嬉しかった。
血を飲めたこと。
甲斐が、私に血を飲ませてくれたこと。
嬉しかった。
私の中で、何かが溶けた。甲斐の血が、私の中の何かを溶かしてくれた。
溶けた物が、あふれた。私の口から、あふれ出た。
怖かったこと。苦しかったかこと。辛かったこと。
甲斐は、聞いてくれた。全部、聞いてくれた。
そして言ってくれた。
「僕の血を、飲んでください。いくらでも」
夏休み。
私は毎日甲斐に会っている。
夕方、甲斐の予備校が終わってから。
家にいても、私は一人だ。独りぼっちだ。
家に母は……いない。
あれっきり、私の態度に、いっしょに食事をしない、マスクをはずさない私に腹を立てて出て行ったきり、帰って来ない。連絡もない。
私は、人に心を許さない。例えそれが、肉親、母であっても。
そう決めていた。
大丈夫。それでも大丈夫。そう思っていた。
でも……
結局私は、母に甘えていた。甘えていただけだった。
母がいてくれたから意地を張っていられた。大丈夫、な、フリをしていられた。
母が家を出て行って、ようやくそのことに気付いた。
私は……馬鹿だった。
私は吸血鬼になってしまった。
そのことを母に打ち明ければよかったのだろうか。
母は……私のために何をしてくれただろう。
私に血を吸わせてくれただろうか。それとも、無理やりにでも私を病院へ連れて行こうとしただろうか。
わからない……
今は……甲斐がいる。甲斐がいてくれる。
だから、母のことを考えないでいられる。
母に私の牙を見せてもいいのかどうか、血を吸わせてください、と、言ってもいいのかかどうか、考えないでいられる。
いずれ……きちんと話すにしても……
ファミレス。
甲斐は、私の隣、他の席から見えないように、通路側に座る。
甲斐が食べ終わるのを待つ。甲斐がおいしそうにご飯を食べるのを見ている。
食べ終わった。私は……
甲斐の肩に頬を寄せる。そして……
甲斐の腕に、牙を立てる。
甲斐の血が、私の中に流れ込んでくる。
目を閉じて、それを吸う。
まるで……口づけしてるみたいに。
もし誰かに見られたら……誰かが見ていたら……
まさか私が血を吸っているとは思わないだろう。
二人の様子は、仲のいい恋人同士だ。
人目をはばからず、二人だけの世界を堪能している……
気恥ずかしい気もする。
でも……それでも。
私の心中を察してか、私が血を飲んだ後、甲斐はいつも明るく振る舞ってくれた。
ゲームもしてくれた。私を楽しませるために。
4つの数字を足したり引いたり掛けたり割ったりして、10にする。
4つの数字を推理して当て合う。
「2、1、4、3」
「2ブロー」
「6、5、8、7」
「2ブロー」
「4、3、7、8」
「2ヒット!」
そして。
「4、7、2、8」
「4ヒット! 結花理さんの勝ち!」
嬉しかった。甲斐に勝ったことが、素直に嬉しかった。
私は、笑った。久し振りに笑った。笑えた。
気になることもあった。
甲斐が、変わってしまわないか……ということだ。
私は、吸血鬼に血を吸われて吸血鬼になってしまった、と思っている。
私に血を吸われた甲斐も吸血鬼になる。そう思っていた。
吸血鬼の特徴は……
牙が生えていて血を欲しがる。
甲斐は血を欲しがったりしない。私の目の前でパスタやハンバーグを食べている。
牙も生えていない。
念のため、甲斐に歯を見せてもらった。
甲斐は唇をめくって歯茎まで見せてくれた。
甲斐の歯は、人間の歯のままだ。
日光に弱い。
そんなことはない。私たちが会う頃、外はまだ明るい。
甲斐も日の光を気にしていない。
吸血鬼が血を吸うために人を襲うとしたら、きっと夜間に行動することが多いだろう。
そのため吸血鬼は日光に弱いと思われているのかもしれない。
十字架を嫌う。
私は……考えたことがなかった。十字架は持っていない。
甲斐は……わからない。試してみようとも思わない。
身体能力が高くなる。
甲斐にそんな様子はない。訊いてみたけど、歩くスピードも物を持つ力も変わっていないという。
コウモリに変身したり催眠術を使って幻覚を見せる。
そんなことはできない。私にもできない。
単なる伝説かも知れない。でも、私はベランダで眠らされて……
甲斐は、変わっていない。
私が血を吸っても、甲斐は少しも変わっていない。
