大丈夫、今だけ。



駅前の時計台は、朝の光を浴びてきらりと光っていた。

改札からあふれ出る制服姿の生徒たち。
ざわざわと混じり合う声の中で、ひときわ凛とした空気をまとって立っている少女がいた。

艶やかなピンクブラウンの前下がりワンレンボブ。
光が当たると、やわらかく透けるような色合いになる。

涼しげな目元に左目の下には、さりげなく涙ぼくろが小さく付いている。
知的でクールな印象を与える美人で、鈴の次に男子生徒に人気があり、隠れファンもいるが本人は気にしていない。

鈴の幼なじみの水瀬 乙葉。

彼女はワイヤレスイヤフォンを片方だけ外し、改札の向こうを見つめている。
その横顔は、まるで雑誌のワンカットみたいに整っているのに、どこかぼんやりしているのは、たぶん昨夜もゲームに没頭していたからだろう。

「鈴ー、おはよっ。遅ーい」

軽く手を振っている。
その声に、改札の向こうから焦げ茶色のストレートヘアがさらりと揺れた。

「ごめん乙葉~!お待たせ♪」

北条鈴は、小走りで駆け寄りながら、首をかしげてウィンクした。

朝日を受けたハーフアップの髪がさらりと揺れる。
制服の水色チェックのスカートが、ひらりと翻る。
乙葉は一拍おいて、ため息。

「……いや、可愛いけど。あざとすぎだから~」

ぺしん、と鈴のおでこにデコピン。

「あいたっ!」

鈴は額を押さえながら、むっと頬を膨らませる。

「もぅ、乙葉。いたいよぉ~」

それでもにこっと笑うのだから、反省の色はゼロだ。
乙葉は肩をすくめる。

「これじゃ、高校でも大変だわ。鈴は高校で何人彼氏つくるつもりなの?人類皆姉弟だとか後々言わないでよ?」

改札を抜けながら、ちらりと横目で見る。

「もうゲームでいうと、村人みんな彼氏レベルなんじゃない?」

「ちょ、村人ってなにそれ~!」

鈴は笑いながらも、少し得意げに胸を張る。

「ん~そうだなぁ?私を"本気にさせてくれる人"が見つかるまで、かな?」

顎に儚げな仕草で手をあてて、にっこりと完璧なキラキラとした笑顔。
乙葉は深いため息をついた。

「今日も通常運転だね、鈴は」

石畳の道を、ふたりで並んで歩き出す。

オルテンシア・英都学園へ続く並木道は、満開の桜に包まれていた。

ひらり、ひらり。
花びらが、空気に溶けるみたいに舞う。
鈴はその景色を眺めながら、なんとなく昨日のことを思い出していた。


入学式。
壇上から見た景色。
そして――階段。
グレーのスーツ。
真剣な瞳。
低くて、落ち着いた声。

胸の奥が、きゅっとなる。
(……なんで思い出してるんだろ。らしくないなぁ~)

鈴はそっと頬を叩く。

追われる恋には、慣れている。
色々な恋の変化球はあったが、
告白も、誘いも、何度も経験してきた。

中学時代は、ほとんど“選ぶ側”だった。

でも。
あんな風に何も計算もなく、ただ守られるなんて…知らなかった。

「……別に、ただの先生だし?」

ぽつりと呟く。

「ん?何か言った?」

乙葉が首を傾げる。

「ううん、なんでもないっ!」

鈴は慌てて首を振る。
けれど、胸の奥のざわつきは消えない。
春の風が、スカートの裾を揺らした。
石畳の上に落ちた一枚の花びら。
鈴はそれを踏まないように、ひょいっと軽やかに避ける。
その仕草さえ、小悪魔みたいに愛らしい。

「ねぇ乙葉」
「ん?」
「もしなんだけどさー、」

鈴は空を見上げ、透き通るような青が広がっている。

「"追いかける恋"って、どう思う?」

乙葉は一瞬、目を丸くする。

「は?鈴が?」

「なによその反応!」

乙葉はくすっと笑った。

「いいんじゃない?レアだし。バグイベントみたいで」

「ゲーム基準やめてくんない?」

鈴は笑いながらも、胸の奥で小さく思う。

(こらから、いーっぱい落としてみせる。)

そう思っていたはずなのに。

なぜか。
自分のほうが、もう一歩踏み出してしまっている気がする。


にやりと笑う。
でもその笑顔の奥で、まだ名前のつかない感情が静かに芽吹いている。


――落ちるのは、どっち?



学園の塔が見えてきて、鐘の音が澄んだ空気に溶ける。



春は、まだ始まったばかり。
そして鈴はまだ知らない。
この恋が、自分を“追いかける側”に変えてしまうことを。


そして――
その相手が、想像以上に手強いことも。