気が付くと、教会の中にいた。
そこが教会だということはすぐにわかった。
暗い室内。高い天井。ステンドグラスが嵌められた窓……
私は祭壇に向かって並べられた長椅子に座っていた。
そしてその祭壇は……真っ黒な布で覆われていた。
十字架も、マリア様の像もなかった。ただ蝋燭を乗せた燭台が並んでいた。
真っ黒な祭壇を背にして蝋燭の火が空中に浮かんでいるように見えた。
どうしてここにいるのか。どうやってここに来たのか……わからなかった。
「目が覚めたようだね」
声がした。隣を見た。すぐ隣に、虎倉がいた。私と並んで長椅子に座っていた。
思い出した。
私は病院のベッドで眠っていた。そこに虎倉が現れて……私は、虎倉に手を引かれて……
そうか……私は虎倉に連れて来られたんだ。
恐怖や不安は感じなかった。というより……感情、のような物が、なかった。湧いてこなかった。
ただ、頭は働いていた。周囲の状況を理解することはできた。
私は真っ黒なワンピースを着ていた。着せられていた。
ワンピースの下には病院で着ていたパジャマをそのまま着ていた。
足にはサンダルを履いていた。紐でしかっりと足首に縛り付けられていた。
私は並べられた長椅子の一番後ろの列に座っていた。
前の椅子にも座っている人たちがいた。全部で……20人くらいだろうか。みんな黒い服を着ている。
「みんな、私たちの仲間だ」
虎倉が言った。
仲間? ……どういうこと? 私はこんな人たち、知らない……
そうだ。私は……吸血鬼になってしまった。ていうことは、この人たちも、吸血鬼?
私は隣にいる虎倉を見た。
私たちの……ていうことは、虎倉も……
「そう、私も君の仲間だ」
そう言って虎倉が笑った。私の考えていることがわかるのだろうか。
いや、そんなことより……
頭を巡らせた。
私は家のベランダで誰かに咬まれた。そのために私も吸血鬼になってしまった。
あの時、私を咬んだのは……
「私だ」
虎倉が言った。
「君のことは、君が入学してきた時から見ていた。いつか君を仲間にしてやろうと思っていた。私はそのチャンスをうかがっていた」
私を?
「学校ではなかなかチャンスがなかった。人目があったし、担任でもない私が君を個別に呼び出すこともできなかった。そこで、時々君の家の様子を見ていた」
全然……気が付かなかった。
「あの日君は一人でベランダにいた。しかも人気のない深夜だ。千載一遇のチャンスだと思った」
やっぱり……あの時……でもどうやって、マンションの5階まで……
「私は吸血鬼だ。人並外れた身体能力を持っている。マンションの壁をよじ登ることぐらいわけのないことだ」
そうなのか……でもなぜ私を……私だけを……
「君を見て、すぐにわかったよ。君は、心に闇を抱えていた」
闇……
そうか。私は誰にも心を開こうとしなかった。でもそれは……いつも心に「悲しみ」を抱えていたから……それが……私の心の闇……
「君は両親を失っている。君の心の闇の正体は、死への恐怖だ。吸血鬼は死なない。永遠に生き続けることができる。だから吸血鬼になれば君の闇は消える。君は幸せになれる。君は私たちの仲間になるべきなのだ」
違う。私は自分が死ぬのが怖かったんじゃない。私が怖かったのは、大切な人を、失うこと……
「以前の私も心に闇を抱えていた。私は身体が弱かった。運動が苦手だった。その劣等感にさいなまれていた」
虎倉が続けた。
「身体を鍛えるために毎日何キロも、何十キロも走った。人には見られたくなかった。だからいつも深夜に走っていた。ある夜、深夜の道で吸血鬼に遭遇した。そして私も吸血鬼になった。人並外れた体力と運動神経を手に入れることができた。体育大学に入学し、今では体育の教師だ」
虎倉が口を開けて笑った。口から牙が覗いた。
「今の私ならオリンピックで金メダルを取ることもできる。それくらいは簡単だ。しかし公式の競技に参加すればドーピング検査のために血液を調べられるだろう。だから競技に参加することはない。それでも十分だ。今の身体を手に入れることができただけで私は十分に満足している」
違う……私は、虎倉とは違う……
「おまけにこんなこともできるようになった。今の私は、人に夢を見させ、人を意のままに操ることもできる」
夢……操る……私は今、操られている?
