君が(私が)吸血鬼でも

 問題。
 次の数式を因数分解せよ。
 X⁶-64

 答え。
 X⁶-64=(X³)²-(2³)²
 =(X³+2³)(X³-2³)
 =(X+2)(X²-2X+4)(X-2)(X²+2X+4)
 =(X+2)(X-2)(X²-2X+4)(X²+2X+4)

 Xの6乗をXの3乗の2乗と考える。
 指数が増えたことにより、因数分解の仕方も少し複雑になったわけだ。

 僕は、前に僕、西門甲斐を因数分解した。
 その結果出て来た因数は。
(医者の一人息子)。でも(勉強嫌い)で、(医者になりたくない)
(男子)で(高校2年生)。だから、(結花理さんに恋してる)
 でも、(人見知り)で、(自信がない)

 あれからまだ1ヶ月も経っていない。
 でも、この1ヶ月で僕、西門甲斐の展開式は複雑化した。Xの2乗は3乗にも6乗にもなった。結花理さんが、結花理さんへの思いが僕を複雑化した。
 そして……僕の中に、今まで僕自身も知らなかった新たな因数を見つけることになった。

「変態」
 美羅のあの一言に、僕は逆上した。自分を見失った。
 美羅に掴みかかり、間に入った男子に飛び掛かっていた。
 今まで、そんなことはなかった。そんなことをしたことはなかった。

(怒り)(暴力)
 こんな因数はこれまでの僕の中にはなかった。
 結花理さんのせい? 結花理さんに血を吸われたせい?
 そのせいで、僕も……吸血鬼になろうとしてる? 狂暴になってる?
 違う。そうじゃない。
 僕は、結花理さんを侮辱されたことが、許せなかった。ただ、それだけだ。

 僕たちはすぐに店員に取り押さえられ、店の外に連れ出された。
「警察を呼ぶぞ!」
 店員の一言で我に返った。
 警察沙汰になって、そこに結花理さんを巻き込んではいけない。そう思った。
 美羅たちも駅に向かって駆け出していた。僕は後を追いかけようとした。
 僕と結花理さんを撮ったスマホの動画を何とかしないといけない。そう思ったから。
「待って」
 後ろから呼び止められた。結花理さんだ。
「……いいよ、もう」
 結花理さんが言った。
「でも……」
「……いいの」
 結花理さんは僕のシャツの脇のあたりを掴んでいた。
「あいつら……」
 言いかけた僕の言葉を結花理さんが遮った。
「甲斐のお父さんに会わせて」
「え?」
 聞き違いかと思った。
「私……甲斐のお父さんに診てもらう。きちんと……治療してもらう」
 結花理さんはしっかりと顔を上げて、僕の目を見ながら、そう言った。

 家に帰るとすぐ、僕は病院の事務室へ向かった。父親は机でパソコンに向き合っていた。
「……父さん」
 話し掛けた。
「父さんに診てもらいたい人がいるんだ」
 父親が顔を上げた。
「僕のクラスメイトの女子なんだけど……」
 父親が椅子から立ち上がった。
「そこに座れ」
 父親が机のそばにあった椅子を見ながら言った。
 僕が座ると、父親も自分の椅子を持って来て僕の向かいに座った。いつも患者さんに向かい合っている形だ。
 僕は父親に結花理さんのこと話した。
 今の様子、そうなってしまった経緯、そして、僕が結花理さんに会って血を吸わせていたこと……
 父親は黙って僕の話を聞いていた。
 話し終わると、父親が言った。
「……それで吸血鬼のことを知りたがっていたのか」
「はい」
 答えた。しっかりと。
「お前はどうだ。身体に変化はないか」
 訊かれたのは、結花理さんのことではなく僕のことだった。
「……特に変わったことはありません」
 そう。僕の身体に変化はない。変わったことといえば、ファミレスで結花理さんが美羅に侮辱された時……
 そのことは話さなかった。
 父親が続けた。
「その子に血を吸わせたのは、なぜだ」
「それは……」
 答えられなかった。
「そんなことして、自分どうなるか考えなかったのか」
 もちろん考えた。考えた上で、そうした。
 やっぱり……答えられなかった。
「自分も感染して吸血鬼になってしまうかもしれないと思わなかったのか」
 思った。その覚悟で、僕はそうした。でも……言えなかった。
「感染しなくても、一定量以上の血液を失うと人間は死んでしまう。またいっぺんに失血をすることによりショック死することもある。そのことをお前は知っていたか」
 そこまでは……考えなかった、かもしれない。でも結花理さんは、そんなことはしない……それも……言えなかった。
「体調に変化はないんだな?」
 父親が繰り返した。
「……はい」
 それだけ、答えた。
 父親がため息を吐いた。
「お前の同級生ということは、その子も未成年だな」
 口調が少し柔らかくなった。ようやく結花理さんの話だ。
「その子の両親もそのことを知っているのか?」
 両親……お父さんは亡くなっていると聞いていた。お母さんは……
「未成年者を診察するためには親権者の同意が必要だ」
 そう……なんだ。知らなかった。
「まずは親権者にきちんと話してもらえ」
 父親が厳しい目で僕を見た。
「そのうえでその子を連れてこい。親権者同伴で」
 そう言って、父親は席を立った。
 親権者……僕じゃ。だめなんだ。全身の力が抜けた。改めて、自分の無力さを感じた。

