君が(私が)吸血鬼でも

 甲斐……甲斐に会いたい……会いたいよう……

 私は、ベンチに座って一人で泣いていた。
 匂いがした。桜の……匂い。
 一瞬、意識が遠のいた。
 顔を上げると、目の前に虎倉が立っていた。
「どこへ行くんだ? 君はもう私たちの仲間だというのに」
 虎倉が言った。
 仲間……
 いつに間にかまた、感情が消えていた。
 雨の中、虎倉の声が音として私の耳に響いた。
「逃げようとした罰だ。今度は君が、仲間を作る番だ」
 仲間……
「そう、仲間だ。そいつの血を吸え。そうすればそいつも我々の仲間になる」
 仲間……独りぼっちはいや……仲間が……欲しい……
「そいつは誰だ? 考えろ」
 仲間……誰……顔が浮かんだ。

 甲斐?
 声が聞こえた。
「結花理さんを試してるんじゃありません! これは、僕の気持ちです」
「……もっと吸ってもいいよ」
「4ヒット! 結花理さんの勝ち!」

 別の声が聞こえた。
『だめ! 甲斐はだめ!』
 心の中で誰かが叫んでいた。

 それなら……お母さん?
 また声が聞こえた。
「お刺し身しか食べられないなら、また買って来るよ」
「すぐ行くから! すぐ帰るから! 待ってて!」
「ごめんなさい……気付いてあげなくて……本当にごめんなさい……」

『だめ! お母さんもだめ! 仲間にしちゃだめ!』
 別の声がそう言った。

 それなら……新也は?
 声は……聞こえない。
 いつか、好きだった人。いつだったか、ずっと前に……
 私はベンチから立ち上がっていた。
「決まったようだな。行こうか」
 虎倉が、笑いながら言った。


 ***   ***   ***


 美羅と拓海が階段を降りて行くのを見送ってから、僕は立ち上がった。
 これで、結花理さんが行きそうなところは……
 数えた。

 1、結花理さんの家。
 2、僕の家。
 3、学校。
 4、美羅のところ。
 
 確認した。
 結花理さんの家にはお母さんがいる。
 僕の家には父親がいる。
 学校には新也がいる。
 美羅のところには拓海がいる。
 この中のどこかを結花理さんが選んでくれれば。どこかにヒットしてくれれば。でなければ、ブローでも。
 いや、もう一つ。
 僕。僕自身。
 僕は……僕はどうすればいい?

 やっぱり、あのファミレス。結花理さんと、何度も会った、結花理さんが、何度も僕の血を吸ってくれた、あのファミレス。
 僕は反対側の階段へ向かった。
 まだ開店前だ。それに、僕にはあの店で乱闘事件を起こした前科がある。店の人が僕のことを覚えていれば、店には入れてもらえないかもしれない。
 でも……ファミレスは歩道に面していて、店の前に(ひさし)があった。そこで、結花理さんを待つ。
 決めた。僕はファミレスへ向かって階段を駆け降りた。


 ***  ***  ***


 どこをどう歩いたのか、走ったのか、わからなかった。
 いつの間にか、私は学校の校門の近くにいた。
 新也のいるところ……
 虎倉が教えてくれたのか、それとも自分で感じ取ったのか……
 学校に行けば、新也に会える。新也を……仲間にできる。

 傘を差して校門から出て来る数人の男子が見えた。
 そろいのトレーニングウェアを着ている。
 あの中に……新也がいる。
 すぐにわかった。
 私は歩み寄った。そして呼びかけた。
「……シン……ヤ……」
 男子たち一斉に私を見た。
「ヒ!!」「ウワ!!」
 声が上がった。
「化け物!!」
 そう声を上げたのは……新也。新也だった。
 私は新也に歩み寄った。
 男子たちが傘を投げ出して逃げ出した。
 新也はその場に尻もちをついていた。
「シンヤ……」
 もう一度、新也を呼んだ。
「……血を……血を吸わせて」
 そう言って、新也の前に立った。
「近寄るな!! 化け物!!」
 新也がまた、叫んだ。
 化け物……
 それって……私のこと?
 新也が立ち上がった。そして私に背を向けて走り出した。振り向きもせずに。
 化け物……新也に……化け物、て、言われた……
 私は動かなかった。動けなかった。
「どうした。追いかけないのか」
 声がした。虎倉だった。
 私は動かなかった。
 新也に……化け物、て……言われた……
 悲しい……のか……虚しい……のか……悔しい……のか……
 ただそんな、感情、らしい物が胸の中に渦巻いているのがわかった。
「そうか。それなら、次だ。次のターゲットだ」
 虎倉が言った。
「仲間にするのでなければ……仕返しはどうだ。憎い相手に仕返しする。そいつを襲って、そいつの血を吸ってやれ」
 仕返し……憎い……相手。
 名前が、顔が浮かんだ。
 虎倉が言った。
「次はそいつのところだ。さあ、行こう」


 ***  ***  ***


 ファミレスの前。
 僕は立ったまま歩道に張り出した庇を叩く雨の音を聞いていた。
 結花理さんは、雨に当たらない所にいるだろうか……雨に濡れていないだろうか……
 そんなことを考えていた。