頭では理解できた。でも……身体は動かなかった。そして私の感情も。
虎倉が祭壇へ向き直った。
「間もなく教祖様がいらっしゃる」
教祖様?
「私たちの主だ」
虎倉が続けた。
「教祖様はヨーロッパのある国でお生まれになった。そして第二次世界大戦の終戦間もない頃に日本にいらっしゃった。教祖様はその時すでに200歳を超えていたそうだ」
200歳?
「そう。教祖様はもうじき300歳になられる」
300歳……永遠の命?
頭の中で考えていた。でも驚かない。私の感情は動かない。
「教祖様はすぐに弟子を作られた。そしてその弟子も仲間を増した。ここにいる仲間はそうやって増えていった仲間たちだ」
ていうことは、みんな、血を吸われて……
「戦後の混乱期と違い今では人を襲って血を吸うことは容易ではない。そのためこうして定期的に集まってお互いの血を分け合っている」
人を襲って……
「しかし少しずつでも仲間は増やしたい。そこで我々の仲間になるのにふさわしいと認められた者、我々の仲間になることを望んでいる者だけを、仲間として迎え入れているのだ」
ふさわしい? 望んでいる?
「私は、そして君も、仲間として認められたのだ」
私は……そんなこと望んでは……
「さあ、教祖様がいらっしゃった」
虎倉が立ち上がった。前の列に座っていた人たちも。一斉に。
虎倉に腕を引かれ、私も立ち上がった。
教壇の脇にあった扉が開いた。中から車椅子が出て来た。
車椅子を押しているのは年配の女性だった。私と同じ真っ黒なワンピースを着ていた。
一斉に拍手が起こった。虎倉も手を叩いていた。笑っていた。
車椅子は教壇の中央に停められた。車椅子がこちらを向いた。
拍手をしていた人たちがその周りに集まり始めた。
私も虎倉に手を引かれてその後に続いた。
車椅子を中心にして祭壇の前に人の輪ができた。
虎倉が私の背中を押した。
私は車椅子の前に突き出された。
「新しい仲間です」
虎倉が言った。
車椅子の中でうずくまっていた物が顔を上げた。
小柄な……老人?
いや、それは……もはや人間ではなかった。
毛むくじゃらの、獣。
私は……何も感じなかった。恐怖も、嫌悪も。
「さあ、教祖様にお前の血を差し上げなさい。そうすることで、お前も本当に我々の仲間になれる」
虎倉が言った。
私はその、教祖? に、左腕を差し出した。
教祖が私の左手に顔を近づけた。そして……咬みついた。
手のひら、小指のすぐ下。
痛みは感じなかった。
教祖が私の血を吸い始めた。
私はその状況だけを確認していた。
私は今……教祖という名の獣に……血を吸われている……
どこからか、声が聞こえた。
「2、3、4、5の4つの数字を一度ずつ使って10にしてみて」
誰? 誰の声?
私は考えた。5-3は2、2×4は8、2+8で、10。
「それじゃ、3、4、5、6の4つの数字では?」
ええと……
甲斐! 甲斐の声だ!
目の前で……毛むくじゃらの獣が私の左手に咬みついていた。
「やめて!!」
私は声を上げた。
目の前の獣が私の手から口を離した。私は左手を引いた。
獣が目を丸くして私を見上げた。
「おおおおおおお」
周りから声がした。振り向いた。私は大勢の人たちに取り囲まれていた。
「どいて!」
人垣に肩からぶつかって、走り出した。
真後ろに扉があった。扉に向かって走った。
「待て!」
声がした。虎倉の声だ。無視した。
扉を押し開けて外へ出た。
そこは森の中だった。
夜は明けている、みたいだ。でも明るくはない。曇り空だ。
砂利道を走った。
少し走ると視界が開けた。目の前に舗装された道路があった。
坂道だった。左右を見た。
どっち?
