マヨヒガ

本章では、差出人不明の記録媒体に保存されていた2016年撮影映像を逐語的に書き起こし、空間構造および行動様式の分析を行う。

 媒体はUSBメモリ。差出人情報なし。消印もなく、封筒の紙質は一般的な市販品であった。映像ファイルは三本。総再生時間は約二時間十七分。いずれも同一端末で撮影されたと推定される。

 撮影時刻はメタデータ上2016年8月。ただしGPS情報は削除されている。

1 車内映像(高速道路)

 画面は横向き。車内後部座席から前方を撮影している。

 女性C「男性Bのおじいちゃん家、泊まりに行くの楽しみ!」

 男性A「でも、もう誰も住んでないんだよね?」

 男性B「うん、じいちゃんは三年前に他界してから、誰も住んでないよ」

 発話は自然である。緊張の兆候なし。Bの声は穏やかだが、わずかに抑揚が少ない。

 重要なのは、祖父宅が「無人」であるという前提である。

 無人の家を訪れること自体は珍しくない。しかし、民俗学的にみると、無人家屋はしばしば「留守の家」として霊的意味を帯びる。家とは本来、人が住むことで機能する器であり、空であることは異常である。

2 里山への進入

 ナビ音声「……ルートを再検索します……右方向へ……直進します……」

 画面に表示される地図は白地で、道が描画されていない。にもかかわらず、青い矢印だけが前進している。

 女性D「ナビおかしくない?」

 男性A「まあ、山だしな」

 この場面を一時停止し、画面表示を拡大した。地図アプリのベースレイヤーが読み込まれていない。通信障害の可能性もあるが、矢印が存在しない道を案内している点は説明がつかない。

 霧が濃くなる。

 木々の樹種を確認すると、杉と広葉樹の混在林である。東北内陸部の典型的植生に近い。ただし確定には至らない。

 ナビ音声「目的地、周辺です」

 画面の霧の奥に、古民家が現れる。

3 外観分析

 建物は入母屋造に近い屋根形状。しかし瓦は比較的新しい。柱は黒光りし、経年の風合いを帯びているが、基礎はコンクリートで補強されている。

 すなわち、複数年代の改修が施された建築。

 だが違和は別にある。

 軒の高さと窓の位置関係が不均衡である。窓が低すぎる。人間の目線よりやや下に位置している。

 家全体が、わずかに沈んでいるような印象を受ける。

4 玄関内部

 女性Dが古写真を発見する。

 着物姿の若い夫婦。
 倒れた鳥居の前に立つ老人。
 羽織姿の中年男性。

 全員、無表情。

 私は静止画を抽出し、顔認識ソフトで解析した。いずれの人物も微笑み筋の活動が確認されない。まるで表情が固定されている。

 さらに不自然なのは、写真の紙質である。年代が異なるはずの写真が、すべて同一劣化状態を示している。

 同時期に印刷された可能性。

 つまり、過去の写真を「再構成」した可能性がある。

5 和室の構造

 室内の間取りを再現した。

 玄関→六畳和室→八畳居間→台所→廊下→奥の襖。

 奥の襖は、家の中心軸上に位置する。

 男性Aが襖に手をかけた瞬間、Bが制止する。

 男性B「そこは――開けないで」

 この台詞は重要である。

 禁忌の提示。

 民俗伝承において、禁忌の明示は儀式の前段階である。禁じられることで、対象は強く意識される。開けるなと言われることで、開ける行為は運命づけられる。

6 獅子頭の存在

 衣装の足元に獅子頭が置かれている。

 この配置は不自然である。通常、獅子頭は高所または専用箱に保管される。床に直置きすることは少ない。

 依代を床に置くことは、「待機」を意味する場合がある。

 誰かが被るのを待っている。

7 裏山映像

 女性CとDが散策。

 一瞬、白装束の影が映る。

 私は該当フレームを繰り返し確認した。人物像は二フレームのみ出現。解析ソフトで輪郭抽出を行うと、頭部は確認できるが足元が曖昧である。地面に接地していない可能性。

 ただし映像圧縮によるブレの可能性も否定できない。

 だが、女性Cが言った言葉が記録されている。

「なんか懐かしい感じするし」

 懐かしい。

 この語が再び現れる。

8 夜間・蔵

 物音。

 血の付いた鏡台。

 血痕は乾燥しているように見えるが、色味は新しい。

 レコードから流れる民謡。

 音程が徐々に崩れ、速度が歪む。

 私は音声を解析した。回転数が物理的に変化しているわけではない。音源データ自体が歪んでいる。

 つまり、再生機器の問題ではない。

 音そのものが変質している。

9 憑依場面

 男性Aが獅子舞衣装を身に纏い、唱える。

「オーンサーンヤリカケロー」

 繰り返し。

 鏡台にAの姿が映らない。

 ここで重要なのは、鏡の不在ではない。鏡は存在する。だが映らない。

 民俗学において、鏡は魂を映す装置である。映らないということは、位相がずれていることを意味する。

 Aはすでに境界を越えている可能性がある。

10 電話

 男性Eの証言。

「その家は……取り壊されて、更地のはず」

 私は後日、地籍図を確認した。確かに当該地域に祖父名義の家屋記録は存在しない。過去十年間、固定資産税の支払い履歴もない。

 存在しない家。

 だが映像にはある。

11 開かずの間

 女性Dが襖を開ける。

 Bが首を吊っている。

 身体は乾き、人形のよう。

 注目すべきは縄である。

 TikTok映像と同じ結び構造。

 2016年の映像で既に完成している。

 では、2026年の森の映像は何か。

 再演か。

 あるいは、時間が逆転しているのか。

暫定結論

 2016年の古民家訪問は偶発的な肝試しではない。

 構造的儀式である可能性が高い。

 一、禁忌の提示(開けないで)
 二、依代の配置(獅子頭)
 三、境界装置(鏡・縄)
 四、招請音(囃子)
 五、還帰宣言(還る)

 以上の要素が揃っている。

 そして最も重要なのは、古写真である。

 同封されていた写真には、若いBが古民家の前に立っている。撮影年代は昭和初期と推定される紙質。

 2016年の彼が、昭和初期に写っている。

 還るとは、過去へ定着することなのか。

 あるいは、もともとそこにいた存在が、時間を巡って現代に現れただけなのか。

 本章執筆中、私は映像を再生していないにもかかわらず、背後からかすかな囃子が聞こえた気がした。

 錯覚と判断する。

 だが、夢の中で私はあの家の間取りを正確に歩けるようになっている。

 玄関から六歩で襖。

 蔵は左奥。

 そして私はまだ、襖を開けていない。

 次章では、「迷い家」伝承そのものの原典を精査し、当該建築物が伝承の系譜上どこに位置するのかを検討する。