 スマホが鳴った。電話だ。
 交換したばかりの番号。新也からだ。
 すぐに受信した。
「……甲斐か?」
「何かあった? もしかして、結花理さんが?」
「いや、それが……学校の前に、化け物がいたんだ」
 新也の声は上ずっていた。興奮しているみたいだ。
「化け物?」
「ああ……」
「どんな?」
「女だ。髪が長くて、真っ黒な服を着ていて、びしょ濡れで……牙が生えてた」
 牙!
「俺の名を呼んで……血を吸わせろって……」
 血!
「今思い出すと、あの顔、蘇井に似てたかもしれない、て思って……でもそんなわけないよな」
 結花理さんだ! 間違いない、結花理さんだ!
「で、その人は今まだそこにいるの?」
「……いや」
「どこに?」
「……わからない。見失っちまって……俺は今、裏門に回って学校に戻ってるんだけど……」
「わかった。ありがとう」
 電話を切った。
 結花理さん……そんな……結花理さんが、本当に吸血鬼みたいな姿に……
 僕は首を振った。
 早く……早く結花理さんを見つけないと……結花理さんを助けないと……
 考えろ。結花理さんはどこへ行った?
 ただ徘徊している? いや……
 結花理さんは新也に会いに行ったんだ。僕ではなく、新也に……なぜ? なぜだ?
 はっきり訊いたことはなかったけど、結花理さんは以前、新也に好意を持っていた。結花理さんは新也を仲間にしようとして……

 新也が見た結花理さんはまさに吸血鬼だ。
 こんなこと考えたくないけど、もし結花理さんが、その姿だけでなく、心まで吸血鬼になってしまっていたら……結花理さんが次に狙うのは……

 僕はまたスマホを開いた。
 これも交換したばかりの電話番号。
 拓海。
 何回かの呼び出し音の後、拓海が応答してくれた。
「拓海君?」
「……ああ」
「変わったことはない?」
「え? いや……別に」
 良かった。
「今どこにいる?」
「ああ……ショッピングセンターのフードコートだけど」
「美羅さんもいっしょ?」
「もちろん……いっしょだけど」
「ショッピングセンターのフードコートだね。ありがとう」
 電話を切った。
 ショッピングセンターは駅の向こう側だ。
 僕はまた走り出した。


 ***  ***  ***


 私は、駅前のショッピングセンターの前にいた。
「加志摩美羅はこの中にいる。さあ、あいつを襲って、その血を吸い尽くしてやるんだ」
 虎倉の声がした。
 私はショッピングセンターの入り口へ向かって歩いた。
 中の様子はわかっていた。入るとすぐに衣料品売り場があり、その奥がフードコートだ。
 入り口で傘を畳んでいた女の人が私を見て「ヒッ!」と声を上げた。その顔が引きつっていた。
 そのまま中へ入った。
「近くにもう一人、仲間がいるな」
 また虎倉の声がした。
「そいつも連れて来てやる。お前の……彼氏だ」
 彼氏……それより……早く加志摩美羅の血を……血を吸いたい。
 私はフードコートへ向かった。


 ***  ***  ***


 階段を駆け上って、改札前の通路を走って、反対側の階段を走り下りた。
 息を切らしながら、走った。
 駅前のロータリー。右に回れは、公園。左に回ればすぐにショッピングセンターだ。
 左へ向かう。あと少しだ。

 匂いがした。
 雨の匂いに混じって……甘い……匂い。桜?
 眩暈がした。全力で走ってきたからか?
 その場に立ち止まった。身体が……動かなかった。
 周囲の音が、消えた。
 歩いていた人たちが止まって見えた。
「え?」
 声を上げていた。
 空から落ちて来る雨粒が止まって見えた。
 どうした? 何が起きた?

「どこへ行くんだ? 西門」
 声がした。
 目の前に人が立っていた。真っ黒なベンチコート。
 虎倉。体育教師の虎倉だった。
「蘇井のところか?」
 虎倉が続けた。
 なぜ? なぜ虎倉が?
 そういえば、結花理さんを病院から連れ出したのは、真っ黒なベンチコートを着た……
「遅いぞ。西門。蘇井はもう俺たちの仲間だ」
 俺たちの……仲間……
 一瞬で、理解した。
 そうか……虎倉、お前が……お前が結花理さんを……
「西門。お前もいっしょに来ないか? 吸血鬼はいいぞ」
 そう言って虎倉が笑った。牙が見えた。
「俺たちは永遠に生きられる。お前も母親を失っているからわかるだろう。俺たちは死の恐怖におびえずに済むんだ。人並外れた強靭な身体を手に入れることもできる」
 違う……そう思った。死ぬことなんか怖くない。ただ僕は……
 声が出なかった。
「お前はすでに蘇井に血を吸われている。だからもう、お前も俺たちの仲間だ」
 虎倉が歩み寄って来た。牙を剥いて、僕の喉元に……

