君が(私が)吸血鬼でも

 問題。
 放物線y=x²において、xの値が1から4まで変化した時の平均変化率を求めよ。

 答え。
 xが1の時yは1×1=1、xが2の時yは2×2=4、xが3の時yは3×3=9、xが4の時yは4×4=16。
 xの変化量は4-1=3、yの変化量は16-1=15
 よって平均変化率は15/3=5
 答えは5だ。
 ちなみにy=x²をグラフにするときれいな放物線になる。平均変化率はそのグラフ上の2点を通る直線の傾きだ。

 この問題におけるxは僕が結花理さんと会う回数。そしてyは僕の結花理さんに対する思いだ。
 結花理さんに会う度に僕の結花理さんに対する思いは大きくなった。そしてその変化率、2点を通る直線の傾きも大きくなった。
 xが2の時の変化率は(4-1)/(2-1)=3、xが3の時の変化率は(9-1)/(3-1)=4、そしてxが4の時の変化率は(16-1)/(4-1)=5だ。
 つまり会う度に結花理さんを好きになる度合いも大きくなっていったということだ。

 夏休み。
 僕は毎日、結花理さんと会っていた。
 あの時、僕が結花理さんに腕を咬ませて血を飲ませた時、いや、腕を咬んでもらって、血を飲んでもらった時、結花理さんは、泣いた。泣いてくれた。
 正直、驚いた。まさかそこまで……
 でも、僕も嬉しかった。結花理さんが喜んでくれている。そう思うと、嬉しかった。
 間もなく結花理さんが僕の腕から口を離した。それでもまだ結花理さんは泣いていた。
 僕たちは公園の中に入って木陰にあったベンチに腰を下した。
 結花理さんが話し始めた。
 無口だった結花理さんが、堰を切ったように。
 僕が聞いたわけでもないのに。泣きながら。
 夜中、ベランダで何かに咬まれて、それから身体が変化し始めたこと。
 そのことを誰にも言えずに一人で苦しんでいたこと。
 そして……血が欲しかったこと。

「……苦しかったんだ……辛かったんだよ……」
 結花理さんが、絞り出したような声で言った。泣きながら。
 僕は、結花理さんを抱きしめたくなった。
 でも、そんなことしていいのか……わからなかった。僕は、結花理さんの彼氏、ていうわけじゃないし……
 代わりに僕はまた、僕の腕を結花理さんの前に差し出した。
「僕でよければ……僕の血でよければ、僕の血を、飲んでください」
 結花理さんがまた、泣いた。子供みたいに、泣いた。

 そして僕は、それから毎日、結花理さんと会うことになった。会う約束をした。
 夏休み中、僕は毎日予備校に通うことになっていた。
 1学期中は学校の授業が終わってから予備校だったから、予備校が終わるのは午後9時だった。
 夏休みは学校の授業がない。その代わり朝9時から予備校。終わるのは午後5時。
 さすがに夜9時から結花理さんと、女子と、二人で会うわけには行かなかった。
 夏の5時はまだ十分に明るい。ごく自然に結花理さんと待ち合わせることができた。
 結花理さんも予備校の近くまで来てくれた。予備校は高校と同じ駅だったし。

 ハンバーガーショップやファミレス、そしてあの、公園。何か所か場所を変えてみた。
 最近はボックス席のあるファミレスに定着してきた。
 そのファミレスのボックス席は隣の席とは衝立で仕切られていた。
 だから他のお客さんや店員さんから見えづらい。
 結花理さんはいつも奥側、壁がある方に座った。僕は通路側。
 向かい合わない。二人並んで座った。
 僕は食事と飲み物を注文した。結花理さんは飲み物だけ。でも結花理さんは飲み物も飲まない。結花理さんの分も僕が飲んだ。

