帝都鵺恋綺譚――軛の花嫁

 夜会の喧騒を切り裂くように、黒塗りの重厚な四輪駆動車が帝都の雨の中を滑り出した。
 車内の空気は、外の冷気とは対照的に、焼けつくような熱と、焦げ付くような雷の匂いに支配されている。

 朔夜は、志野を己の膝の上に強引に引き寄せ、逃げ場を塞ぐように腕を回していた。

「あの……朔夜、様……苦しい、です……」

 志野が細い声を漏らすが、朔夜はそれを聞き入れる余裕さえないようだった。
 彼の瞳は深紫へと濁り、首筋には荒々しい鼓動が脈打っている。
 夜会で昭人が志野に触れたことへの激昂と、彼女を今すぐ喰らい尽くしたいという本能が、かつてないほどに高まっていた。

「……黙れ。お前の体温を、匂いを、俺の記憶に刻み込ませろ」

 朔夜の低い、掠れた声。
 彼は志野の首筋に深く顔を埋め、柔らかな肌に直接、熱い吐息を吹きかける。
 
(このまま、一滴残らず啜り上げてしまいたい)

 朔夜の指先が志野のドレスの肩口を乱暴に掴む。
 剥き出しになった肩に、彼の喉を鳴らす音が重なる。
 刹那。
 朔夜の内に潜む鵺の凶暴な異能が、制御を失って車内に放たれようとした。

 ――バチッ。

 志野の右腕、庇護紋が、不意に脈打つような光を放った。
 恐怖のあまり、自分を押しつぶさんばかりの朔夜の胸元に、志野は縋るように掌を押し当てる。

「……っ!」

 その瞬間、朔夜の身体を貫いたのは、破壊の雷ではない。
 荒れ狂う嵐を一瞬で静めるような、どこまでも清冽で、温かな白銀の波動。
 朔夜の内に渦巻いていた濁った異能の毒が、志野の手が触れた場所から、霧が晴れるように浄化されていく。

「…………な、んだ、これは」

 朔夜は呻くように声を漏らし、志野の瞳を覗き込んだ。
 濁っていた彼の視界が、急激に透明度を取り戻していく。
 
 志野の掌からは、月光を溶かしたような仄かな光が立ち上っていた。
 それはまだ覚醒と呼ぶにはあまりに微かな、けれど決定的な変化。

「朔、夜様」

 志野が無意識に紡いだ声は、捕食者であるはずの朔夜の心臓を、鋭く射抜いた。

 餌であるはずの存在が、自分の呪われた血を癒やしている。
 矛盾した事実に、朔夜の支配欲は、よりいっそう深く変質していった。

「……お前、今、俺に何をした」

 朔夜は志野の小さな手を掴み、それを自分の唇に押し当てた。
 先ほどまでの殺意に近い飢えは雲散している。

 雨音に消される車内、志野の内に眠る力が、静かに、けれど確実に目覚めの時を待っていた。