帝都鵺恋綺譚――軛の花嫁


 甘い時間は、音を立てて凍りつく。

「人聞きの悪い。私は長老衆の言葉を伝えにきただけの、ただの伝書鳩です。それにしても……異能モドキ(・・・・・)を膝に乗せて執務とは。鳴神の品格も、随分と安くなったものですね」

 鏡夜の眼は、卓上の洋燈を鋭利に撥ね退ける。
 彼の視線は、朔夜の逞しい腕に絡め取られ、微かに震える志野を不浄な異物として完全に切り捨てていた。

「帝都の秩序を司る懲罰省の長が、重篤な審問を放り出し、門仲町の茶屋を跡形もなく吹き飛ばすとは。長老衆がこの惨状を知れば、次期後継としての資格を疑うどころか、発端となったその女の排除を決定するのは必定」

 鏡夜の言葉が、志野の胸に冷たい棘となって突き刺さった。

(私の浅はかな行動のせいで、朔夜様が……)

 役に立ちたいと願った自分が、彼にとっての汚点になっているかもしれないという現実。
 不安に揺れて、志野の指先に纏わりついていた白銀の粒子が微かに陰る。

「排除、だと?」

 朔夜が、ふっと口角を上げた。
 笑いというよりも、獲物を切り刻む刃のような弧を描く。

 彼は志野の顎を優しく、けれど有無を言わさぬ力で掬い上げると、鏡夜の見守る前で、その白い頬に深く、吸い付くような接吻を落とした。

「俺がこの女を欲し、この女を唯一の癒やしと定めた。……タネという女中を使い、雅や水無月の小悪党と結託して俺の妻を罠に嵌めた罪を、俺が知らないとでも?」

 朔夜の紫紺の瞳が、深紫へと濁る。
 鏡夜は「何のことを、仰っているのでしょう」と肩をすくめたが、その表情には微かな焦りが滲んだ。

 志野は、その異能の余波に身を竦ませ、反射的に朔夜の膝から降りようと身じろぎする。
 だが、腰を抱く朔夜の腕にさらに強固な力が込められ、逃げ場を完全に塞がれた。

「っ……朔夜様、あの……」

「座っていろと言ったはずだ。……鏡夜、答えろ。俺の寛大さには限度がある」

 志野の項を、朔夜の熱い指先がゆっくりとなぞる。
 無言の誇示であり、鏡夜に対する挑発でもあった。

「……寛大さ、ですか。兄上のそれは、もはや『堕落』と呼ぶべきものです」

 鏡夜は一歩、執務室の中へと足を踏み入れた。
 軍靴の音が、耳障りなほど正確なリズムを叩く。

「水無月の『出来損ない』を膝に乗せて耽溺し、ただただ落ちていくだけの。当主たる資格があるとは思えません」

 鏡夜の言葉が、志野の胸に冷たい棘となって突き刺さった。

「……資格だと? 俺が法であり、俺が秩序だ。それ以上の資格とは、いったい何を指している? 純血か?」

 朔夜の紫紺の瞳が、深紫へと濁る。
 
「鏡夜。お前がこの座を欲しければ、実力で奪いに来い。……ただし、この女の髪一本にでも触れてみろ。後継争いなどという温い遊びではなく、殲滅を以て答えてやろう」

 沈黙が室内に立ち込める。
 鏡夜は屈辱に唇を噛み締めたが、瞳は、志野の右腕に輝く白金の紋章を冷徹に分析している。

「……強情なことだ。その哀れな贄姫が、兄上を内側から焼き尽くす日が来るのを、私は楽しみに待っていますよ。……せいぜい、血を絶やさぬよう励むことですな。とはいえ、半分人間の腹で、鳴神の雷を宿せるとは思いませんが」

 残虐な捨て台詞を残し、鏡夜は翻した外套の影と共に去っていった。