あんな甲斐、初めて見た。
「黙れ!」
そう言って、美羅の顎を押さえ付けた。
男子に飛び掛かって、馬乗りになった。
甲斐は、私のために戦ってくれていた。わかっていた。私の……ために。
でも……
甲斐が変わってしまったのは、私のせいだ。
甲斐は、私のために……
私が血を吸ったために、甲斐は……
これ以上、甲斐を暴れさせてはいけない、そう思った。
甲斐には変わってほしくない。
いつでも、優しい甲斐でいてほしい。
「甲斐のお父さんに会わせて」
甲斐に、そう言った。
私が、吸血鬼でなくなればいい。普通の人間にもどればいい。もしそれが可能なら……
怖い。病院へ行くのは怖い。でも、甲斐のためなら……
顔を上げた。甲斐の顔を見て、言った。
「……甲斐のお父さんに診てもらう。きちんと……治療してもらう」
その夜。
私は一人で甲斐からの連絡を待っていた。
「まずは、父親に話してみる」
甲斐はそう言ってくれた。
やっぱり……怖い。私は普通の人間に戻れるのだろうか。もし、戻れなかったら、私は……
スマホが鳴った。甲斐からだ。
すぐに通話をタップした。
「……結花理です」
少し間を置いてから甲斐が話し始めた。
「結花理さんのこと……父親に、話しました」
「ありがとう」
「そしたら……」
甲斐の言葉が詰まった。
黙って、甲斐の言葉を待った。
「僕たちはまだ、未成年なんだ」
そう。その通りだ。
「だから、親権者の同意が必要だって……だから……」
そういうことか。親権者……母……
「そう……なんだ」
母の同意が必要……言われてみれば、その通りだ。
ということは、母に……話さないといけない。
「……わかった。また連絡する」
そう答えた。甲斐を困らせてはいけない。
「ごめんね」
甲斐の小さな声が聞こえた。
甲斐が謝ることじゃないのに。そう思った。
通話を切って、ベッドの上で横になった。
どうしよう……母に連絡……でも……何を話せば? 何て話せば?
また、スマホが鳴った。
母から、だった。
「え?」
声が出ていた。
どうして今?
そう思った。
躊躇した。でも……
スマホを耳に当てた。
「……結花理?」
母の声がした。
「……はい」
答えた途端、涙が出た。
なぜだろう。わからない。でも……涙が出てきた。
「どうしてるだろうと思って。気になって」
「うん……私……」
話そうとした。でも言葉にならなかった。
泣いていた。私は泣いていた。
「結花理⁉」
私の様子に驚いたのか。母の声が大きくなった。
「……私ね……病気なの……病気だったの……」
かろうじて、言えた。
「でも……言えなくて……」
「……すぐ行くから! すぐ帰るから! 待ってて!」
母が言った。言ってくれた。
私はスマホを握りしめたまま、ただ、泣いていた。子供のように、大きな声で、泣いていた。
母が帰ってきた。
私の顔を見るなり、母は私に抱き付いてきた。母に抱きしめられた。
「……ごめんなさい……気付いてあげなくて……本当にごめんなさい……」
母はそう言いながら、泣いた。
私といっしょに。二人で、大声で、泣いた。
しばらくして、二人が泣き止んで、やっと落ち着いて、それから、リビングのテーブルで向き合って、話した。
これまでのことすべて、母に話した。
それから、母に私の歯を、牙を見せた。
母が立ち上がった。私の後ろ側に回り込んで、後ろからまた私を抱きしめてくれた。
母が私の頭に自分の頬を押し付けた。
「辛かったよね……怖かったよね……可哀そうに……結花理……可哀そうに……」
そう言って、母はまた泣いた。
「私……母親失格ね……結花理が苦しんでたのに、少しも気付いてあげられなくて……自分のことばかり考えていて……」
違う。悪いのは母じゃない。
私だ。私が話さなかったのだ。私の方が母との間に壁を作っていたのだ。
「……明日、いっしょに病院へ行きましょう」
そう言ってくれた。
翌日。
甲斐のお父さんの病院へ行った。
駅に着くと、甲斐が改札の前で待っていてくれた。
