ざわつく食堂の中で、げ、という声が漏れる。
対象から体を隠すよりも早く、視線がバチッと交わってしまった。その瞬間、無駄に整った顔をぱぁっと輝かせた青年が、人混みを掻き分けて寄ってくる。思わず大きなため息が出た。
「加美山君、どうかした?」
「いや大丈夫」
向かいに座る影谷肇に答えつつ、味噌汁に口を付けながら思う。
今日も逃げるのは失敗らしい。
加美山刹は、見えないものを認識できる力を持っている。
幽霊、怨霊、悪魔、妖怪、あるいは神。
俗に言う『この世ならざるモノ』の類が、ある時を境に認識できるようになった。しかも認識できるだけでなく、封じる力も持っているらしい。他人事なのは、詳しいヒトに聞いた話であり、事実かどうか自分では判断しづらいからだ。
そのヒト曰く、刹はそういう霊能力が人一倍強いという。
そのおかげで――といって良いのかわからないが――、身の危険を感じるような出来事には遭ったことがない。
しかし、困ることは多少ある。
一つ。誰かにこの話をしても、共感されにくいこと。
二つ。面白半分で絡んでくるヤツがいること。
三つ。厄介な出来事やヒトに絡まれやすいこと。
今の刹は、この三つ目に悩まされていた。
「加美山、影谷。今日も一緒に食べていい?」
耳を突いた声に顔を上げる。全ての元凶と言っても過言ではない男が、ニコニコと笑みを浮かべて立っていた。
薮口秋羅。コイツこそ、刹の平穏クラッシャーである。
何を隠そうこの男、一生一緒にいてくれ、という意味のわからない告白をしてきた。刹がものすごく楽しみにしていたコラボカフェの店内で、である。意味がわからない。そのせいで周りからの生温い目が向けられて、居た堪れなかった。意味がわからない。そんな意味不明な事を言ってきた理由を聞いたが、少しも理解できなかった。いや、頭が理解を拒んだ、が正確かもしれない。本当に意味が分からなかった。
あの日から一週間以上経つのに、未だに日常と常識をぶっ壊しまくっている。
なまじ顔が良い男のせいで、周りからの視線が鬱陶しい。そんな秋羅の後ろに彼の友人である針状新が、呆れた顔をして立っていた。
断りたい。全力で断りたい。
そんな刹の思いも虚しく、向かいに座る影谷が、めちゃくちゃ嬉しいです、という顔をして言った。
「もちろんだよ! ね、加美山君」
「ハァイ、ドウゾー」
全く心の籠っていない声が出る。
この数日で、空気読めよ、という圧を出しても無駄だと知ったから、大人しく隣の席の荷物をどかした。幸いなのは、新が己の隣に座ってくれることだ。
「毎日悪いな、加美山。ほんとコイツ猪突猛進でさ」
こそっとそう言ってくれる新に、大丈夫、と笑って返す。
大体謝るべきは秋羅であって、新ではない。
とかなんとか思いつつ、悪いことばかりじゃないのも確か。
学内で浮いている影谷と話してくれるのは、自分にとっても影谷にとっても良いことだ。彼の交友関係が広がれば、杞憂が杞憂のまま終わることに繋がるから。
さっきよりも楽しそうな影谷にホッと息を吐きつつ、唐揚げを一つ口の中に放り込む。
実を言うと、秋羅のことは一方的に知っていた。
学内で有名だから、ではなく、学内で最も多くの生き霊を連れていたから。
秋羅は、いつも顔が見えないほど多くの生き霊を憑けて歩いていた。見た時はドン引きした。ヤバいだろ絶対。そう思ったのに普通に生活している。だからこそ、本当に驚いたし印象に特に残った。
生き霊が憑くのは誰でもあり得る。だがあれだけの量を憑けていたら、何かしらの不調が体や精神に出るのが普通だ。そんな普通をぶっ壊して、秋羅はいたって普通に過ごしていた。
すげー、あんなヤツいるんだな。
それが率直な感想だ。ときおり遠目から見る秋羅は、生き霊が増え続ける一方なのにやっぱり害はないようで、私生活に影響が出てる様子が全くない。
不思議だったし、感心した。
世の中には色んなやつがいるんだなぁ、と思う反面、一生関わることもないんだろうと思っていた。なのに、夢の中で声を掛けてしまったばっかりに、その均衡が崩れた。いつも生き霊が顔を覆い隠していたせいで、顔を知らなかったのが仇になるとは、まさか思わなかった。
「加美山は?」
現実逃避をしていた刹の思考に、秋羅の声が割り込んでくる。
満面の笑みの秋羅と、期待に目を輝かせている影谷に意識を戻してから、素直に謝った。
「悪い、聞いてなかった。何の話?」
「次のコマ終わったら、みんなで遊びに行かないかって話してたんだけど、どう?」
あー、と声が漏れる。
今日はすでに、別の場所に行く予定が入っていた。しかも気軽に一緒に行こう、と誘える場所じゃない。なんたって刹が行こうとしているのは、心霊スポットなのだから。
「俺パス。先約あってさ」
「そっかぁ。加美山君が行けないなら、別の日がいいね」
そう言って残念そうに肩を落とした影谷と、だね、と頷いて影谷の肩を叩いて慰めている秋羅。そんな二人に小さい笑みが溢れた。
いつの間にそんなに仲良くなったんだよ、お前ら。もう俺抜きでも遊びに行ってこいよ。
でもきっと影谷は遠慮して、サシで遊びに行くことはないんだろう。薮口君に迷惑掛けちゃうし、と自信なさそうに言うのを知っている。
だから、残っていた唐揚げと一緒に言葉を飲み込んで、立ち上がる。
「じゃあその別日さ、俺がトイレに行ってる間に候補出しといて」
トートを肩に引っ掛けながらそう言い残して、刹はトイレに足を向けたのだった。

