帝都鵺恋綺譚――軛の花嫁

 鳴神の屋敷の奥、静まり返った一室で、志野の花嫁支度は進められていた。

 幾重にも重ねられた絹の重みは、これから背負う鳴神の正妻という名の覚悟そのものだった。
 志野が纏う白無垢は、月光を糸にして織り上げたような、眩いばかりの純白。
 その布地には、沈み彫りのように繊細な銀糸で、あの夜狂い咲いた白銀の桜の文様が刺されていた。
 志野が動くたび、銀の糸が微かな光を跳ね、まるで彼女の肌から溢れる浄化の光が布地に宿っているかのようだった。

「志野様、本当にお綺麗でございます……」

 口紅を差していた女中が、感極まったように声を震わせる。
 鏡の中に映る自分は、かつて虚空を見ていた『無能な庶子』とはまるで別人だった。

 そこへ、背後からの足音が響く。
 振り返った志野の視界に飛び込んできたのは、見たこともないほど高貴な色彩を纏った朔夜の姿だった。

 彼は軍服を脱ぎ捨て、鳴神の当主にのみ許される儀礼用の正装に身を包んでいた。
 漆黒の地を飾るのは、鳴神の権威を示す深い紫と、雷光を模した目も眩むような金糸の刺繍。
 紫の帯には金色の房が揺れ、彼の持つ理知的な冷徹さに、雄としての圧倒的な力強さを付け加えていた。

「……朔夜、様」

 あまりの神々しさに息を呑む志野に、朔夜は迷いのない足取りで近づき、その細い肩を抱き寄せた。

「純白に銀……。その色を、これほどまでに美しく纏いこなすのは、この世にお前以外いないだろう」

 朔夜の紫紺の瞳が、独占欲を隠そうともせずに志野を射抜く。
 彼は志野の頬に指先を這わせ、その耳元で低く囁いた。

「今日、帝都のすべてに教え込んでやる。お前が誰のものか。俺の魂が、どこに繋がれているのかを」

 その言葉は誓いであり、呪いにも似た深い愛だった。
 二人は、屋敷に用意された黒塗りの儀礼用車へと乗り込み、帝都の喧騒を抜けてゆく。

 帝都の北端、鬱蒼とした霊木に囲まれた『鳴神神社』。
 歴代当主を祀るその神域は、鳴神の仙気が最も色濃く立ち込める場所であり、踏み入るだけで肌が粟立つような重圧に満ちていた。

 玉砂利を踏む音が、静寂な境内に吸い込まれていく。
 志野は、目も眩むような純白の白無垢を纏い、隣を歩く朔夜の少し後ろを歩いていた。

 背後には、苦虫を噛み潰したような顔で付き従う長老衆と、冷笑を消し去り沈黙する鏡夜の姿がある。
 『正式な儀式を経ていない』という彼らの難癖を、朔夜は「ならば鳴神の総氏神の前で、二度と口出しできぬほどの誓約を交わす」と、この神社での式を強行したのだ。

 拝殿へと向かう道すがら、不意に冷たい風が吹き抜け、奥の院の方角から地鳴りのような微かな呻きが響いた。

 「ア……ぁ……、ぅ……」

 その声を聞いた瞬間、志野の足がピタリと止まった。
 白無垢の下で、指先が微かに震える。

(この声……私、知っている……)