共通点の整理――記録を並べて分かること、分からなくなること
読者諸氏の皆々様!!ー
ここまで、私は四つの資料について順に検討してきました。
獅子舞の伝承、蔵から発見された原稿、温泉旅館の記録、そして冷凍冷蔵倉庫の事案。それぞれ時代も場所も異なり、一見すると互いに関係のない出来事です。
本章では、それらをいったん横に並べ、共通点があるのかどうか、記者として整理してみようと思います。
整理。
ええ、整理です。混乱しているわけではありません。ただ、資料が増えると、順番に置き直したくなるだけです。机の上が散らかると落ち着かないタイプなのです。
まず、単純な事実関係を抜き出してみます。
獅子舞奇譚では、祭りの最中に一人の女性が姿を消しました。誰が最後に見たのか、どこで見失ったのかは曖昧で、「気づいたらいなくなっていた」とされています。
蔵通りの原稿では、蔵の奥に関わった人物が、その後、様子を変えたり、姿を見せなくなったりする描写がありました。具体的な出来事は書かれていないものの、周囲の人間はその変化を察知している。
東海館の資料では、建物の中心部分に関する記述が乏しく、宿の全体像は見えるのに、核心部分だけがぼやけている印象を受けました。廃業の経緯もはっきりしない。
冷凍冷蔵倉庫の資料では、作業員が業務中に行方不明となり、施設内部を捜索しても発見されなかった、とされています。
これらを並べてみると、一つの共通したパターンが見えてきます。
誰かが消える。
しかし、その瞬間を誰も見ていない。
これは、当然といえば当然です。人は四六時中、他人を監視しているわけではありません。目を離した隙に誰かが移動することなど、日常的に起きています。
ですから、ここまでは、怪異でも何でもありません。
問題は、その後です。
通常であれば、「どこへ行ったのか」を探す動きが生じるはずです。家に帰ったのか、別の場所へ向かったのか、事故に遭ったのか。しかし、資料に残る語りでは、そうした過程がほとんど記録されていない。
代わりに、「いなくなった」という結果だけが残る。
私は、この点を整理しようとして、ノートに簡単な図を書きました。出来事の前後関係を矢印で繋いだものです。
祭りの準備 → 舞 → 消失
蔵の生活 → 奥に入る → 変化
宿泊 → 滞在 → 記録の欠落
作業 → 業務中 → 不在
どの図も、途中で線が途切れてしまう。
中心部分が空白になる。
ここで、私はふと、Aのメモにあった言葉を思い出しました。
「器は空ではない」
最初に読んだときは、何のことか分かりませんでした。いまでも、はっきり理解しているわけではありません。ただ、この図を眺めていると、妙な連想が浮かんできます。
空白に見える部分に、実は何かがあるのではないか。
私たちが見ていないだけで。
もちろん、これは比喩です。現実の話ではありません。
記録が抜け落ちているだけ。人間の記憶は不完全で、出来事の中心ほど曖昧になることがある。それだけの話です。
……そう書きながら、私は、自分が何度も同じところへ戻ってきていることに気づきます。
中心。空白。見えていない部分。
同じ言葉ばかりです。
少し、別の角度から考えてみましょう。
これらの資料に登場する場所は、いずれも「人が集まる場所」です。祭り、町の蔵、旅館、倉庫。どれも、人の出入りがあり、日常的に利用されている空間です。
つまり、特別な場所ではない。
にもかかわらず、ある瞬間だけ、そこが異質な場所のように扱われる。
誰かがいなくなり、その理由が分からないまま、時間だけが過ぎる。
私は、自分の身の回りにも似たような経験がないか、思い返してみました。
編集部の席で、同僚がいつの間にかいなくなっている。
家に帰って、鍵をどこに置いたか思い出せない。
さっき読んだはずの文章の一節が、思い出せない。
……あれ。
いま、何を書こうとしていたのか、一瞬分からなくなりました。
ノートを見ると、「共通点」とだけ書いてあります。そこから先が、空白になっている。
いや、単に疲れているだけです。
昨日も遅くまで資料を読み返していましたし、睡眠も足りていない。記者の仕事は、どうしても生活が不規則になります。
少し、水を飲んでから、続きを書きます。
――戻りました。
さて、どこまで書きましたか。
ああ、そうです。共通点の話でした。
