帝都鵺恋綺譚――軛の花嫁


 朔夜は、腕の中で小刻みに震える志野を、さらに強く抱きしめた。

「……朔夜様。私、やっぱり……」

「何も言うな。……奴の言葉は、俺とお前を害する価値さえない」

 そう吐き捨てる朔夜の胸の鼓動は、いつになく荒々しく波打っていた。
 志野を失うことへの、無意識の恐怖。
 そして、彼女をこの腕で守り抜くために、帝都のすべてを敵に回すことさえ厭わぬ狂気が、彼の瞳に宿り始めていた。

 同時に、鏡夜の放った言葉は、毒となって志野の耳の奥に残り続けていた。

(半分人間の腹で、鳴神の雷を宿せるとは思えない)

 一人で入浴することを許されている湯屋からの帰り道、氷のような宣告を振り払うように、志野は先日足を踏み入れた、月光さえ届かぬ影の奥へと向かった。

 眼前に、数十年前に絶命したはずの鳴神の守護木が、骸を晒して立っている。

 最初の妻を亡くしたのちにこの地を去り、漂泊の歌人となった初代鳴神当主、清嵐が愛で、そしてその美しさを罪だと難じた桜。

 鳴神の桜が背負わされたのは、美しさではなく破壊の軛、だった。
 歴代当主の荒ぶる鵺の雷を身をもって受け止め続け、やがて内側から炭化して果てたその姿は、朔夜が抱える孤独な死神としての宿命そのものに見えた。

「……貴方も、あの人と同じように責められてきたの?」

 志野は、ひび割れた黒い幹に、慈しむように掌を当てた。
 奥底に、微かな、本当に微かな諦観と切願を感じるような気がする。

 花を咲かせたいと願う本能。
 美しくありたいと願う無垢な意志。

 鳴る神の いかづち落つる 咎桜 
 愛でる心に 罪はなかりき

 晩年、漂泊の歌人となった清嵐が詠んだその歌が、桜の根元に埋もれるようにして立つ、苔むした石碑に刻まれている。

 桜が美しいから人が来るのではない。
 人の心に欲があるから、桜を罪人に仕立て上げるのだ。

 朔夜の力が恐ろしいのではない。
 その力を恐れ、呪いだと断じる心こそが、彼を化け物へと変えてしまう。

「もう、自分を責めなくていい、誰も皆、貴方も朔夜様も」

 志野が瞳を閉じ、祈るように幹へ額を預けた。

 刹那。

 志野の右腕、白金の紋章から、抑えきれぬほどの熱量が溢れ出した。