これ以上噛み締めているとまた涙が出てきそうだったから、別の話題を口に出した。
「加美山がこんなにいいやつなの、やっぱりご両親のおかげなのかな」
それは本当に何気なく口に出したことだった。
加美山はきっと色んな人に愛されて育ったんだろうな、と思ったから。
「あー……、どうだろうな。親いねーからわかんねーや」
少しだけ気まずそうに刹は笑った。ひやりとしたものが背筋を走る。もしかして、触れられたくない話題だったのかもしれない。
「ごめん」
とっさに謝罪が出た。
その『いねーから』が指す意味が分からないほど馬鹿じゃない。刹の両親は、何らかの理由で傍にいないのだ。それが亡くなったからなのか、はたまた違う理由なのかは、分からない。でも『いねー』の言葉に詰まったものが、随分と重たく感じられた。
それなのに、刹は笑って言った。
「なんで謝るんだよ」
「言いたくないこと言わせた上に、嫌な気分にさせただろ。だから、ごめん」
悪気はなかった、なんて言葉では済まないことだ。なのに刹は気を遣わせないように、こんな時まで笑ってくれる。自分は寄り添ってもらったのに、刹には真逆のことをしている。それが情けなかった。あまりの情けなさに目をそらすことしかできなかった。
俺さぁ、とふいに刹が言った。
「物心ついたころには、施設にいたんだ。だから両親のことしらねーの。施設の人に聞いても、まあ当然だけど教えてくれなくてさ。まあそのうちどうでも良くなって、今に至るわけだけど」
虚空を見つめていた視線を、刹に向ける。その瞳には、悲しみも悔しさも宿っていない。ただ淡々と今を、まっすぐ前を、見つめていた。
「今、お前に言われて初めて気付いたわ。俺、親がいないってことに引け目を感じてたんだって」
うんともすんとも言えないままの秋羅へ、視線が流れてくる。その瞳にはやっぱり涙はない。でも、少しだけ嬉しそうに見えた。もしかしたら自分の願望だったのかもしれないけれど。
「親のこと聞いてくる奴なんて、まあそもそもいなかったけど、お前に聞かれて初めて、言いづらいなって思ったわ」
「……ホントごめん」
「良いって。それにお前は気付いてくれたじゃん」
「? 何を?」
「俺が嫌だって思ったことに、気付いてくれたってこと」
「それは、加美山の顔見たら分かるよ」
「いやなんで分かるんだよ。わかんねーよ普通は」
そういうものだろうか。秋羅はどちらかと言えば、人の感情には敏感な方だ。大体顔を見れば、相手がどんな事を考えているのかは分かる。特に負の感情に敏感だ。だからこそ毎日のように押しかけていた自分を、刹が快く思っていないことも知っていた。いつも、どっかいけ、空気読め、と言われているような気がしていた。それでも食い下がって、なるべく同じ時間を過ごしていた。
いや、よく考えなくても、僕かなり迷惑かけてるな。
今更ながら悲しい結論に辿り着いてしまったが、今の刹は、いつものような圧を出してはいない。それどころか、いつもよりも随分と穏やかにみえる。心霊スポットで穏やかなのもどうかと思うが、彼にとっての日常ならまあそうか、と開き直っておくことにする。
「薮口のこと、なんか誤解してたわ」
「それはどういう…?」
「お前に生き霊たくさん憑いてんの、顔が良いから、ってだけかと思ってたけど、そうじゃなかったって話」
「それはもしかして悪い意味だったり……?」
「違う。お前が優しいから、あんだけ憑いてたんだなって」
「優しいっていうのはよくわかんないけど」
好意を向けられていると知っていて、知らんぷりをしているから、どちらかといえば冷たい方に分類されるのではないだろうか、と思う。負の感情が見えやすいといっても、同情はすれど、特別に何かをするわけじゃないのに。
刹は首を振った。
「お前なら話を聞いてくれるかも、って思わせる何かがあるんだよ。空気感っていうかさ、突き放さないでくれるって分かるから、霊が寄ってくるんだなって思ったわ」
「あまりいい意味ではないような気がするのは、僕の気のせい?」
「悪霊を集めてるわけじゃねーし、別に悪いことではないんじゃね? それにあんまり悪影響はないだろ?」
「まあたしかにそうだけど」
「霊ってのはさ、寂しがり屋が多いんだ。だからお前の傍にいるだけで、満足して、成仏出来た人とかも今まで何人もいたと思う。それって凄いことなんだよ」
「……僕は、専門的な力で成仏捺せられる方がすごいと思うけどなぁ」
専門的な知識がないから、よく分からない。自分よりも刹の方がよっぽど凄いことをしているように感じる。でも、刹は言うのだ。
「俺のはほぼ強制的なモンだから、本当の意味で浮かばれるわけじゃない。満足して成仏出来るのが、霊にとっては本来は一番良いんだ。出来ることは手伝うけど、なまじ力が強いばっかりに怖がられることもある。怖がらせたいわけじゃないのにな」
霊が怖がるってよっぽど凄いのでは、なんて思っていた秋羅をよそに、刹は眉を下げて笑った。
「だから俺は、お前の方が凄いと思う。寄り添えるっていうのは、ある意味才能だから」