資料を並べてみると、どれも「人がいなくなる」出来事を含んでいる。しかし、その原因は特定されていない。
これを怪異と見るか、単なる記録の不備と見るかは、読み手次第です。
私は、いまのところ、後者の立場を取ります。
証拠がない以上、超自然的な説明に飛びつくべきではない。
ただし、ここで一つ、気になることがあります。
Aがこれらの資料を集めていたという事実です。
彼は、ただ怪談を収集していたのでしょうか。大学時代、彼はそういうタイプではありませんでした。むしろ、そうした話を論理的に解体する側の人間だった。
それなのに、なぜ。
私は、彼の残したファイルをもう一度開いてみました。そこには、いくつかの地名と日時、そして断片的なメモが残されています。
「中心」「静か」「空ではない」
そんな言葉が、繰り返し出てくる。
ここまで来て、私は少し不安になってきました。
自分が、彼の考え方をなぞっているのではないか、と。
つまり、彼もまた、これらの資料を並べ、共通点を探し、同じところに引っかかっていたのではないか。
そして、その先に何かを見つけたのかもしれない。
……あるいは、何も見つけられなかったのかもしれない。
いま、この文章を書きながら、部屋の中が妙に静かなことに気づきました。いつもなら、外の車の音や、隣室の生活音が聞こえるはずなのに。
時計を見ると、深夜でした。
静かなのは当然です。
ですが、こうして静けさを意識すると、急に、自分の周囲から音が消えていくような気がします。
いや、気のせいです。
話を戻します。
本章の結論としては、これまでの資料には、「中心が曖昧である」という共通点が見られる。ただし、それは記録の性質上、避けられない部分でもある。
したがって、現時点で特別な意味を見出すことはできない。
……はずです。
次章では、Aが残した音声記録について扱います。
まだ、すべてを聞き終えたわけではありません。途中で、何度か再生を止めてしまったので。
理由は、よく分かりません。
それでは、いったんここまでにします。
読者諸氏の皆々様。
もし、さっきまで近くにあった物が、いつの間にか見当たらなくなっていたとしても――それは、きっと、どこかにあるはずです。
読者諸氏の皆々様!!ー
ここまで、私は四つの資料について順に検討してきました。
獅子舞の伝承、蔵から発見された原稿、温泉旅館の記録、そして冷凍冷蔵倉庫の事案。それぞれ時代も場所も異なり、一見すると互いに関係のない出来事です。
本章では、それらをいったん横に並べ、共通点があるのかどうか、記者として整理してみようと思います。
整理。
ええ、整理です。混乱しているわけではありません。ただ、資料が増えると、順番に置き直したくなるだけです。机の上が散らかると落ち着かないタイプなのです。
まず、単純な事実関係を抜き出してみます。
獅子舞奇譚では、祭りの最中に一人の女性が姿を消しました。誰が最後に見たのか、どこで見失ったのかは曖昧で、「気づいたらいなくなっていた」とされています。
蔵通りの原稿では、蔵の奥に関わった人物が、その後、様子を変えたり、姿を見せなくなったりする描写がありました。具体的な出来事は書かれていないものの、周囲の人間はその変化を察知している。
東海館の資料では、建物の中心部分に関する記述が乏しく、宿の全体像は見えるのに、核心部分だけがぼやけている印象を受けました。廃業の経緯もはっきりしない。
冷凍冷蔵倉庫の資料では、作業員が業務中に行方不明となり、施設内部を捜索しても発見されなかった、とされています。
これらを並べてみると、一つの共通したパターンが見えてきます。
誰かが消える。
しかし、その瞬間を誰も見ていない。
これは、当然といえば当然です。人は四六時中、他人を監視しているわけではありません。目を離した隙に誰かが移動することなど、日常的に起きています。
ですから、ここまでは、怪異でも何でもありません。
問題は、その後です。
通常であれば、「どこへ行ったのか」を探す動きが生じるはずです。家に帰ったのか、別の場所へ向かったのか、事故に遭ったのか。しかし、資料に残る語りでは、そうした過程がほとんど記録されていない。
代わりに、「いなくなった」という結果だけが残る。
私は、この点を整理しようとして、ノートに簡単な図を書きました。出来事の前後関係を矢印で繋いだものです。