母はいきなり甲斐に駆け寄った。
「ありがとう……結花理のために、いろいろありがとう……」
母がまた泣き出してしまうんじゃないかと心配になった。
甲斐は戸惑った顔をしていた。
「行きましょう。こっちです」
甲斐がさっさと歩き始めてくれたので、私はほっとした。
病院へ着くとすぐ、診察室へ通された。
病院の先生……甲斐のお父さんに、昨晩母に話したのと同じ話をした。
それから……こう言われた。
「大学病院で検査してもらいましょう」
甲斐のお父さんは、こう続けた。
「医学を、医療の力を信じて下さい」
その翌日。
母と、甲斐、それに甲斐のお父さん、4人で、甲斐のお父さんが以前勤務していたという大学病院へ行った。
タクシーから降りると、そこに、白くて高い塔がそびえていた。
何度も夢で見た、あの場所。
「また……ここ……」
声が漏れた。
怖い……怖かった。でも……
甲斐がいる。母がいる。甲斐のお父さんがいる。
私は寄り添ってくれている母と並んで、入り口へ向かった。
私はそのまま入院することになった。
検査して、原因を調べて、治療方法を見つけて、その上で治療する。
そんな話があった。
いつまでかかるのでろう……ほんとうに治るのだろうか……
でも……それでも。
一般病棟から隔離された病室に入れられた。
外部との連絡も制限された。電話は母とだけ、決められた時間に。
メールやLINEはできなかった。
甲斐とは……連絡できなくなった。
毎日検査された。
身体測定、採血、レントゲン、MRI、脳波……
毎日繰り返された。
きっと、私の身体が毎日少しずつ変化していたからだろう。
そのことは自分でも実感できていた。
牙が長くなっていた。全身の筋肉が増えていた。
普通の食事はできなかった。喉を通らなかった。
毎食、カップ一杯の血を与えられた。輸血用の物だろう。
おいしくは……なかった。
苛ついたりたり、狂暴なことを考えることもあった。
甲斐と会っていた頃は……こんなことはなかった。
むしろ少しずつ、普通の人間に戻れていたような気がする。
毎日甲斐に会える、甲斐の血を吸える、その安心感のためだったのだろうか。
でも今は……
2週間が過ぎた。
もうじき誕生日だ。私はここで誕生日を迎える。17歳になる。
こんな毎日がいつまで続くのだろう。
夏休みが終わって新学期になっても、たぶん私はここから出られない。
学校へは行けない。学校へは……もう行けないかも知れない。
私は治るのだろうか。私の、吸血鬼の治療法は見つかるのだろうか。
このままずっと、病院の実験材料として……
それなら、いっそのこと……
また残酷な考えが浮かんでくる。
だめ。だめだ。
信じろ。病院を信じろ。医学を信じろ。自分を……信じろ……
深夜。
私は病室のベッドで浅い眠りについていた。
いつもそうだ。ここでは……熟睡できない。
匂いがした。
いつか、嗅いだことのある……
桜? その匂いに、獣の匂いが混ざった。
目を開けた。
ベッドの枕元に人が立っていた。
真っ黒なコベンチートを着ていた。フードを被っていた。真夏だというのに。
男性だ。背が高い。なぜか……恐怖は感じなかった。
「……誰?」
その人がフードから顔を出した。
知っている人だ。
体育の先生……確か、虎倉……先生。
「どうやって入ってきたの?」
最初に浮かんだ疑問を口にしていた。
ここは隔離された病室だ。簡単に入ることはできない、はずだ。まして今は深夜だ。
虎倉……が、手を上げた。カードを持っていた。
「宿直の看護士から拝借した」
虎倉が言った。
「ナースセンターにいた看護士の皆さんには眠ってもらっている」
虎倉が続けた。
「心配することはない。少しの間だけだ」
「どうやって……」
「私には人を眠らせる力がある」
桜の、匂い……きっとこの匂いで……
「行こう」
虎倉が言った。
行く? どこへ?
「君は一人ではない。仲間がいる。いっしょに仲間の所へ行こう」
仲間?
……ていうことは、吸血鬼の、仲間?
