帝都鵺恋綺譚――軛の花嫁


 同じ頃、帝都の空を切り裂くような雷鳴が、場末の廃倉庫を白日のように照らし出していた。

「ギ……アァァ……血、肉ヲ……寄越……セェぇ……っ」

 原型を留めぬほどに膨張した異形の肉塊――昨日まで名門仙家に名を連ねていたはずの男が、理性を完全に失った「凶喰」として濁った涎を撒き散らしている。
 床には、彼に喰い殺されたであろう無惨な亡骸が転がり、倉庫内は耐え難い血と臓物の悪臭に満ちていた。

「右近、左近! 結界を張れ! 一歩も外へ逃がすな!」

 土砂降りの雨が吹き込む中、朔夜の怒声が響く。
 軍服は泥と返り血に汚れ、彼の頬には鋭い爪でつけられた一筋の傷から鮮血が伝い落ちていた。

「朔夜様、ご自身にもお怪我が! これ以上の霊圧の解放は危険です!」

 左近が焦燥に満ちた声を上げるが、朔夜はそれを冷酷に制した。
 
「構わん。……帝都の法を乱す害獣は、俺が灰にする」

 朔夜の全身から、青白い雷光が凄まじい勢いで迸る。
 彼の背後に、禍々しい四重の羽根の幻影が浮かび上がった。
 異能の極致。
 それは同時に、彼自身をも凶喰の淵へと引きずり込む危険な綱渡りでもある。

「――消えろ」

 一切の慈悲を持たぬ断罪の雷が、廃倉庫の屋根を突き破り、凶喰へと直撃した。
 耳を劈く絶叫が響き、異形は一瞬にして炭化し、崩れ落ちる。

 圧倒的な力による討伐。
 しかし、戦いが終わった直後、朔夜は激しい目眩に襲われ、その場に膝をついた。

「はっ……はァッ……」

 息が荒い。
 喉の奥が、焼けた鉄を押し付けられたように渇いている。
 周囲に充満する濃密な血の匂いが、限界まで酷使した彼の理性を容赦なく削り取っていく。

(……喰らいたい)

 頭の奥底で、鵺の凶暴な本能が囁く。
 己もまた、目の前の黒焦げの肉塊と同じ「化け物」の血を引いているのだという絶望的な事実。
 
「朔夜様!」

 駆け寄ろうとした右近を手で制し、朔夜は血に塗れた己の掌を見つめた。
 泥と血の匂いしかないこの冷たい闇の中で、彼を辛うじて人の側に繋ぎ止めているのは、たった一つの記憶だけだった。

 陽だまりのような、甘く清らかな香り。
 怯えながらも、自分に触れた小さな白磁の手。

(志野……)

 彼女に会いたい。
 あの細い首筋に顔を埋め、自分を蝕むこの狂おしい渇きを、今すぐ鎮めてほしい。
 泥に塗れた化け物の姿のまま、彼はただ、一筋の光だけを求めて立ち上がった。