雪中彼岸御身花開く

熱志甫温泉東海館――存在したはずの建物についての記録

読者諸氏の皆々様!!ー

本章では、資料群の中でも比較的具体的な情報が残されている、「熱志甫温泉東海館」に関する記録を取り上げます。
前章までに扱った獅子舞の伝承や、蔵から見つかった物語原稿と比べると、こちらは一見して、より現実的な資料です。観光パンフレット、雑誌記事の抜粋、宿泊案内、そして当時の紹介文などが含まれている。

つまり、「確かに存在した」と思わせる材料が揃っている。

ところが、調べれば調べるほど、この建物は妙な輪郭を帯びてくるのです。

まず、資料に残る東海館の印象から整理してみます。
記録によれば、熱志甫温泉東海館は、かつて地域でも知られた温泉宿でした。取材時期が冬であったこと、井伊出連峰を望む立地、相津盆地北側の雪景色、そうした観光的な魅力が紹介されています。文面は明るく、旅番組らしい軽快な調子で、視聴者を誘う内容です。

読んでいるだけなら、普通の地方旅館紹介です。
特別に怪しいところはありません。

しかし、私は職業柄、こうした記録を見るとき、必ず「裏付け」を取ろうとします。記事や紹介文が存在するなら、同時期の他の資料にも名前が残っているはずです。
ところが、ここで最初の違和感にぶつかりました。

東海館の名前が、ほとんど見つからないのです。

地域の観光案内、自治体の資料、新聞の広告欄、そうしたものをいくつか当たってみましたが、該当する情報が極端に少ない。まるで、ある時期だけ、ぽつんと存在していたかのようです。

もちろん、古い宿泊施設の情報がすべてデータベースに残っているわけではありません。廃業した施設の記録が消えていくのは、珍しいことではない。ですから、それ自体は説明できます。

しかし、妙なのは、「存在していた形跡」はあるのに、「消えた経緯」が見えない点です。
普通、旅館が廃業する場合、何らかの記録が残ります。経営難、火災、経営者の高齢化、あるいは観光客の減少。どれかしらの事情が記事になることが多い。

ところが、東海館については、はっきりとした廃業理由が見当たりません。
まるで、ある時期を境に、話題に上らなくなっただけのように見える。

私は、当時を知る可能性のある人々にも話を聞こうとしました。しかし、ここでも、前章までと似た反応にぶつかります。
「昔、そんな宿があった気がする」
「名前は聞いたことがあるような気がする」
しかし、具体的な話になると、誰もはっきり覚えていない。

この曖昧さが、どうにも気になります。

さて、資料の中には、旅館内部の様子を伝える文章も含まれています。広間、客室、温泉、廊下。どれも、ごく普通の温泉宿の描写です。しかし、いくつかの文章を読み比べているうちに、私はある点に気づきました。

部屋の配置や構造の説明が、微妙に一致していないのです。

ある記事では、客室が二階に集中していると書かれている。別の資料では、三階にも客室があるとされている。さらに別の紹介では、「迷路のような館内」と表現されている。
これだけなら、単なる記述の違いとも取れます。増改築を繰り返した建物であれば、時期によって構造が変わることもある。

しかし、私はどうしても気になって、資料の記述をもとに、簡単な間取り図を頭の中で組み立ててみました。すると、どうにも辻褄が合わない部分が出てくるのです。
廊下の長さが合わない。階段の位置が重ならない。あるはずの部屋が、別の資料では存在していない。

もちろん、これは私の解釈の問題かもしれません。文章から正確な間取りを再現するのは難しい。ですが、読めば読むほど、建物の中心部分が曖昧になっていく感覚がありました。

中心が、はっきりしない。

ここで、私は、これまでの資料との共通点を思い出しました。
獅子舞の中心。
蔵の奥。
そして、この旅館の中心部。

どれも、具体的に描写されない。

旅番組の紹介文を読み返してみても、不思議なことに、建物全体の魅力は語られるのに、「中央に何があるか」はほとんど触れられていません。露天風呂の景色、料理の内容、接客の良さ。そうした要素は丁寧に書かれているのに、建物そのものの核が見えてこない。

私は、ふと思いました。
もしかすると、この建物は、利用者にとっても、あまり「中心」を意識させない構造だったのではないか、と。
客は部屋と風呂と食事処を往復する。廊下を歩き、階段を上り下りする。しかし、その途中にあるはずの空間については、誰も気にしない。

言い換えれば、「通過するだけの場所」です。

さて、ここまでの話は、あくまで私の調査と印象に過ぎません。
記者としては、これをもって何かを断定することはできません。資料が少ない以上、「詳細不明」と書くのが正しいのでしょう。

しかし、Aがこの資料を集め、わざわざ私に送ってきたことを考えると、単なる観光記録として扱うのも違う気がします。
彼は、この宿に何らかの関心を持っていた。
もしかすると、実際に訪れていた可能性もある。

私は、彼の残したメモの束をもう一度確認しました。そこには、東海館に関する断片的な記述も含まれていました。日付や時間、気温のような数字が並び、ところどころに短い文章が挟まれている。

その中の一行が、妙に記憶に残っています。

「中は静かだった」

それだけです。
何が静かだったのか。廊下か、客室か、それとも別の場所か。説明はありません。

旅館という場所は、普通、静かであることが歓迎されます。客は休息を求めて訪れるのですから。しかし、この一文を読んだとき、私は、なぜか背筋に冷たいものが走りました。

理由は分かりません。
たぶん、私が疲れているだけでしょう。連日の調査で、頭が少し過敏になっているのかもしれない。

それでも、この感覚は、前章までと似ています。
何かが欠けている。あるいは、見えていない。

ここで、ひとつ、個人的な話をします。
数日前、私は夢を見ました。
長い廊下を歩いている夢です。両側に同じような扉が並び、どれも閉まっている。廊下は静かで、足音だけが響いている。どこへ向かっているのか分からないまま、歩き続ける。

目が覚めたあと、私は、その夢をどこかで見たことがあるような気がしました。そして、資料を読み返しているうちに、東海館の描写と重なったのです。

もちろん、偶然でしょう。
資料を読み続けていたから、夢に影響しただけ。そう説明することもできます。

ですが、こうして文章にしていると、妙な気分になります。
まるで、自分が、まだ見ていない場所の記憶を書いているような。

……いけませんね。
こういう書き方は、記者として適切ではありません。
事実と感想は分けるべきです。

ですから、本章の結論をまとめます。

熱志甫温泉東海館は、かつて実在した旅館であり、その詳細な記録は少ないが、観光施設として一定期間機能していた可能性が高い。廃業の経緯や建物構造の詳細は不明な点が多いが、特別に怪異を示す証拠は見つかっていない。

これが、現時点での、記者としての見解です。

ただし――。

もし、Aが、この場所で何かを見つけたのだとしたら。
そして、それが彼の行方不明と関係しているのだとしたら。
私は、もう少し調べてみる必要があるのかもしれません。

次章では、冷凍冷蔵倉庫に関する資料を扱います。
これまでの伝承や物語とは違い、比較的最近の事件に関係する記録です。

それでは、いったんここまでとします。
読者諸氏の皆々様。

もし、あなたが泊まった旅館の廊下が、妙に長く感じたことがあるなら――それは、気のせいでしょう。

たぶん。