴まれた。
「一人じゃ危ないよ。僕も行く!」
「いや一人じゃなくて、リキも一緒だし」
「でもぬいぐるみだろ? いざというときに人がいた方が良いよ」
「いやだから、」
「車出すし運転もするから、お願い!」
断るつもりだった。しかし、最後の一言が刹の決心を揺らした。
今日行く場所は、かなり不便な場所だ。電車で行こうと思うと、最寄り駅についてからタクシーを捕まえても一時間かかる。だからこそ最初から車で行けるのは、刹としてはありがたすぎる提案だ。
揺れる心。目の前の秋羅の瞳も揺れている。
まあコイツが行きたいって言ったし、いいか。
「じゃあ、お願いします」
ぺこりと頭を下げたら、またぱあっと顔を明るくした秋羅。
ホントにそれでいいのかよ、お前。
そう思わなくもないが、ありがたく提案を受け入れることにした刹だった。