「違う!!」
 叫んだ。声が出た。
 虎倉が後退りした。目を丸くしていた。
「僕はお前たちの仲間になんかならない!!」
 僕は続けた。
 止まっていた雨粒が落ちて、地面を叩く音が響いた。
「……なぜだ……なぜ声を出せる?」
 虎倉の表情が歪んだ。
「結花理さんもだ!!  結花理さんもお前たちの仲間になんかならない!!」
 雨音に負けないくらい、大きな声で叫んだ。
「……お前は蘇井に血を吸われているはずだ……なのになぜ……」
 僕は叫び続けた。
「結花理さんを取りもどす!! 取り戻して見せる!!」
 走った。虎倉の脇を通り抜けてショッピングセンターへ向かった。
 右肩が虎倉にぶつかった。虎倉はその場に尻もちをついていた。
 かまわずに走った。
「結花理さん!! 今行くよ!! 待ってて!!」
 僕はまた叫んだ。


 ***  ***  ***


 いた。加志摩美羅だ。
 例の仲間たち4人で、テーブルを囲んで何か飲んでいる。
 私も……飲みたい。あなたの血を、飲みたい。
 私は、美羅に向かって、走り出した。


 ***  ***  ***

 問題。
 放物線y=x²、直線x=17、x軸で囲まれた部分の面積を求めよ。
 答えは関数y=x²を0から17までで定積分することによって求められる。
 でも今はそんな計算している場合じゃない。

 虎倉。お前は間違ってる。
 確かに人の命は有限だ。無限じゃない。
 でも、その一定期間における変化率を最大限に高めることはできる。
 その期間における、その面積の総量はいくらでも増やすことができる。
 いや、有限だからこそ、一定期間内だからこそ、その関数を、最善の、最良の、最高の物にするために、人は生きるんだ。
 僕の母さんも、結花理さんの両親も、きっとそうやって生きたはずだ。
 xの数値が無限でも、y=0の人生では、悲しい。
 人並外れた強靭な身体があっても、誰にも愛されない、誰も愛さない人生では、悲しい。
 直線x=17は17歳の僕だ。例えそこで人生が終わっても、僕の人生のそこまでの総面積は……

 ショッピングセンターに着いた。
 真っ直ぐにフードコートへ向かった。
 いた。
 長い髪。細身の後ろ姿。
 髪の毛は雨に濡れていた。見たことのない真っ黒な服を着ている。でも、僕にはわかる。結花理さんだ。
 そして結花理さんの前方。フードコート。
 テーブルを囲む美羅たちだ。
 結花理さんが走り出した。
 僕は走るスピードを上げた。


 ***  ***  ***


 走り出した途端、前のめりに押し倒された。
 誰かが後ろから飛び掛かってきたのだ。
 その誰かが背中に乗って私を押さえつけてきた。
 後ろから私の口元に腕を押し付けてきた。
 その腕に咬みついてやった。
 血の味がした。
 吸ってやる。
 美羅の前に、こいつの血を、全部吸い尽くしてやる。


 ***  ***  ***


 走り続けていた分、走り始めた結花理さんより僕の方が速度あった。
 結花理さんに追いついた。そのまま結花理さんに後ろから飛び掛かった。
 結花理さんは僕といっしょに前のめりに倒れ込んだ。
 僕は両腕で結花理さんの身体を押さえつけようとした。
 結花理さんがもがいた。
 結花理さんの顔の前に右腕を回した。口に右腕を押し付けた。
 結花理さんが僕の腕に咬みついた。
 そう。そうだ。それでいい。
 血を吸って。
 結花理さん。僕の血を吸って……


 ***  ***  ***


 口の中に、血が流れ込んできた。
 懐かしい……味がした。
 何? この味は……
 いつか……味わったことのある……

 私の口から私の身体の中に、その血が流れ込んでくるのがわかった。
 そして……私の中の何かが、溶け始めた。
 どんどん……溶けて行く……流れて行く……
 懐かしい……感覚……
 ……この感覚は……

 甲斐?
 そうだ。甲斐だ。甲斐の血だ。
 甲斐……甲斐……甲斐……会いたかったよ……甲斐……
 私は、甲斐の血を吸い続けた。


 ***  ***  ***


 結花理さんの動きが止まった。
 結花理さんは……ただひたすらに、僕の血を吸っている。
 いいよ。
 好きなだけ吸って……

 意識が遠のいてきた。
 父親の言葉を思い出した。
 人は一定量以上の血を失うと死んでしまう。
 一度に大量の血を失うとショック死することもある。

 僕はこのまま死んでしまうのだろうか……
 それなら……それでも……


 ***  ***  ***


 ……甲斐……甲斐……甲斐……
 ……会いたかったよ……甲斐……


 ***  ***  ***


 意識が無くなって行く……
 こんな時は何を考えれば……
 そうだ……数学……積分……
 ……放物線y=x²とx軸、直線x=17で囲まれた部分の面積は……
 ……まず、指数2に1を足して……


 ***  ***  ***


 ……甲斐……甲斐……言ってなかったことがあるんだ……
 ……甲斐……大好きだよ……