私は坂が下っている方へ、走った。
虎倉が追いかけて来る。追いかけて来ている。
そう思うと怖かった。
しばらく走ると下り坂だった道が上り坂になった。相変わらず森の中だ。。
それでも、走った。
後戻りはできない。虎倉が追いかけて来ている。
疲れなかった。息も切れなかった。
どれくらい走っただろう、雨が降って来た。
あっという間に土砂降りになった。
雨が顔に当たった。目が霞んだ。
道路際にバス停があった。
すぐ横に待合用の小屋があって、その中にベンチがあった。
足を止めた。
息は切れていなかった。疲れも感じていなかった。でも……
私は、びしょ濡れだった。
走って来た方を振り向いた。誰もいない。虎倉の姿は見えない。
小屋の中に入って、ベンチに腰を下ろした。
膝に手を置いた。
前髪から滴り落ちる水滴を見ながら、思った。
ここで待っていれば、バスが迎えに来てくれるだろうか。
私をどこかへ連れて行ってくれるだろうか。
でも……お金を持っていない。運賃は払えない。
バスが来ても、私はバスには乗れない……
これからどうしよう……どこへ行けばいいだろう……
あの教会へは戻らない。虎倉の、吸血鬼たちの仲間にはならない。なりたくない。
病院へも……戻りたくない。戻れない。
家へ……帰りたい。
お母さん……今ならきっと、母さんが家で待ってくれている……
でも……お母さんは私を病院は連れ戻そうとするかもしれない……
病院へは……戻りたくない。
私には……帰る場所がない。私は……独りぼっちだ。
雨粒がトタン板の屋根を打つ音が大きくなった。
……甲斐……甲斐に会いたい。
涙がこぼれた。
「……甲斐に、会いたい……」
声に出していた。
雨音が一段と大きくなった。
「甲斐……甲斐……会いたいよお……」
私は一人で、泣いた。
そこが教会だということはすぐにわかった。
暗い室内。高い天井。ステンドグラスが嵌められた窓……
私は祭壇に向かって並べられた長椅子に座っていた。
そしてその祭壇は……真っ黒な布で覆われていた。
十字架も、マリア様の像もなかった。ただ蝋燭を乗せた燭台が並んでいた。
真っ黒な祭壇を背にして蝋燭の火が空中に浮かんでいるように見えた。
どうしてここにいるのか。どうやってここに来たのか……わからなかった。
「目が覚めたようだね」
声がした。隣を見た。すぐ隣に、虎倉がいた。私と並んで長椅子に座っていた。
思い出した。
私は病院のベッドで眠っていた。そこに虎倉が現れて……私は、虎倉に手を引かれて……
そうか……私は虎倉に連れて来られたんだ。
恐怖や不安は感じなかった。というより……感情、のような物が、なかった。湧いてこなかった。
ただ、頭は働いていた。周囲の状況を理解することはできた。
私は真っ黒なワンピースを着ていた。着せられていた。
ワンピースの下には病院で着ていたパジャマをそのまま着ていた。
足にはサンダルを履いていた。紐でしかっりと足首に縛り付けられていた。
私は並べられた長椅子の一番後ろの列に座っていた。
前の椅子にも座っている人たちがいた。全部で……20人くらいだろうか。みんな黒い服を着ている。
「みんな、私たちの仲間だ」
虎倉が言った。
仲間? ……どういうこと? 私はこんな人たち、知らない……
そうだ。私は……吸血鬼になってしまった。ていうことは、この人たちも、吸血鬼?
私は隣にいる虎倉を見た。
私たちの……ていうことは、虎倉も……
「そう、私も君の仲間だ」
そう言って虎倉が笑った。私の考えていることがわかるのだろうか。
いや、そんなことより……
頭を巡らせた。
私は家のベランダで誰かに咬まれた。そのために私も吸血鬼になってしまった。
あの時、私を咬んだのは……
「私だ」
虎倉が言った。
「君のことは、君が入学してきた時から見ていた。いつか君を仲間にしてやろうと思っていた。私はそのチャンスをうかがっていた」
私を?