 僕が食べ終わって、ひとしきりした頃。
 結花理さんはそっと、僕の肩に寄りかかってくる。
 僕は何気なく店内を見回す。
 見えづらい、と言ってもまったく見えないわけではない。他のお客さんや店員さんに見られてないか、念のため確認する。
「……いいよ」
 小さな声で言ってあげる。
 結花理さんがマスクを外す。そして……僕の腕に口を付けて……僕の腕を、咬む。
 結花理さんの歯、牙が刺さる。少しだけ痛い。
 結花理さんは……僕の血を吸う。
 10秒か、20秒くらいだろうか。結花理さんが僕の腕から口を離して、顔を上げる。
「ありがとう……おいしかった」
 結花理さんが言ってくれる。
 結花理さんは満足してくれただろうか……
 僕は心配になる。
「もっと吸ってもいいよ」
 言ってみる。
「ううん、大丈夫。ごちそう様」
 結花理さんが口角を上げる。
 結花理さんがウエットティッシュで僕の腕を拭いてくれる。
 そして、腕に付いた小さな傷跡にバンソウコウを貼ってくれる。
 それから……結花理さんは恥ずかしそうに下を向く。
 僕は……

 僕はもともと口数が多い方じゃない。結花理さんを楽しませることができるような話題もない。自分のことや、画用紙の表裏の話はもうしてしまった。
 結花理さんも無口だ。その後、間が持たなかった。
 かと言ってそれだけでさよならするのは惜しい。
 間を持たせるため、結花理さんを楽しませるために僕ができることは……
 ゲーム。数を使ったゲーム。

「あの、突然だけどいいかな? 1+2+3+4は、いくつ?」
 言って見た。
 結花理さんは少し不思議そうな顔をした。と言っても、マスクをしているから目の動きしか見えないけど。
「10」
 結花理さんが答えた。
「それじゃ、2、3、4、5の4つの数字を一度ずつ使って10にしてみて。足し算だけじゃなくて、引き算、掛け算、割り算も使っていいから」
 結花理さんは少し考えてから言った。
「わかない」
「えっと、5-3は2、2×4は8、2+8で、10」
「なるほど……」
 結花理さんの目は笑ってない。
「それじゃ、3、4、5、6の4つの数字では?」
 めげずに言ってみた。
 結花理さんの目が上を向いた。真剣に考えてるみたいだ。
「6÷3は2、4÷2は2、2×5で10」
 結花理さんが答えた。
「すごい!」
 結花理さんの目が笑った、ように見えた。
「次は、4、5、6、7」
「う~ん」
 声が聞こえた。考えている。
「7-4で3、6÷3は2、2×5で10」
 早い。やっぱり結花理さんは頭がいい。
「それじゃ、5、6、7、8では?」
「今度は奇数だけ。1、3、5、7では?」
「次は偶数。2、4、6、8では?」

 結花理さんは僕が出題した問題に全部答えた。さすがだ。
 結花理さんは……楽しんでくれているだろうか。そっちが心配だ。
 訊いてみた。
「どう? 面白い?」
 結花理さんはうなずいてくれた。

 こんなゲームもした。
 ルーズリーフを取り出して、結花理さんの前に置いた。
「そこに4つの数字を書いて。同じ数を2度使わずに」
「また10にするの?」
 結花理さんが言った。
「いや、今度は違うゲーム。僕がその数を当てるんだ」
 結花理さんは少し不思議そうな目をしてからルーズリーフに向かった。
「見せてもいいの?」
「うん、まずはやり方を説明するから」
 結花理さんがルーズリーフを僕に向けた。4つの数字が書かれていた。

 0825。
「私の誕生日」
 結花理さんが言った。
 そうか……あと1ヶ月。1ヶ月で結花理さんの誕生日。結花理さんは、僕と同じ17歳になる。
 なんとなく……嬉しかった。結花理さんが僕に誕生日を教えてくれたことが。

「えっと、僕がその数字を知らないとして、4つの数字を言います。例えば……0512」
 これは僕の誕生日だ。
「0825の下に0512、て書いて」
 結花理さんがその数字を書いた。
「このゲームでは数字の順番も当てなくてはいけない。僕の言った数字では、最初の数字、0が当たっている。これをヒット、て言う」
 結花理さんは黙って数字を見ている。
「次に、2と5。2と5は結花理さんが書いた4つの数字に入ってるけど、位置が違う。この場合は、ブロー、て言う。吹いた、ていうことだね。かすった、くらいの意味かな」
 結花理さんがうなずく。
「だからこの時、結花理さんは僕に、(ワン)ヒット(ツー)ブロー、て言うんだ。1つ当たって、2つかすった、ていうことだね」
 結花理さんがまたうなずく。
「次に僕は、その情報を元にまた4つの数字を推理して、その数字を当てに行く。結花理さんはヒットの数とブローの数だけ僕に答える。それを何度か繰り返す。4ヒット、つまり結花理さんが書いた4つの数を全部僕が当てるまで」
「……なるほど」
 結花理さんが言った。
「しかもこれは対戦ゲームで、僕は僕で4つの数字を手元に書く。二人で交互に数字を言い合って、先に4つの数字を全部言い当てた方が勝ち」
「うん」
 結花理さんがうなずいた。
「じゃ、本番。まずは先攻後攻を決めて……」

