一禍来福



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 全身から力が抜けたように倒れてきた秋羅を、どうにか受け止める。

「おい! しっかりしろ、薮口!」

 声を掛けても返事はない。顔を覗き込むと、眉間にシワを寄せてぐったりとしている。
 こんな事は初めてだ。確かに勝手についてきて悪ふざけをした輩は、悪霊に目を付けられることもあった。
 だが、秋羅には茶化すような空気はなかった。誰かを軽んじる様子も、貶める様子もなかったから、様子を伺われるだけで、ちょっかいを掛けてくるような霊はいなかったから、完全に油断していた。

「クソッ! リキ、どうなってんだ!?」

 舌打ちとともに、一番この状況を理解しているヒトに声をかければ、リキは暗がりを睨んでいた。

「厄介なことになったぞ、刹」
「どういうことだよ!」
「その小僧の大事な部分が、ヤツに囚われた」

 リキが指し示した先。そこにいたモノに目を見開く。
 通常の霊とは比べ物にならないほど、その身を大きく膨らませた禍々しいモノ――何体もの悪霊が合体した――怨霊がケタケタと嘲笑っている。
 怨霊はその存在自体が危ないものだ。人間を呪い殺すのは大抵この部類のもので、常に呪詛を吐き、他人の不幸を願い、自分と同じモノになることを今か今かと望んでいる存在。
 前もって仕入れていた情報で、怨霊はいないとみていたのだが、蓋を開けてみればその予想は外れたらしい。

「此処は比較的安全じゃなかったのかよ!?」
「そう聞いていたがな。状況が変わったのだろう」

 何を呑気に、とは思うが、確かに刹にも落ち度はある。
 ぐったりとしている秋羅をちらりと見る。秋羅が不幸体質だと知っていたから、彼を連れて行くと決めた時、一瞬この可能性も過った。しかし彼が前に体質について教えてくれた時、命に関わるような事は今までない、と言っていた。だから、大丈夫だと判断したのに。危機管理が甘かった。
 心霊スポットは霊が集まる場所だ。独特の磁場があり、似たようなものが引き寄せられる。悪意のあるものが集まれば集まるほど、それは人間に害を及ぼす怨霊へと成り果てる。簡単に状況が変わってしまうのが、心霊スポットだということを失念していた。
 秋羅の胸に手をやる。心音には問題は無さそうだ。でも、見るからに苦しそうにしている。下手に時間を掛けると秋羅の状態が刻一刻と悪くなる。そう直感が告げた。

「どうしたらいい!?」
「安心しろ、我がいるだろう?」

 確かにリキに言う通りではあるのだが、具体的に何をどうすれば良いのか分からない。顔をわずかに曇らせた刹に、リキは安心させるように言った。

「アイツの核を人質にすればいい話だ。お前たちは、そうだな、とりあえず安全な場所にいろ。そいつらに案内してもらえ」
 リキの声に反応したのは、トートバッグについているぬいぐるみたちだ。任されたと言わんばかりにワイワイ盛り上がっている。心強く思いつつも、もう一度リキに目を向ける。

「薮口に俺が出来ることは?」
「今はない。楽な体勢にしておいておけ。死にはせん」
「他に俺が手伝えることはあるか?」
「トドメはお前に刺してもらわないとだからな。時を見て呼ぶから、それまで待っていろ」
「わかった。じゃあ頼む」
「任されよう。その小僧のためというのが気に食わんがな」

 少し不服そうに言ったリキは、ふよふよと宙に浮いて刹たちと怨霊の間に入った。それを横目に、ぬいぐるみたちに誘われるまま、足を動かし始める。

「リキ、無茶だけはすんなよ」
「ハッ、心配無用!」

 力強い言葉を背中で受け止めて、他のぬいぐるみたちに導かれるまま、刹は秋羅を連れてその場を後にした。


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 足音が遠ざかったのを確認してから、リキは心底面倒くさそうに溜息を吐いた。

「愚図の尻拭いさせられる羽目になるとはな」

 ひとりごちてから、目の前の怨霊に目を向ける。
 どれだけ束になって来ようが、己には遠く及ばない。雑魚同然だ。一瞬で塵にもできるが、それでは面白くない。面倒事を押し付けてきた分の礼は返して然るべきだ。

「さて、貴様らは誰の差し金で此処にきた?」

 にんまりと笑ったリキの問いかけに、怨霊は言葉にならない呪詛を吐き続けるだけだった。
 答えようとする意思は微塵も見られない。それどころか、早く死ね、だの、早く狂え、だの、早く同じになれ、だの、他人の魂を穢すための言葉ばかりを投げつけてくる。
 だがリキにとっては、そこらへんに舞っている埃くらい無意味なものだ。何のダメージも受けない。

「所詮、塵は塵以上のものにはなれんか」

 誰に言うでもなくつぶやいたのと同時に、辺りに白い靄のようなものが立ち始める。その靄に包みこまれたリキの瞳が、金色に強く光る。

「少し遊んでやる。光栄に思え」

 冷たい声が、その場に重たく落ちた。


  **

 金切り声が耳を劈く。なのに言葉として認知できない。
 声が聞こえた方に振り返れば、燃えるような紅の長い髪を逆立てたヒトが、こちらを睨んでいた。その口には牙があった。和装のそのヒトが何かを喚き散らしているのは分かるのに、やはり言葉として理解が出来ない。
 自分の意思とは関係なく、溜息が口から漏れたのが分かった。それを見た赤髪のヒトが、また怒りを露わにする。