甲斐が、私に血をくれると言ってくれた時、私は甲斐が吸血鬼になることを、私の仲間になってくれることを望んでいた、かもしれない。いや……望んでいた。間違いなく望んでいた。でも……
甲斐は変わらない。
吸血鬼の、もう一つの特徴。
性格は残忍で冷酷。狂暴。
甲斐は……優しい。
甲斐には……変わって欲しくない。変わらないでほしい。いつまでも優しい甲斐でいてほしい……
今、私はそう思っている。
ゲームが一段落した。
7時を過ぎていた。
私は帰っても一人だ。甲斐も、帰ってからもいつも部屋に一人でいると言っていた。
でも、高校生の男女が夜遅くまで二人でいるのはよくない。
甲斐も気にしてくれているみたいだ。
いつも、適当な時間になると甲斐の方から言ってくれた。
「そろそろ帰らないと……」
今日は……
甲斐が横目で私を見ている。何か言いたそうだ。
私は甲斐の言葉を待った。
「結花理さんの身体のことなんだけど……その、お医者さんとかには相談してみたのかな?」
医者……甲斐の口から、いつかはその言葉が出るんじゃないかと思っていた。
甲斐が今までそこに触れないでいてくれたことはありがたかった。
私からは……言い出せなかった。
私は何も言わずに首を横に振った。
「……前にも言ったかもしれないけど、僕の父親は医者で、もしよければ……」
「いや」
声が出ていた。その声に自分で驚いていた。
わかってる。
身体に異常があったら、まずは医者に診てもらう。常識だ。
でも……
怖い。怖かった。
あの、白い塔。
病院へ行くのが、怖い。
母に打ち明けれなかった理由でもあった。
それに……病院へ行ったとしても、私は治らない。医者には私を治せない。
そんな思いもあった。
病院は……私のお母さんのことも、お父さんのことも、救ってくれなかった……
「……ごめん」
甲斐が謝ってくれた。
私の方こそ……ごめん。
心の中で謝った。
甲斐の気持ちは、わかる。
このままでは甲斐にも迷惑をかけてしまう。
でも……
私が病院へ行ったら、きっと甲斐にも会えなくなってしまう。
今は、このまま……もうしばらく……せめて夏休みが終わるまで……
こうして、甲斐と、こうしていたい。
お願い……
血を飲めたこと。
甲斐が、私に血を飲ませてくれたこと。
嬉しかった。
私の中で、何かが溶けた。甲斐の血が、私の中の何かを溶かしてくれた。
溶けた物が、あふれた。私の口から、あふれ出た。
怖かったこと。苦しかったかこと。辛かったこと。
甲斐は、聞いてくれた。全部、聞いてくれた。
そして言ってくれた。
「僕の血を、飲んでください。いくらでも」
夏休み。
私は毎日甲斐に会っている。
夕方、甲斐の予備校が終わってから。
家にいても、私は一人だ。独りぼっちだ。
家に母は……いない。
あれっきり、私の態度に、いっしょに食事をしない、マスクをはずさない私に腹を立てて出て行ったきり、帰って来ない。連絡もない。
私は、人に心を許さない。例えそれが、肉親、母であっても。
そう決めていた。
大丈夫。それでも大丈夫。そう思っていた。
でも……
結局私は、母に甘えていた。甘えていただけだった。
母がいてくれたから意地を張っていられた。大丈夫、な、フリをしていられた。
母が家を出て行って、ようやくそのことに気付いた。
私は……馬鹿だった。
私は吸血鬼になってしまった。
そのことを母に打ち明ければよかったのだろうか。
母は……私のために何をしてくれただろう。
私に血を吸わせてくれただろうか。それとも、無理やりにでも私を病院へ連れて行こうとしただろうか。
わからない……
今は……甲斐がいる。甲斐がいてくれる。
だから、母のことを考えないでいられる。
母に私の牙を見せてもいいのかどうか、血を吸わせてください、と、言ってもいいのかかどうか、考えないでいられる。
いずれ……きちんと話すにしても……
ファミレス。
甲斐は、私の隣、他の席から見えないように、通路側に座る。
甲斐が食べ終わるのを待つ。甲斐がおいしそうにご飯を食べるのを見ている。
食べ終わった。私は……
甲斐の肩に頬を寄せる。そして……
甲斐の腕に、牙を立てる。
甲斐の血が、私の中に流れ込んでくる。
目を閉じて、それを吸う。
まるで……口づけしてるみたいに。
もし誰かに見られたら……誰かが見ていたら……
まさか私が血を吸っているとは思わないだろう。