 僕は手元のルーズリーフに「4、7、2、8」と書いた。特に意味のない数字だ。
 先攻は結花理さんだ。

「2、1、4、3」
 結花理さんが言う。
「2ブロー」
 僕が答える。

「僕の番。5、7、9、0」
「1ブロー」
 結花理さんが答える。

「結花理さんの番」
「6、5、8、7」
「2ブロー。次は僕。1、2、4、7」
「1ブロー」
「え? なんで?」

「4、3、7、8」
「2ヒット!」
 さすがだ。最初の二つで合計4ブローだから残った「9」と「0」がないことを見抜いている。ヒットはたまたまかもしれないけど。
 さて、僕は……

「3、6、1、2」
「2ブロー」
「わ、まずい!」

 そして、結花理さん。
「4、7、2、8」
「4ヒット! 結花理さんの勝ち!」
「……やった」
 結花理さんが小さく声を上げた。
 そして……笑った。その目は間違いなく、笑っていた。

 ケシの実を撒いておくと、吸血鬼はそれを数えることに夢中になって襲って来ない、という話を思い出した。
 ゲームに集中することで、結花理さんが嫌なことを忘れてくれれば……
 いや、結花理さんは魔物じゃない。
 僕は心の中で自分を𠮟り付けた。
 でも……
 結花理さんの身体が普通ではないの事実だ。なんとか、どうにかして、結花理さんを元の身体に戻してあげることはできないだろうか……
 もし結花理さんの、吸血鬼、化? そう、吸血鬼化がある種の病気だったら……あるいは治療の方法があるかもしれない。
 僕の父親は医者だ。結花理さんのことを父親に相談してみたら……
 正直言って、僕は父親のことを信頼していない。父親として、人として。
 でも、医者としての父親は……信頼できる、かもしれない。
 僕は前に父親に吸血鬼は本当にいると思うかという質問をした。
 あの時は空想上の物だと言われた。でも、実際に結花理さんのことを話したら……結花理さんを見てもらったら……

 結花理さんに言ってみた。
「あの……結花理さんの身体のことなんだけど……その、お医者さんとかには相談してみたのかな?」
 考えてみれば、僕の父親云々ではなく、身体に不調があったらまず医者に相談する、普通のことだ。
 結花理さんは黙って首を横に振った。
「……前にも言ったかもしれないけど、僕の父親は医者で、もしよければ……」
 言いかけた。
「いや」
 結花理さんが言った。僕の話を遮るようにして。
 結花理さんの、医者にも言えない……言いたくない気持ちもわかった。
「……ごめん」
 僕は……謝るしかなかった。
 
 2週間が過ぎた。
 8月になった。8月は結花理さんの誕生月だ。
 
 一つ、不思議なことがあった。
 結花理さんの身体のことはともかくとして、僕自身の身体に……変化がない。
 結花理さんは、何かに咬まれて吸血鬼になってしまったと言った。
 そして僕はその結花理さんに咬まれた。咬んだもらった。血を吸ってもらった。
 ならば、僕も吸血鬼になっていい、はずだ。いや、僕も吸血鬼になる、その覚悟を決めていた。
「そんなことをしたら、あなたも吸血鬼なってしまうんだよ」
 結花理さんはそう言った。結花理さんもそう思っていたといた。
 なのに……僕の身体に変化は、ない。僕は……吸血鬼になっていない。僕は普通の人間のままだ。
 結花理さん=僕の苦しみ、になっていない。
 でも……それでも。
 こうして毎日結花理さんに会って、結花理さんに僕の血をあげることができていれば……それで結花理さんが喜んでくれるなら……
 それなら……それで。
 ずっと、こうしていたい。結花理さんと、こうしていたい。
 このままこの結花理さんとの日々が続いてくれたら。このままこの夏休みが終わらなければ。
 僕は本気で、そう願っていた。