一禍来福



 運ばれてきた料理を口に運びながら、刹を見る。
 彼は至って普通の男子大学生らしく、大きな苺を頬張っている。食べることが好きなのか、はたまた苺が好きなのか、リスみたいに頬を膨らませている。こういうところも可愛らしいと言われる所以なのかもしれない。
 ご飯を美味しそうに食べる人は、秋羅も好きだ。
 生クリームもぺろりと行くところは、秋羅には全く真似できないが。脂を取りすぎると体が重たくなる感覚があるから。

「? なんか付いてる?」

 あまりにも見すぎていたからか、刹が不思議そうに首を傾げた。慌てて首を横に振る。

「違う違う。美味しそうに食べるなって思って」
「美味しいもん。お前のもそうじゃない?」
「うん、そうなんだけどさ。加美山みたいに美味しそうに食べる人、あんまり周りにいないから」

 事実だが、全てではない。追求されたら困るな、と思いつつ告げれば、ふーん、とどうでも良さそうな声が返ってきた。
 大学で声を掛けたときから思っているが、加美山刹という男は、あまり周りに関心がないらしい。いい意味で深く関わりすぎないといえば良いのか『自分は自分、相手は相手』というスタンスで相手に接してくれているように思う。
 話してても苦痛だと思わない上に、心地よさまで感じる。相手に余計な気遣いをさせないのが上手いのかもしれない。

「そういえば、他に聞きたいことはいーの?」

 こうしてふと思い出したように、投げ掛けてくれる。
 緩んだ頬をそのままに、ききたい、と言えば、どうぞ、と言ってくれる。会って少ししか経っていないが、秋羅の中ではもう完全に『いい奴』認定されている。

「僕に憑いてた生き霊、だっけ。とってくれてたみたいだけど、加美山はそういうの視える人で、詳しいって認識で良いのかな」
「まあそうだな。視えるし、聞こえる」
「視えるってどんな感じ、とか聞いても良い?」
「見た目は人間とほぼ変わんねーよ? ちなみに、死んだ人の霊も白い服は着てない。でも亡くなった時の姿をしてる人が多いかな」

 思い出すように斜上を見ている刹を見ながら、へぇ〜と声を上げる。
 未知の世界だ。秋羅は生まれてこの方、幽霊なんて見たことはない。だとしても刹が嘘をついているとは到底思えない。ますます聞きたくなって、また口を動かす。

「じゃあさ、死霊と悪霊の違いって何?」
「死霊は、読んで字のごとくその場に留まってる死んだ人の霊。でも悪霊は、死んでるのは同じでも生きてる人間にまで影響を及ぼして、あわよくば自分と同じにしてやろうっていう悪意を持ってる霊のこと」
「ってことはさ、心霊スポット言った帰りに事故にあったりするのは悪霊のせい?」
「そうとも限らない。心霊スポットに行くヤツは大抵、度胸試しに他人の家にズカズカ無断で入り込む礼儀知らずだからな。そこが心霊スポットって知ってて面白がって行く奴は、ほとんどの場合自業自得だよ」
「なるほどなぁ」
「自分の心が晴れるまでその場で過ごしたいっていう霊も多いんだ。それなのに茶化されたり邪魔されたら、気分が悪いのは当たり前だろ」
「確かに」

 本当に霊と話が出来るのだろうな、と思わせるほどの説得力が刹の言葉にはあった。

「でももちろん霊が集まりやすいところは、悪霊も寄ってくるからなぁ。七割方は自業自得で、残りの二割は悪霊って感じかな」
「あとの一割は?」
「悪魔とか神って呼ばれるようなそういう類のやつ。本当に珍しいから稀だけどな」
「悪魔もいるの? ファンタジーじゃなくて?」
「いるよ。数はまあ、生き霊とか死霊よりは少なめだよ」

 刹がちらりと、彼自身のカバンに付いたぬいぐるみを見た。ならうようにそれを見ても、何の変哲もないPOWANのぬいぐるみだ。つぶらな瞳と目が合うくらいで、どうということはない。
 小さく息を吐いた刹の視線は、ゆっくりと秋羅に戻ってくる。

「他には?」

 これだけ色んな事を知っている刹ならば、秋羅が知りたくて仕方がないことの答えも知ってるのではないだろうか。そんな淡い期待が胸で膨らんでいく。料理を食べる手が止まっている秋羅に構わず、パクパクとパフェを口に運んでいく刹。
 きっと彼は秋羅が長年悩んでいる不幸体質のことを言っても、馬鹿にすることはない。そんな確信を胸に、オムライスを食べていたスプーンを皿の上に置く。
 ぽかんとした刹を前に、本題を口に出した。

「不幸体質、って聞いたことある?」

 どくんどくんと心臓が鳴る。刹も何かを察したのか、一度パフェスプーンを置いてくれた。

「聞いたことはあるけど、なんで?」
「実は僕がそうなんだ。外に出ると何かしらの不幸があったりする。実家とか下宿にいる間は大丈夫だしよく通る道とかも大丈夫だけど、それ以外に行くと何かしらが起こる」
「それって、死に至るようなことはないんだよな?」

 その言葉に、胸の奥に僅かな痛みが走る。
 よく言われたことだ。死なないなら儲けモノだ、とか、死に至らないなら大したことない、とか。でも心は穏やかじゃない。体が死なないなら死を迎えないのか、と言われたら、秋羅は否と答える。心が死んだら体が死んだも同然だと思うから。
 震える唇のまま、ずっと腹に溜めていた言葉を吐き出す。