 スマホで結花理さんに電話した。
 親権者の同意が必要だと言う父親の言葉を伝えた。
「そう……なんだ」
 電話口で、結花理さんが小さな声で答えた。
「……わかった。また連絡する」
 結花理さんが言った。
「ごめんね」
 謝った。僕は……無力だ。

 翌朝。
 結花理さんからLINEが入っていた。
『母に話しました。よければ今日、母といっしょに行きます』

 僕の家と医院のある駅まで結花理さんたちを迎えに行った。
 約束通り、結花理さんはお母さんといっしょに改札から出て来た。
 僕が二人に向かって手を上げた。気づいたお母さんが駆け寄って来た。
「……あなたが、西門君?」
「……はい」
 答えると、お母さんは深々と頭を下げた。僕に向かって。
「ありがとう……結花理のために、いろいろありがとう……」
 お母さんの声は涙声だった。
 何と答えていいのかわからなかった。
 結花理さんがお母さんに僕のことをどう話したのか、どこまで話したのか、わからない。
 だから……
「……行きましょう。こっちです」
 そう言って、僕は歩き始めた。

 医院、僕の自宅に併設されている医院に着いた。
 父親が待っていた。
 結花理さんとお母さんはすぐに診察室の中に通された。
 僕は待合室で待たされた。
 診察室の中の様子はわからなかった。
 父親に何を訊かれ、どんな話をしているのか……
 
 しばらくして、結花理さんとお母さんが診察室から出て来た。
「……大学病院で精密検査を受けることになった」
 結花理さんが言った。
「しばらく入院することになるかもしれないって……」
 診察室から父親が出て来た。
「甲斐、中に入れ」
 僕は父親に従って診察室へ入った。
「お前にも大学病院で検査を受けてもらう」
 父親が言った。
 予感はあった。僕は結花理さんに血を飲ませている。僕の身体に変化はない。今のところ。
 でも、僕も感染している可能性はある。十分に。感染していない方が不思議だ。
「明日、4人で大学病院へ行く。いいな」
「……はい」
 そう答えた。そう答えるしかなかった。でも。
 結花理さんとお母さんだけに行かせるより。僕もいっしょにいられるなら。いてやれるなら。
「わかりました」
 もう一度、そう答えた。

 その翌日。
 僕たち4人は、今度は大学病院のある駅で待ち合わせた。
 駅からはタクシーで大学病院へ向かった。
 そこは、白くて高い塔のようなビルだった。
 入り口の前でタクシーから降りると、その塔、ビルを見上げながら結花理さんがつぶやいた。
「また……ここ……」
 結花理さんは以前にもこの病院へ来たことがあるのだろうか。
 訊けなかった。

 受付で手続きをした後、エレベーターに乗った。上の方の階まで昇った。
 その階の待合室で待たされた。
 しばらくすると看護士さんがやって来て、結花理さんが連れて行かれた。
 それからまたしばらくして、僕も呼ばれた。
 検査着に着替えさせられて、いくつかの部屋を回らされた。
 採血、レントゲン、MRI、心電図、脳波……
 いろいろな検査を受けさせられた。
 ようやく一通りの検査が終わり、待合室へ戻ると父親が一人で待っていた。
 椅子に座ってノートパソコンを見ていた。
 結花理さんの姿は見えなかった。結花理さんのお母さんの姿も。
 僕を見て、父親が立ち上がった。
「今日はこれまでだ。検査結果が出るまで数日はかかるだろう」
 そう言った。
「……結花理さんは?」
 訊いてみた。
「検査のためしばらく入院する。お母さんには先に帰ってもらった」
 しばらく……入院。ということは、しばらく……会えない。

 病院を出て、タクシーに乗る前にもう一度病院の建物を見上げた。
 白くて高い、塔。
 僕は心の中で呼びかけた。

 がんばって、結花理さん。