「学校ではなかなかチャンスがなかった。人目があったし、担任でもない私が君を個別に呼び出すこともできなかった。そこで、時々君の家の様子を見ていた」
全然……気が付かなかった。
「あの日君は一人でベランダにいた。しかも人気のない深夜だ。千載一遇のチャンスだと思った」
やっぱり……あの時……でもどうやって、マンションの5階まで……
「私は吸血鬼だ。人並外れた身体能力を持っている。マンションの壁をよじ登ることぐらいわけのないことだ」
そうなのか……でもなぜ私を……私だけを……
「君を見て、すぐにわかったよ。君は、心に闇を抱えていた」
闇……
そうか。私は誰にも心を開こうとしなかった。でもそれは……いつも心に「悲しみ」を抱えていたから……それが……私の心の闇……
「君は両親を失っている。君の心の闇の正体は、死への恐怖だ。吸血鬼は死なない。永遠に生き続けることができる。だから吸血鬼になれば君の闇は消える。君は幸せになれる。君は私たちの仲間になるべきなのだ」
違う。私は自分が死ぬのが怖かったんじゃない。私が怖かったのは、大切な人を、失うこと……
「以前の私も心に闇を抱えていた。私は身体が弱かった。運動が苦手だった。その劣等感にさいなまれていた」
虎倉が続けた。
「身体を鍛えるために毎日何キロも、何十キロも走った。人には見られたくなかった。だからいつも深夜に走っていた。ある夜、深夜の道で吸血鬼に遭遇した。そして私も吸血鬼になった。人並外れた体力と運動神経を手に入れることができた。体育大学に入学し、今では体育の教師だ」
虎倉が口を開けて笑った。口から牙が覗いた。
「今の私ならオリンピックで金メダルを取ることもできる。それくらいは簡単だ。しかし公式の競技に参加すればドーピング検査のために血液を調べられるだろう。だから競技に参加することはない。それでも十分だ。今の身体を手に入れることができただけで私は十分に満足している」
違う……私は、虎倉とは違う……
「おまけにこんなこともできるようになった。今の私は、人に夢を見させ、人を意のままに操ることもできる」
夢……操る……私は今、操られている?
頭では理解できた。でも……身体は動かなかった。そして私の感情も。
虎倉が祭壇へ向き直った。
「間もなく教祖様がいらっしゃる」
教祖様?
「私たちの主だ」
虎倉が続けた。
「教祖様はヨーロッパのある国でお生まれになった。そして第二次世界大戦の終戦間もない頃に日本にいらっしゃった。教祖様はその時すでに200歳を超えていたそうだ」
200歳?
「そう。教祖様はもうじき300歳になられる」
300歳……永遠の命?
頭の中で考えていた。でも驚かない。私の感情は動かない。
「教祖様はすぐに弟子を作られた。そしてその弟子も仲間を増した。ここにいる仲間はそうやって増えていった仲間たちだ」
ていうことは、みんな、血を吸われて……
「戦後の混乱期と違い今では人を襲って血を吸うことは容易ではない。そのためこうして定期的に集まってお互いの血を分け合っている」
人を襲って……
「しかし少しずつでも仲間は増やしたい。そこで我々の仲間になるのにふさわしいと認められた者、我々の仲間になることを望んでいる者だけを、仲間として迎え入れているのだ」
ふさわしい? 望んでいる?
「私は、そして君も、仲間として認められたのだ」
私は……そんなこと望んでは……
「さあ、教祖様がいらっしゃった」
虎倉が立ち上がった。前の列に座っていた人たちも。一斉に。
虎倉に腕を引かれ、私も立ち上がった。
教壇の脇にあった扉が開いた。中から車椅子が出て来た。
車椅子を押しているのは年配の女性だった。私と同じ真っ黒なワンピースを着ていた。
一斉に拍手が起こった。虎倉も手を叩いていた。笑っていた。
車椅子は教壇の中央に停められた。車椅子がこちらを向いた。
拍手をしていた人たちがその周りに集まり始めた。
私も虎倉に手を引かれてその後に続いた。
車椅子を中心にして祭壇の前に人の輪ができた。
虎倉が私の背中を押した。
私は車椅子の前に突き出された。
「新しい仲間です」
虎倉が言った。
車椅子の中でうずくまっていた物が顔を上げた。
小柄な……老人?
