雪中彼岸御身花開く

冷凍冷蔵倉庫――消えたのは人間だけだったのか

読者諸氏の皆々様!!ー

本章では、資料群の中でも、最も現代に近い時期の出来事に関する記録、「冷凍冷蔵倉庫」に関する資料について、私の見解を述べます。
前章まで扱ってきた資料が、伝承や物語、あるいは観光施設の曖昧な記録であったのに対し、今回の資料は比較的具体的です。日付、場所、関係者の数。いずれも現実の事件として扱われてもおかしくない内容が含まれています。

資料によれば、平成九年初頭、冷凍冷蔵倉庫内で作業していた複数の従業員が、作業中に姿を消したとされています。夜間作業中の出来事であり、警察による捜索も行われたが、建物内部からは発見されなかった、と。

まず、記者としての立場から言えば、このような事件は、通常であれば大きく報道されます。複数名の失踪。しかも職場内での出来事。労災や安全管理の問題としても扱われるはずです。
しかし、私が確認できた範囲では、当時の新聞記事として大きく取り上げられた形跡は見つかりませんでした。小さな記事として扱われた可能性はありますが、資料に書かれているほどの事件であれば、もっと痕跡が残っていてもおかしくない。

もちろん、資料自体が誇張を含んでいる可能性もあります。現場の混乱や噂が、時間の経過とともに膨らんだ結果、現在の形になっているのかもしれません。
しかし、それでも気になる点がいくつかあります。

まず、倉庫という場所の性質です。
冷凍冷蔵倉庫は、基本的に閉鎖された空間です。温度管理のため、外気との出入りは制限され、扉は重く、内部は迷路のように区画が分かれている場合もあります。慣れていない者が入り込めば、方向感覚を失うこともあるでしょう。

つまり、理屈としては、「どこかに入り込んで出られなくなった」という事故はあり得ます。
しかし、資料によれば、捜索の結果、内部からは発見されなかったとあります。冷凍庫の中に閉じ込められれば、短時間で命の危険にさらされる。ですから、捜索は相当慎重に行われたはずです。

それでも見つからなかった。

ここで、私はある点に気づきました。
これまで扱ってきた資料と同様、「どこで消えたのか」が曖昧なのです。

作業中だった、とある。
しかし、どの区画で、どの作業をしていて、どの瞬間に姿が見えなくなったのか、はっきり書かれていない。
同僚が気づいたときにはいなかった、とされている。

この構造は、獅子舞奇譚と似ています。
気づいたときにはいなかった。

蔵通りの物語でも、同様でした。
ある人物が、いつの間にか姿を見せなくなる。

そして、東海館の記録でも、建物の中心部分が曖昧に扱われていた。

つまり、どの資料にも、「周囲の状況は分かるが、中心が抜け落ちている」という共通点があるのです。

私は、倉庫の構造について、もう少し調べてみました。
冷凍冷蔵施設は、建物全体を均一な温度にするわけではなく、区画ごとに管理されることが多い。温度帯の違う部屋が並び、搬入口、仕分けスペース、保管エリアが連続する。その中で、一部の区画が使われなくなることもあります。

資料の中にも、「使用されていない区画」についての記述がありました。そこは通常立ち入らない場所であり、温度も管理されていなかった可能性がある。
私は、この部分を読んだとき、蔵の奥や旅館の中心部を思い出しました。

誰も行かない場所。

もちろん、実際には、設備更新や管理上の理由で使われなくなる区画は珍しくありません。しかし、なぜか、この資料では、その場所に対する言及が妙に少ない。存在は示唆されるのに、詳細が書かれていない。

ここまで考えて、私は、自分が同じところをぐるぐる回っていることに気づきました。
どの資料も、似たような結論にたどり着く。中心が見えない。空白がある。

これは、私の読み方の問題なのかもしれません。Aが集めた資料の共通点を、無理に見出そうとしているだけなのかもしれない。

しかし、もう一つ、気になる点があります。
冷凍倉庫という場所は、「保存」を目的とした施設です。食品や物資を低温で保管し、時間の経過による劣化を遅らせる。
つまり、そこでは、「時間を止める」ことが目的になっている。

この点に気づいたとき、私は、Aの残したメモの一文を思い出しました。

「器は空ではない」

最初、この言葉は意味不明でした。しかし、倉庫の資料を読みながら、ふと思いました。
倉庫の区画は、一見すると空間です。壁で囲まれた、何もない場所。しかし、そこには商品が置かれ、時間が止められている。空の空間ではなく、何かを保持するための場所。

もし、この考え方を他の資料に当てはめるとしたら――。

獅子舞の中心。
蔵の奥。
旅館の中央。

それらも、単なる空間ではなく、「何かを入れる場所」なのではないか。

もちろん、これは比喩に過ぎません。現実の建物や施設が、超自然的な機能を持つなどという話ではありません。
しかし、人々の記憶や語りの中で、そうした場所が特別な意味を持つようになることはある。

私は、資料を読みながら、何度も自分に言い聞かせました。
これは、ただの事故か、あるいは誤解や噂の積み重ねだ、と。
倉庫で人が行方不明になるなど、現実には起こり得る話です。迷い込み、別の出口から出てしまったのかもしれない。あるいは、何らかの事情でその場を離れただけかもしれない。

しかし、そう考えても、どうしても引っかかる部分が残ります。
なぜ、どの資料でも、「最後にどこにいたのか」が曖昧なのか。

私は、ここ数日、自分の身の回りのことを少し意識するようになりました。
たとえば、会社の編集部で、さっきまで隣の席にいた同僚が、いつの間にかいなくなっていることがあります。トイレに行ったのか、取材に出たのか、気にするほどのことではありません。
ですが、ふと、「いつ席を立ったのか」を思い出そうとすると、分からない。

人は、思っているほど、周囲を見ていないのかもしれません。
だから、「消えた」と感じる出来事が生まれる。

……ここまで書いて、私は少し疲れていることに気づきました。文章が長くなりすぎています。
記者の見解としては、もう少し簡潔にまとめるべきでしょう。

ですから、本章の結論としては、こう記しておきます。

冷凍冷蔵倉庫に関する資料は、実際に起きた可能性のある失踪事案をもとにしているが、記録には不明瞭な点が多く、噂や誤解が混ざっている可能性もある。倉庫という特殊な環境が、人々の記憶に強い印象を残し、伝承化したとも考えられる。

これが、現時点での、現実的な説明です。

ただし――。

もし、Aが、これらの資料を一つの流れとして見ていたのだとしたら。
彼は、どこに共通点を見つけていたのでしょうか。

次章では、これまでの資料を並べて、共通する要素を整理してみたいと思います。
もしかすると、何も見つからないかもしれません。
ですが、それもまた、記録として残しておく価値はあるでしょう。

それでは、ここまでとします。
読者諸氏の皆々様。

もし、あなたの周囲から、誰かがいなくなっても――それに気づかないことも、あるのかもしれません。