二人の様子は、仲のいい恋人同士だ。
人目をはばからず、二人だけの世界を堪能している……
気恥ずかしい気もする。
でも……それでも。
私の心中を察してか、私が血を飲んだ後、甲斐はいつも明るく振る舞ってくれた。
ゲームもしてくれた。私を楽しませるために。
4つの数字を足したり引いたり掛けたり割ったりして、10にする。
4つの数字を推理して当て合う。
「2、1、4、3」
「2ブロー」
「6、5、8、7」
「2ブロー」
「4、3、7、8」
「2ヒット!」
そして。
「4、7、2、8」
「4ヒット! 結花理さんの勝ち!」
嬉しかった。甲斐に勝ったことが、素直に嬉しかった。
私は、笑った。久し振りに笑った。笑えた。
気になることもあった。
甲斐が、変わってしまわないか……ということだ。
私は、吸血鬼に血を吸われて吸血鬼になってしまった、と思っている。
私に血を吸われた甲斐も吸血鬼になる。そう思っていた。
吸血鬼の特徴は……
牙が生えていて血を欲しがる。
甲斐は血を欲しがったりしない。私の目の前でパスタやハンバーグを食べている。
牙も生えていない。
念のため、甲斐に歯を見せてもらった。
甲斐は唇をめくって歯茎まで見せてくれた。
甲斐の歯は、人間の歯のままだ。
日光に弱い。
そんなことはない。私たちが会う頃、外はまだ明るい。
甲斐も日の光を気にしていない。
吸血鬼が血を吸うために人を襲うとしたら、きっと夜間に行動することが多いだろう。
そのため吸血鬼は日光に弱いと思われているのかもしれない。
十字架を嫌う。
私は……考えたことがなかった。十字架は持っていない。
甲斐は……わからない。試してみようとも思わない。
身体能力が高くなる。
甲斐にそんな様子はない。訊いてみたけど、歩くスピードも物を持つ力も変わっていないという。
コウモリに変身したり催眠術を使って幻覚を見せる。
そんなことはできない。私にもできない。
単なる伝説かも知れない。でも、私はベランダで眠らされて……
甲斐は、変わっていない。
私が血を吸っても、甲斐は少しも変わっていない。
甲斐が、私に血をくれると言ってくれた時、私は甲斐が吸血鬼になることを、私の仲間になってくれることを望んでいた、かもしれない。いや……望んでいた。間違いなく望んでいた。でも……
甲斐は変わらない。
吸血鬼の、もう一つの特徴。
性格は残忍で冷酷。狂暴。
甲斐は……優しい。
甲斐には……変わって欲しくない。変わらないでほしい。いつまでも優しい甲斐でいてほしい……
今、私はそう思っている。
ゲームが一段落した。
7時を過ぎていた。
私は帰っても一人だ。甲斐も、帰ってからもいつも部屋に一人でいると言っていた。
でも、高校生の男女が夜遅くまで二人でいるのはよくない。
甲斐も気にしてくれているみたいだ。
いつも、適当な時間になると甲斐の方から言ってくれた。
「そろそろ帰らないと……」
今日は……
甲斐が横目で私を見ている。何か言いたそうだ。
私は甲斐の言葉を待った。
「結花理さんの身体のことなんだけど……その、お医者さんとかには相談してみたのかな?」
医者……甲斐の口から、いつかはその言葉が出るんじゃないかと思っていた。
甲斐が今までそこに触れないでいてくれたことはありがたかった。
私からは……言い出せなかった。
私は何も言わずに首を横に振った。
「……前にも言ったかもしれないけど、僕の父親は医者で、もしよければ……」
「いや」
声が出ていた。その声に自分で驚いていた。
わかってる。
身体に異常があったら、まずは医者に診てもらう。常識だ。
でも……
怖い。怖かった。
あの、白い塔。
病院へ行くのが、怖い。
母に打ち明けれなかった理由でもあった。
それに……病院へ行ったとしても、私は治らない。医者には私を治せない。
そんな思いもあった。
病院は……私のお母さんのことも、お父さんのことも、救ってくれなかった……
「……ごめん」
甲斐が謝ってくれた。
私の方こそ……ごめん。
心の中で謝った。
甲斐の気持ちは、わかる。
このままでは甲斐にも迷惑をかけてしまう。
でも……
私が病院へ行ったら、きっと甲斐にも会えなくなってしまう。
今は、このまま……もうしばらく……せめて夏休みが終わるまで……
こうして、甲斐と、こうしていたい。
お願い……