「絶対に許さぬ! 許さぬぞ、――!」

 見に覚えのない名前を呼ばれた。
 そこでようやく、これは自分ではない誰かの記憶なのだと、秋羅は気付いた。



 胸に圧迫感を感じて、ゆっくりと瞼を上げていく。
 一番初めに目に入ったのは、数体のぬいぐるみだった。秋羅が目をぱちくりと瞬いたのと同じように、ぬいぐるみたちも瞬きをすると、ぱあっと顔を輝かせた。

「こいつ目をさましたぞ、セツ!」
「目をさましたぞ!」

 きゃっきゃと胸の上で騒ぎ立てるぬいぐるみたちが、一目散に視界の端に消えていく。その姿を目で追いかける。

「おー、教えてくれてありがとな」
 ぬいぐるみたちが辿り着いたのは、誰かの手のひらの上。それが刹であることに気付く。すぐ近くに座っていたようだ。秋羅の視線に気付いた刹が、覗き込んでくる。

「大丈夫か、薮口。気分は?」
「……だいじょうぶ」
「良かった。もう少しそのまま寝てな」

 うん、と頷いて息を吐き出す。さっきまでの息苦しさは嘘のように消えている。何度か深呼吸をしながら、辺りに視線をやる。
 相変わらず廃墟ではあるものの、気を失う前の身の毛がよだつような寒気も、圧迫感も感じない。ただ廃れた建物の中、という印象だ。
 さっきまでの場所とは違う、開けた場所だ。たぶんだが、気を失った自分を開けた場所まで連れてきてくれて、横たわらせてくれたらしい。かなり面倒を掛けたはずだ。なのに心配までしてくれる。
 刹への申し訳なさが胸に押し寄せた。

「……加美山」

 ペットボトル飲料を飲んでいた刹がこちらを向く。ん? と聞いてくる声に、険は一切ない。それどころかこちらを気遣うような音をしている。申し訳なさが増して、声が小さくなる。

「ごめん。勝手についてきたのに迷惑かけて」

 予測でしかないが、刹一人だったら起き得なかった事象を引き起こしてしまったのだろうと思う。
 刹は探しモノをしている、と言っていた。なのに、これじゃあ邪魔しかしていない。自分が起きるまで、見てくれていたのだろうし、無駄な時間を過ごさせてしまった。それが申し訳なくて謝罪を口にしたのだが、やっぱり刹はあっけらかんと笑った。

「お前のせいじゃないよ。俺こそごめん。もっと注意しておけばよかったな」
「いや加美山のせいじゃないよ。僕のせいだ」

 自分で言っていて嫌になる。
 不幸体質なんてもの、この世で一番いらないものだ。変な声は聞こえるし、変なことが起きるし、まだ命に関わるものではないから良いものの、こうして他の人に結果的に迷惑を掛けてしまう。だからこそ、誰かと何処かに出かけるのを避けていたはずなのに。加美山がいれば大丈夫だ、なんて勝手に決めつけて付いて来た結果がこれだ。

「まあ確かに、お前の体質の可能性は否めないかもな」

 刹の言葉に、肩が揺れる。
 さすがの加美山もうんざりしたよな。
 そう思ったのと、刹がニッと歯を見せて笑ったのは同時だった。

「でもさ、お前は好きでその体質になったわけじゃねーじゃん。だから、お前のせいじゃないよ。そんなこの世の終わりみたいな顔すんな!」

 バンバンと肩を叩かれる。
 鬱屈とした気持ちも罪悪感も、全て吹き飛ばすような笑みで、そんなことを言ってくれるから。目頭がじんわりと熱くなる。
 お前のせいじゃない、と言ってもらえたのは初めてだった。今までだって決して、周りに責められたわけじゃない。でも秋羅が自分を責めた時、お前のせいじゃない、と言ってくれる人はいなかった。
 体質のせいだから仕方ない。
 その空気が、いつだって秋羅を包みこんでいた。
 なのに、刹はその空気さえ吹き飛ばしてくれたのだ。

「……、なんで加美山そんなにいいやつなの」
「えっ、なんで泣いてんだよお前」
「加美山のせいだよ」
「俺のせいかよ意味わかんねー」

 笑いながら差し出されたハンカチを素直に受け取って、ありがたく使わせてもらう。こんなことで泣くなんて、みっともない、と思われたかもしれない。でも、勝手に出てきてしまったのだ。
 嬉しかった。ずっと抱えてきた見ないように隠していた部分に、そっと寄り添ってくれたような気がしたから。刹にそんなつもりはなかったかもしれなくても、秋羅にとっては、本当にありがたいことだったから。

「ハンカチ洗って返すね」
「そんな気ぃつかわなくていいよ」
「鼻水ついてても?」
「鼻水はさすがにあれか」
「そうだよ。だから洗って返す」
「まあお前がそうしたいならそれでいいけど」