「さあ」
虎倉が私に向かって手を差し出した。
私はベッドから起き上がった。
自分の意志ではない……と思った。
でも……身体が勝手に動いていた。
私は……差し出された虎倉の手を、握っていた。
「黙れ!」
そう言って、美羅の顎を押さえ付けた。
男子に飛び掛かって、馬乗りになった。
甲斐は、私のために戦ってくれていた。わかっていた。私の……ために。
でも……
甲斐が変わってしまったのは、私のせいだ。
甲斐は、私のために……
私が血を吸ったために、甲斐は……
これ以上、甲斐を暴れさせてはいけない、そう思った。
甲斐には変わってほしくない。
いつでも、優しい甲斐でいてほしい。
「甲斐のお父さんに会わせて」
甲斐に、そう言った。
私が、吸血鬼でなくなればいい。普通の人間にもどればいい。もしそれが可能なら……
怖い。病院へ行くのは怖い。でも、甲斐のためなら……
顔を上げた。甲斐の顔を見て、言った。
「……甲斐のお父さんに診てもらう。きちんと……治療してもらう」
その夜。
私は一人で甲斐からの連絡を待っていた。
「まずは、父親に話してみる」
甲斐はそう言ってくれた。
やっぱり……怖い。私は普通の人間に戻れるのだろうか。もし、戻れなかったら、私は……
スマホが鳴った。甲斐からだ。
すぐに通話をタップした。
「……結花理です」
少し間を置いてから甲斐が話し始めた。
「結花理さんのこと……父親に、話しました」
「ありがとう」
「そしたら……」
甲斐の言葉が詰まった。
黙って、甲斐の言葉を待った。
「僕たちはまだ、未成年なんだ」
そう。その通りだ。
「だから、親権者の同意が必要だって……だから……」
そういうことか。親権者……母……
「そう……なんだ」
母の同意が必要……言われてみれば、その通りだ。
ということは、母に……話さないといけない。
「……わかった。また連絡する」
そう答えた。甲斐を困らせてはいけない。
「ごめんね」
甲斐の小さな声が聞こえた。
甲斐が謝ることじゃないのに。そう思った。
通話を切って、ベッドの上で横になった。
どうしよう……母に連絡……でも……何を話せば? 何て話せば?
また、スマホが鳴った。
母から、だった。
「え?」
声が出ていた。
どうして今?
そう思った。
躊躇した。でも……
スマホを耳に当てた。
「……結花理?」
母の声がした。
「……はい」
答えた途端、涙が出た。
なぜだろう。わからない。でも……涙が出てきた。
「どうしてるだろうと思って。気になって」
「うん……私……」
話そうとした。でも言葉にならなかった。
泣いていた。私は泣いていた。
「結花理⁉」
私の様子に驚いたのか。母の声が大きくなった。
「……私ね……病気なの……病気だったの……」
かろうじて、言えた。
「でも……言えなくて……」
「……すぐ行くから! すぐ帰るから! 待ってて!」
母が言った。言ってくれた。
私はスマホを握りしめたまま、ただ、泣いていた。子供のように、大きな声で、泣いていた。
母が帰ってきた。
私の顔を見るなり、母は私に抱き付いてきた。母に抱きしめられた。
「……ごめんなさい……気付いてあげなくて……本当にごめんなさい……」
母はそう言いながら、泣いた。
私といっしょに。二人で、大声で、泣いた。
しばらくして、二人が泣き止んで、やっと落ち着いて、それから、リビングのテーブルで向き合って、話した。
これまでのことすべて、母に話した。
それから、母に私の歯を、牙を見せた。
母が立ち上がった。私の後ろ側に回り込んで、後ろからまた私を抱きしめてくれた。
母が私の頭に自分の頬を押し付けた。
「辛かったよね……怖かったよね……可哀そうに……結花理……可哀そうに……」
そう言って、母はまた泣いた。
「私……母親失格ね……結花理が苦しんでたのに、少しも気付いてあげられなくて……自分のことばかり考えていて……」
違う。悪いのは母じゃない。
私だ。私が話さなかったのだ。私の方が母との間に壁を作っていたのだ。
「……明日、いっしょに病院へ行きましょう」
そう言ってくれた。
翌日。
甲斐のお父さんの病院へ行った。
駅に着くと、甲斐が改札の前で待っていてくれた。
母はいきなり甲斐に駆け寄った。