祭りの準備 → 舞 → 消失
蔵の生活 → 奥に入る → 変化
宿泊 → 滞在 → 記録の欠落
作業 → 業務中 → 不在
どの図も、途中で線が途切れてしまう。
中心部分が空白になる。
ここで、私はふと、Aのメモにあった言葉を思い出しました。
「器は空ではない」
最初に読んだときは、何のことか分かりませんでした。いまでも、はっきり理解しているわけではありません。ただ、この図を眺めていると、妙な連想が浮かんできます。
空白に見える部分に、実は何かがあるのではないか。
私たちが見ていないだけで。
もちろん、これは比喩です。現実の話ではありません。
記録が抜け落ちているだけ。人間の記憶は不完全で、出来事の中心ほど曖昧になることがある。それだけの話です。
……そう書きながら、私は、自分が何度も同じところへ戻ってきていることに気づきます。
中心。空白。見えていない部分。
同じ言葉ばかりです。
少し、別の角度から考えてみましょう。
これらの資料に登場する場所は、いずれも「人が集まる場所」です。祭り、町の蔵、旅館、倉庫。どれも、人の出入りがあり、日常的に利用されている空間です。
つまり、特別な場所ではない。
にもかかわらず、ある瞬間だけ、そこが異質な場所のように扱われる。
誰かがいなくなり、その理由が分からないまま、時間だけが過ぎる。
私は、自分の身の回りにも似たような経験がないか、思い返してみました。
編集部の席で、同僚がいつの間にかいなくなっている。
家に帰って、鍵をどこに置いたか思い出せない。
さっき読んだはずの文章の一節が、思い出せない。
……あれ。
いま、何を書こうとしていたのか、一瞬分からなくなりました。
ノートを見ると、「共通点」とだけ書いてあります。そこから先が、空白になっている。
いや、単に疲れているだけです。
昨日も遅くまで資料を読み返していましたし、睡眠も足りていない。記者の仕事は、どうしても生活が不規則になります。
少し、水を飲んでから、続きを書きます。
――戻りました。
さて、どこまで書きましたか。
ああ、そうです。共通点の話でした。
資料を並べてみると、どれも「人がいなくなる」出来事を含んでいる。しかし、その原因は特定されていない。
これを怪異と見るか、単なる記録の不備と見るかは、読み手次第です。
私は、いまのところ、後者の立場を取ります。
証拠がない以上、超自然的な説明に飛びつくべきではない。
ただし、ここで一つ、気になることがあります。
Aがこれらの資料を集めていたという事実です。
彼は、ただ怪談を収集していたのでしょうか。大学時代、彼はそういうタイプではありませんでした。むしろ、そうした話を論理的に解体する側の人間だった。
それなのに、なぜ。
私は、彼の残したファイルをもう一度開いてみました。そこには、いくつかの地名と日時、そして断片的なメモが残されています。
「中心」「静か」「空ではない」
そんな言葉が、繰り返し出てくる。
ここまで来て、私は少し不安になってきました。
自分が、彼の考え方をなぞっているのではないか、と。
つまり、彼もまた、これらの資料を並べ、共通点を探し、同じところに引っかかっていたのではないか。
そして、その先に何かを見つけたのかもしれない。
……あるいは、何も見つけられなかったのかもしれない。
いま、この文章を書きながら、部屋の中が妙に静かなことに気づきました。いつもなら、外の車の音や、隣室の生活音が聞こえるはずなのに。
時計を見ると、深夜でした。
静かなのは当然です。
ですが、こうして静けさを意識すると、急に、自分の周囲から音が消えていくような気がします。
いや、気のせいです。
話を戻します。
本章の結論としては、これまでの資料には、「中心が曖昧である」という共通点が見られる。ただし、それは記録の性質上、避けられない部分でもある。
したがって、現時点で特別な意味を見出すことはできない。
……はずです。
次章では、Aが残した音声記録について扱います。
まだ、すべてを聞き終えたわけではありません。途中で、何度か再生を止めてしまったので。
理由は、よく分かりません。
それでは、いったんここまでにします。
読者諸氏の皆々様。
もし、さっきまで近くにあった物が、いつの間にか見当たらなくなっていたとしても――それは、きっと、どこかにあるはずです。