「そうだよ。死にはしない。だけど、ホントに困ってるんだ」

 みっともなく声が震えた。人によっては泣いているのか、と馬鹿にしてきそうな声が出た。でも刹がそれを馬鹿にすることはなかった。

「あ、ごめん。そういう意味で聞いたんじゃないんだ。程度がどのくらいかと思ってさ」
「……程度?」
「うん。説明が難しいんだけど、それを薮口が経験した時、死が近くなってる気がするかどうか、そういうのが知りたい」
「死に向かってる感じはない、かな。本当に死ぬほどの事は起こらないんだ。不幸中の幸いで済むような出来事が多いよ」
「だろうな。そういう事を起こす類のヤツはお前には憑いてないから。これは完全に憶測だけど、お祓いに行っても直せなかった、でいいか?」
「!? なんで分かるの!?」
「言ったろ、そういうのを起こす類は憑いてないって」

 ニッと悪童のように笑った刹に、秋羅は口をあんぐりと開けることしかできない。一言もお祓いのことなんて言ってないのに、分かるものなのだろうか。秋羅はだんだん、加美山は人間じゃないんじゃ、と大変失礼なことまで思い始めている。
 何かを考えるように、パフェスプーンをガラスの中で回しながら、刹は言った。

「俺が思うに、お前の不幸体質は霊とかの外的要因のものではないんだと思う。どちらかと言うと、魂に刻まれてるもの、ってな感じかな」
「タマシイにキザマレテイルもの」
「ははっ、カタコトかよ」

 ケラケラと快活に笑った刹はそのまま教えてくれた。
 現時点で、刹が祓えるようなものではないこと。多分どの霊媒師や高尚な祓い屋にお願いしても、直るようなものではないこと。魂に刻まれているということは、前世で何かしらの契約を神あるいは悪魔としているのかもしれない、ということ。
 あまりに話が壮大すぎてついていけないのが本音だ。
 自分が経験しているのが不思議なくらい、創作の中の話のようだった。でも、これだけは分かる。

「じゃあ加美山にも無理なのか」

 ガクッと落ちる肩。いつの間にか空になっているパフェグラスの向こう側で、刹は笑った。

「悪かったな。期待に添えなくて」
「いや、だいじょうぶ」
「全然大丈夫そうじゃねーけど」

 せっかく糸口が見えるかもと思っていたのに、とんだ勘違いだった。自分でも気付かないうちに相当期待していたらしい。思ったよりもショックが大きくて、今すぐにでも机に突っ伏したい。

「でも今日は何も起こんなかったな。俺、お前といてもこれと言って思い当たらないわ」

 笑い混じりの無邪気な声が、耳を通り過ぎる。
 普段なら怒り散らしていたかもしれないが、はたと気づく。

 そうだ。加美山の言う通り、今日は何も起こってない。

 自覚がなかったが、刹の言葉は確かに真実だった。
 大学の近くに下宿がある秋羅はほとんど電車に乗ることはない。電車に乗るとろくなことが起こらないから。でも、今日は刹と共に電車に乗って、街中にあるこの場所まで来た。
 だというのに、突然の雨に降られることも、痴漢に遭遇することも、人にぶつかられて怒鳴られることもなかった。精神が少しずつ削られていくような現象は何一つとして起きていない。
 一体全体どうして。
 いつもと違うことといえば、刹と共に行動していることくらいだ。持ち物も何も変えていないし、刹に夢の中で言われた御守りを持っているわけでもない。
 じゃあもしかして、と刹を見る。
 キョトン顔の刹と目が合った。

 加美山と一緒にいれば、僕の不幸体質は発動しない、ということでは。

 頭の中に導き出された一つの答え。証拠は、今日一つも不幸なことが起きていない、ということだ。
 つまり。
 加美山となるべく行動をともにすれば不幸に見舞われない、イコール不幸体質を直さなくても日常生活が送れる、という方程式が成り立つ。
 未だにきょとんと目を丸くしている刹の手を、立ち上がって勢いよく掴む。びくっと肩を震わせたのが分かったが、そんな事は気にしてられなかった。

「加美山」
「お、おう」

 秋羅のあまりに真剣な声に気圧されたのか、刹は若干引いていた。揺れている金混じりの瞳を、一心に見つめて告げた。

「僕と一生一緒にいてほしい」

 沈黙。何故かその時店内も沈黙していた。
 当然秋羅は気付かない。思考が停止してしまっているのか、は、と中途半端に口を開けたまま、目の前で刹が固まっている。
 店内から、ポツポツと拍手が聞こえてきた。
 わ〜おめでたい、という女性客の嬉しそうな声にハッと意識を戻した刹が、頭を抱えるように目元を隠した。しかしそれは数秒で、すぐさまこちらを向いた刹の目は、冗談だよな、と言わんばかりの光を宿している。

「えーっとごめん、聞き間違いか? なんて?」
「僕と一生一緒にいて、って言った」
「聞き間違いじゃなかった。ヤベーやつだった」
「なんでだよ! ヤベーことなんて一言も言ってないじゃん!」
「無自覚なのが、なおヤベー」

 呆れたように言った刹はそれでも、無理に手を振り払うことはなかった。祝福モードになっている店内に、あ全然そういうのじゃないんで、と笑って返してから、秋羅に向き直ると、ため息交じりに言った。

「とりあえず座れ。そんで、その意味不明な結論に達した理由を聞かせてくれ」

 きらりと目を輝かせた秋羅が、アッやべ、みたいな顔をした刹に気付くことはなく。秋羅は彼自身が満足するまで、一生一緒にいて、の発言についての説明をしたのだった。

 刹がドン引きした上に、断る、と無慈悲な返事をする一時間ほど前のことである。