「ありがとう……結花理のために、いろいろありがとう……」
母がまた泣き出してしまうんじゃないかと心配になった。
甲斐は戸惑った顔をしていた。
「行きましょう。こっちです」
甲斐がさっさと歩き始めてくれたので、私はほっとした。
病院へ着くとすぐ、診察室へ通された。
病院の先生……甲斐のお父さんに、昨晩母に話したのと同じ話をした。
それから……こう言われた。
「大学病院で検査してもらいましょう」
甲斐のお父さんは、こう続けた。
「医学を、医療の力を信じて下さい」
その翌日。
母と、甲斐、それに甲斐のお父さん、4人で、甲斐のお父さんが以前勤務していたという大学病院へ行った。
タクシーから降りると、そこに、白くて高い塔がそびえていた。
何度も夢で見た、あの場所。
「また……ここ……」
声が漏れた。
怖い……怖かった。でも……
甲斐がいる。母がいる。甲斐のお父さんがいる。
私は寄り添ってくれている母と並んで、入り口へ向かった。
私はそのまま入院することになった。
検査して、原因を調べて、治療方法を見つけて、その上で治療する。
そんな話があった。
いつまでかかるのでろう……ほんとうに治るのだろうか……
でも……それでも。
一般病棟から隔離された病室に入れられた。
外部との連絡も制限された。電話は母とだけ、決められた時間に。
メールやLINEはできなかった。
甲斐とは……連絡できなくなった。
毎日検査された。
身体測定、採血、レントゲン、MRI、脳波……
毎日繰り返された。
きっと、私の身体が毎日少しずつ変化していたからだろう。
そのことは自分でも実感できていた。
牙が長くなっていた。全身の筋肉が増えていた。
普通の食事はできなかった。喉を通らなかった。
毎食、カップ一杯の血を与えられた。輸血用の物だろう。
おいしくは……なかった。
苛ついたりたり、狂暴なことを考えることもあった。
甲斐と会っていた頃は……こんなことはなかった。
むしろ少しずつ、普通の人間に戻れていたような気がする。
毎日甲斐に会える、甲斐の血を吸える、その安心感のためだったのだろうか。
でも今は……
2週間が過ぎた。
もうじき誕生日だ。私はここで誕生日を迎える。17歳になる。
こんな毎日がいつまで続くのだろう。
夏休みが終わって新学期になっても、たぶん私はここから出られない。
学校へは行けない。学校へは……もう行けないかも知れない。
私は治るのだろうか。私の、吸血鬼の治療法は見つかるのだろうか。
このままずっと、病院の実験材料として……
それなら、いっそのこと……
また残酷な考えが浮かんでくる。
だめ。だめだ。
信じろ。病院を信じろ。医学を信じろ。自分を……信じろ……
深夜。
私は病室のベッドで浅い眠りについていた。
いつもそうだ。ここでは……熟睡できない。
匂いがした。
いつか、嗅いだことのある……
桜? その匂いに、獣の匂いが混ざった。
目を開けた。
ベッドの枕元に人が立っていた。
真っ黒なコベンチートを着ていた。フードを被っていた。真夏だというのに。
男性だ。背が高い。なぜか……恐怖は感じなかった。
「……誰?」
その人がフードから顔を出した。
知っている人だ。
体育の先生……確か、虎倉……先生。
「どうやって入ってきたの?」
最初に浮かんだ疑問を口にしていた。
ここは隔離された病室だ。簡単に入ることはできない、はずだ。まして今は深夜だ。
虎倉……が、手を上げた。カードを持っていた。
「宿直の看護士から拝借した」
虎倉が言った。
「ナースセンターにいた看護士の皆さんには眠ってもらっている」
虎倉が続けた。
「心配することはない。少しの間だけだ」
「どうやって……」
「私には人を眠らせる力がある」
桜の、匂い……きっとこの匂いで……
「行こう」
虎倉が言った。
行く? どこへ?
「君は一人ではない。仲間がいる。いっしょに仲間の所へ行こう」
仲間?
……ていうことは、吸血鬼の、仲間?
「さあ」
虎倉が私に向かって手を差し出した。
私はベッドから起き上がった。
自分の意志ではない……と思った。
でも……身体が勝手に動いていた。
私は……差し出された虎倉の手を、握っていた。



