マヨヒガ

本報告は、2026年3月12日に私のもとへ持ち込まれた失踪相談に端を発する記録である。相談者の氏名は仮に佐藤とする。三十二歳、会社員。精神疾患の既往なし。宗教的傾倒なし。警察への捜索願は提出済みであり、事件性は低いとの一次判断が下されているという。

 しかし、私が本件を単なる失踪事案と見なさなかった理由は、彼が提示した一枚の画像にある。

 画像は、スマートフォンのメッセージアプリに送信されたものであった。送信者は失踪者――男性B。撮影日時は不明。ファイル情報は削除されている。写っているのは、霧の立ちこめる森の中に建つ古い日本家屋。そして、その前に立つ人物の影である。

 影はぶれている。だが、顔の位置にあたる部分だけが不自然に白い。

 佐藤は言った。

「これが最後なんです。これが送られてきた翌日から、連絡が取れなくなりました」

 彼の指は震えていなかった。だが、声にはわずかな乾きがあった。私は録音機を起動し、許可を得て面談を開始した。

「男性Bとは、どういった関係ですか」

「大学の同級生です。十年来の付き合いで……。あいつ、去年あたりから、よく変なことを言っていたんです」

「変なこと、とは」

 佐藤は少し逡巡し、言葉を選ぶように続けた。

「“懐かしい家を思い出した”って。行ったこともないはずの山の中の家の話をするんです。夢で何度も見るって」

 夢。私はその単語を記録する。失踪事例において夢はしばしば象徴的な役割を持つ。だが、夢が具体的な建築物の構造や所在地にまで及ぶケースは稀である。

「その家について、具体的な説明は」

「縁側があって、蔵があって、奥に絶対開けちゃいけない部屋があるって」

 私は画像を再度確認した。縁側らしきものは確かに見える。蔵は画面外かもしれない。だが、“開けてはいけない部屋”という概念は、視覚情報からは読み取れない。

 つまりそれは、事前に語られていた構造だ。

「この家に見覚えは?」

「ありません。調べました。でも、場所も特定できない」

 私は画像の拡大を試みた。家屋の様式は一見して古民家風である。しかし、柱の太さと屋根勾配が一致しない。瓦は昭和後期以降の量産型に近いが、梁の形状は明治期以前の民家構造に類似している。建築年代の整合性がとれない。

 これは、改築を重ねた家なのか。

 それとも、年代的統一性を持たない“混成建築”なのか。

「最後のメッセージは」

 佐藤はスマートフォンを操作し、画面を私に向けた。

『用事、思い出し。還ります還ります還ります還ります還ります。』

 同じ文言が、数十回、連続している。

 “帰ります”ではなく、“還ります”。

 私はその表記を確認した。誤変換ではない。すべて同じ漢字が使われている。

 還。

 元の場所へ戻る、循環する、仏教的には輪廻を経て本源へ至る意。

 失踪直前の人物がこの語を用いることの意味は何か。

「Bさんは、最近、宗教的なものに関心を持っていましたか」

「いえ。むしろ無関心でした。ただ……」

「ただ?」

「獅子舞の動画をよく見ていました。地元の祭りの。自分は子どものころにやっていたって」

 獅子舞。

 私はその語も記録する。東北地方において、獅子舞は厄祓いの象徴であると同時に、霊的媒介装置として機能する事例が報告されている。特に“掛け声”は、祝祭的意味と呪術的意味の両義性を持つ。

「彼の出身地は」

「東北です。山のほうの」

 具体的地名はここでは伏せるが、古くから“迷い家”の伝承が残る地域と近接していることが、後の調査で判明する。

 私は面談を一旦終了し、画像データを受領した。解析のためである。帰り際、佐藤は言った。

「先生……あいつ、帰ったんでしょうか」

 私は即答できなかった。

 帰る、という語は通常、生者が元の生活圏へ戻ることを意味する。しかし“還る”は異なる。そこには生死を越えた往還のニュアンスがある。

 帰ったのか。

 還ったのか。

 その違いが、本件の核心に触れているように思われた。

 翌日、私は画像の建築様式について専門家数名に照会した。返答は一致していた。

「この家は特定の年代に属さない」

 ある建築史研究者は言った。

「むしろ、各時代の意匠を寄せ集めたように見える。だが意図的な再現建築でもない。不自然です」

 さらに、家の背後の樹木を植物学的に検討したところ、東北北部に自生する種が多いが、一部は中部山岳地帯に分布する種であることが判明した。地理的整合性もない。

 場所が特定できない。

 年代が特定できない。

 所有者が存在しない。

 にもかかわらず、そこに“立っている人物”だけが、現実の失踪者と一致している。

 私は仮に本件を「失踪事例2026-01」と整理し、個人ブログではなく、研究報告の形式で記録することに決めた。これは怪談ではない。少なくとも現時点では。

 だが、記録を進めるにつれ、私は奇妙な既視感に襲われ始めていた。

 この家を、私は知っているのではないか。

 画像を閉じた後も、縁側の影が脳裏に残る。開いたままの引き戸。誰もいないはずの暗がり。

 そして、なぜか確信に近い感覚があった。

 この家は、呼んでいる。

 誰を。

 失踪者をか。

 それとも、記録者である私をか。

 同日夜、私は夢を見た。

 霧の中を歩いている。足元は湿った土。遠くで祭囃子のような旋律が聞こえる。懐かしい、と感じている自分に気づき、同時に強い拒絶を覚える。

 目が覚めたとき、枕元に置いたはずのスマートフォンの画面が点灯していた。

 通知はない。

 だが、ロック画面の壁紙が、一瞬だけ変化したように思えた。

 縁側のある、あの家の画像に。

 私は深呼吸し、端末を再起動した。再起動後、異常は確認できなかった。気のせいだと結論づけることも可能である。

 しかし、調査を開始した初日から、対象の側がこちらを認識しているような感覚は、無視できない。

 本報告はここから始まる。

 失踪者男性Bの行方を追うこと。

 “還る家”と呼ばれる存在の民俗学的検証。

 そして、還るとは何かという問いの追究。

 この記録が未完に終わる可能性も含め、私は全過程を残す。

 なぜなら、迷い家の伝承には、必ずこう記されているからだ。

 ――入った者は、帰るのではない。

 ただ、還るのだ。