いや、それは……もはや人間ではなかった。
毛むくじゃらの、獣。
私は……何も感じなかった。恐怖も、嫌悪も。
「さあ、教祖様にお前の血を差し上げなさい。そうすることで、お前も本当に我々の仲間になれる」
虎倉が言った。
私はその、教祖? に、左腕を差し出した。
教祖が私の左手に顔を近づけた。そして……咬みついた。
手のひら、小指のすぐ下。
痛みは感じなかった。
教祖が私の血を吸い始めた。
私はその状況だけを確認していた。
私は今……教祖という名の獣に……血を吸われている……
どこからか、声が聞こえた。
「2、3、4、5の4つの数字を一度ずつ使って10にしてみて」
誰? 誰の声?
私は考えた。5-3は2、2×4は8、2+8で、10。
「それじゃ、3、4、5、6の4つの数字では?」
ええと……
甲斐! 甲斐の声だ!
目の前で……毛むくじゃらの獣が私の左手に咬みついていた。
「やめて!!」
私は声を上げた。
目の前の獣が私の手から口を離した。私は左手を引いた。
獣が目を丸くして私を見上げた。
「おおおおおおお」
周りから声がした。振り向いた。私は大勢の人たちに取り囲まれていた。
「どいて!」
人垣に肩からぶつかって、走り出した。
真後ろに扉があった。扉に向かって走った。
「待て!」
声がした。虎倉の声だ。無視した。
扉を押し開けて外へ出た。
そこは森の中だった。
夜は明けている、みたいだ。でも明るくはない。曇り空だ。
砂利道を走った。
少し走ると視界が開けた。目の前に舗装された道路があった。
坂道だった。左右を見た。
どっち?
私は坂が下っている方へ、走った。
虎倉が追いかけて来る。追いかけて来ている。
そう思うと怖かった。
しばらく走ると下り坂だった道が上り坂になった。相変わらず森の中だ。。
それでも、走った。
後戻りはできない。虎倉が追いかけて来ている。
疲れなかった。息も切れなかった。
どれくらい走っただろう、雨が降って来た。
あっという間に土砂降りになった。
雨が顔に当たった。目が霞んだ。
道路際にバス停があった。
すぐ横に待合用の小屋があって、その中にベンチがあった。
足を止めた。
息は切れていなかった。疲れも感じていなかった。でも……
私は、びしょ濡れだった。
走って来た方を振り向いた。誰もいない。虎倉の姿は見えない。
小屋の中に入って、ベンチに腰を下ろした。
膝に手を置いた。
前髪から滴り落ちる水滴を見ながら、思った。
ここで待っていれば、バスが迎えに来てくれるだろうか。
私をどこかへ連れて行ってくれるだろうか。
でも……お金を持っていない。運賃は払えない。
バスが来ても、私はバスには乗れない……
これからどうしよう……どこへ行けばいいだろう……
あの教会へは戻らない。虎倉の、吸血鬼たちの仲間にはならない。なりたくない。
病院へも……戻りたくない。戻れない。
家へ……帰りたい。
お母さん……今ならきっと、母さんが家で待ってくれている……
でも……お母さんは私を病院は連れ戻そうとするかもしれない……
病院へは……戻りたくない。
私には……帰る場所がない。私は……独りぼっちだ。
雨粒がトタン板の屋根を打つ音が大きくなった。
……甲斐……甲斐に会いたい。
涙がこぼれた。
「……甲斐に、会いたい……」
声に出していた。
雨音が一段と大きくなった。
「甲斐……甲斐……会いたいよお……」
私は一人で、泣いた。