「そういうものかな」
「そういうもんだよ。実際寄り添ってもらった俺が言うんだから間違いない」
「加美山がそう言うなら、ぐえ!」
「我を放って、随分楽しそうだな、貴様ら」
そう思うことにしてみる、と言おうとしたのに、腹に乗った重いものに遮られた。リキであることは声で分かったが、あまりにも重い。早くどいてほしい一心で彼を見るが、ちらりと視線を寄越してフフン、と笑っただけでどいてくれそうにない。
「リキ! 怪我はないか?」
「あるわけなかろう! あんな雑魚にやられる我ではない!」
「奴はどうした?」
「尻尾を巻いて逃げたのさ。口ほどにもない」
はっ!? と刹が珍しく焦ったような声を出した。なんでもいいからどいてくれ、と思うのに、余計に体重を掛けられて声が出ない。ていうかこんなに重いものなのか? いつも肩に付けてる刹ってよっぽど力がつよいのかな、なんて考えていたのだが。
「だって、薮口の大事な部分が囚われたって」
「え!?」
驚きのあまり体を起こした。リキが舌打ちして素早く退いたことなんて、かまってられなかった。
どういうことだ。刹の言葉を何度噛み砕いても、全く良い意味に聞こえない。
リキと刹を交互に見れば、刹が説明してくれ、と言わんばかりにリキを見る。はー、と溜息を吐いたリキは言った。
「落ち着け、刹。囚われた、とはそういう意味ではない」
「つまりどういうこと?」
「一時的に核の部分を制御された、という意味だ。何しろ小僧が隙だらけだったからな」
リキが言うにはこうだ。
隙を見せた事によって、精神の一部の制御権をあの得体の知れない『奴』に握られてしまった。それによって意識を失ったが、どういうわけか、秋羅はその制御権を取り戻した。それを悟った『奴』が逃げ出した。
そういうことらしい。
「それはリキの力で御したから?」
「わからん。多少の影響はあっただろうが、小僧の何かが作用した可能性が高い」
ちらりとこちらを見てきたリキには悪いが、何の心当たりもない。首を傾げた秋羅の疑問に答えたのは、意外にも刹だった。
「もしかして、魂の制約ってこと?」
「可能性の話だがな」
「ごめん、加美山。魂の制約って何?」
小さく手を挙げて聞けば、彼は面倒がらずにすぐ教えてくれた。
「つまり、薮口の不幸体質みたいに、魂に紐付けられた条件がある、ってこと。わかりやすく言うと、薮口の魂にマーキングがしてあって、マーキングした本人以外が干渉しようとすると、罰が下るって感じ」
「それってつまり、僕の精神が、別の誰かにすでに制御されてるってこと!?」
「制御はされてない、と思うけど、どう思う? リキ」
「もし仮に制御されていたなら、コイツはすでに自我を失っているだろうな」
「だよな。だから、そうだな、マーキングされてる、っていうのが一番近いと思う」
刹自身もそれ以上は分からないのだろう。でもつまりそれは、秋羅にとっては悪いことであるということになる。魂の制約、だなんて随分と言葉が物騒だ。
「その制約っていうのは、解消? 解除? 出来るものなの?」
「相手による」
今度はリキが即答した。相手による、ということは裏を返せば、出来ない可能性もある、ということだ。
青ざめていく秋羅を面白そうに見たリキが、目の前に来てニンマリと笑った。『POWAN』の顔なのに、まるで『DORON』みたいに意地の悪い笑みを浮かべている。
「気をつけろよ、小僧。お前はすでに危険な輩に目を付けられている。あの怨霊が逃げ出すのだ、相当だと思って良い」
「こら、リキ! 薮口を怖がらせるな」
おどろおどろしい表情をするリキに、顔を引きつらせていたのを見兼ねたのか、刹がリキを両手で捕まえてその顔を見えなくしてくれた。
もごもごとまだ何かを言っているリキを、自分の胸に引き寄せた刹は、はあ、と溜息を吐いてから言った。
「魂のことは俺もそんなに詳しくないんだ。でも、詳しい人のことなら知ってるから、今度一緒に会いに行こう」
「えっ、いいの?」
「いいよ。このまま何も知らないの、薮口も嫌だろ?」
「それはそうだけど」
これ以上面倒を掛けていいのだろうか、とも思う。刹の優しさに漬け込んでいる気がするし、突き合わせるのも悪い気がして。
でもなんとかしたいのも本心だ。不幸体質のこともついでに分かれば、これ以上刹に迷惑を掛けなくて済む。
「本当にありがとう。よろしくおねがいします」
ぺこりと頭を下げたら、今更すぎ、と彼は笑ってくれた。
本当に優しいな、と思う。薮口は優しい、と彼は言ったけれど、本当に優しいのは刹の方だと思う。こんなに親身になってくれるなんて。前世というものがあったら、相当自分は徳を積んだのかも知れない、と思うほどには、いいヤツすぎる。
「じゃあ、とりあえず目的のものもなさそうだし、今日は帰るか」
「帰りの運転は任せて」
「ありがたいけど、あんま無理すんなよ?」
「ふふ、ありがと」
ありがたさを噛み締めながら、刹と共に帰路につく。
そんな彼らの後ろ姿を、闇の中からじっと見る存在がいたのを、二人は知る由もなかった。
第二章 終わり

