後宮のガリレオ2

 (ゆう)()に花里の激うま飯をたらふく食べた深藍宮の五人は、そのまま食堂代わりの房でまったりと食後の時間を過ごしていた。

 食後の口直しにと茶と共に出された花里特製のキャラメルもどきは、瑛琳妃の口にいたく合ったようだ。

 「これは美味だな!」

 きらきらと瞳を輝かせて、瑛琳妃が口元をほころばせる。

 「甘くて、柔らかくて、とても優しい味がする。ほろほろと口の中で溶けていくのも心地よい。さすが花里だな。これは確かに、茶話会の手土産にぴったりだ」

 「ありがとう存じます」

 花里は心から嬉しそうににっこりと笑った。

 瑛琳妃も無邪気に笑うと、「本当にうまい。もうひとつ」と皿に手を伸ばす。相当気に入ったのだろう。その無防備な笑顔は、落ち着いた雰囲気の彼女を年相応に見せていた。

 (そうなんだよね、瑛琳様、まだ十九とかだっけ?)

 やや大柄な体を持ち、落ち着いた青みのある髪と、思慮深く輝く黒の瞳。瑛琳妃は、大人っぽい外見の持ち主である。口調も口調なだけに忘れてしまうが、自分の没年齢よりも若いのだ。

 育ちか、環境か。それとも両方か。この国で生きていくには、前世よりもよっぽど早く大人になる必要があるのだなあ、と改めてしみじみしてしまった。

 そのあとは、みんなで香鈴の仕入れた香炉を見た。

 ものすごく高そうな香炉である。足つきで、蓋もしっかりした造り。細かい彫刻が施されており、これだけで立派な鑑賞対象になりそうだった。

 瑛琳妃も「うちの女官は皆優秀だ」と満足そうにうなずいている。

 「次の徳妃の茶話会にはこの菓子と香炉を手土産に持っていこう」

 「嬉しいです! ありがとうございます!」

 香鈴がぱっと微笑み喜んでいる横で、ひとり複雑な顔をしている女官がいる。雪梅だ。

 「……ふたりともすごいです。私、手土産になるものなんて思いつかないですから」

 (あー、ね)

 気持ちがわかるだけに、麗麗はちょっとだけ胸が締めつけられる。

 特技のある人のそばにいるのは大変なのだ。特に、雪梅のような責任感が強い性格だと、よりつらく感じるのかもしれない。

 しかし、そこはさすがの瑛琳妃である。賢き妃は雪梅に微笑みかけながら、こう言った。

 「雪梅。お前もすごいだろう。忘れたのか? いち早くこの宮城の仕組みやしきたりを覚え、中央に慣れない私や皆に教えてくれたのは雪梅だろう。お前の貪欲な知識欲や好奇心を私は買っているのだ」

 これにはぱっと頰を赤らめた雪梅である。しかし、素直にうなずけないようで、まだいじいじと指先を絡ませている。

 「でも、ふたりみたいにすごい特技、私にはありません。麗麗だってあの冥焔様や主上から信頼されておりますし、私だけ──」

 瑛琳妃の目がきらっと光った。

 「私の目を疑うのか?」

 「そっ! そんなつもりは! ただ、そのっ……自信がなくて……」

 「お前が自分を信じられないのなら、私の言葉を信じなさい。いいね」

 瑛琳妃はわざと怖がらせるように言っているが、目元には十分笑みを残している。

 これは妃なりの激励なのだ。雪梅はほとんど涙ぐみながら、こくりとうなずいた。

 いや、雪梅だけではない。他のふたりの女官まで涙目になり、頬も赤くとろけた顔つきになっている。

 (ス、スパダリっ……!)

 瑛琳妃、とんでもない。人たらしにもほどがある。三女官がかの妃に心酔する理由が、またひとつわかったで瞬間である。

 そんなこんなでお茶も終わり、皆でまったりゆったりくつろいでそろそろ寝ようかと話していた頃合いだった。

 突然、房の扉が打ち鳴らされる。緊急性の高い音だ。

 瑛琳妃、以下三女官は先ほどまでのゆるりとした雰囲気から一転、鋭い目つきで姿勢を正した。三女官が瑛琳妃を隠すように前に立つ。慌てて麗麗もならった。

 通常であれば、妃の宮の入り口には警護のために宦官が詰めている。不審人物はそこで排除される仕組みになっているのだが、それをくぐり抜けてきたということは、よほど立場のある者か、緊急事態だと警護の宦官が判断したかのどちらかであろう。

 「どなたでいらっしゃいますか。もう夜も更けております。妃の宮を訪問するにはふさわしくないと思われますが」

 別人のように厳しい顔をした花里が、扉の向こうに声をかけた。すると。

 「突然の訪問、ご容赦ください。冥焔です」

 (なんだって?)

 驚いたのは麗麗だけではなかったようだ。瑛琳妃も、三女官も、何事かといった風情で顔を見合わせる。

 かの宦官は傍若無人のように見えて、その実、(ルール)に厳しい。後宮の管理を行っている立場として当たり前である。その冥焔が、正当な手続きを踏まずに妃の房を夜に訪れる。その理由に思い至り、麗麗は嫌な予感に天を仰ぐ。

 「許可します」

 瑛琳妃の言葉と共に、扉が勢いよく開け放たれた。

 (おいおい、本当になにがあった?)

 短い付き合いだが、この宦官とはそれなりに濃い関係を築いているはずだ。しかし、その麗麗ですらぎょっとするほど、冥焔の顔は強ばっていた。

 「女官を今すぐお借りしたい」

 「麗麗を?」

 瑛琳妃が怪訝そうに眉をよせた。冥焔はよほど急いでいるらしい。妃の許可を待てぬと言わんばかりに口を開いた。

 「瑛琳様、申し訳ございませんが、大家の命です。事情は追ってでもよろしいか」

 「もちろん、こちらは問題ない」

 瑛琳妃も心得ているようだ。真剣な口調で、冥焔の言葉にうなずいた。

 「ただ、うちの子を危険な目に遭わせないでほしい。この間のようなことはこりごりだ。頼んだぞ」

 「それはこの女官次第でしょう」

 瑛琳妃も、冥焔も、先日の白蓮妃の事件を想起したのだろう。顔に一瞬苦いものを浮かべたが、そんなことをしている暇はないと思い直したようだ。

 「麗麗、頼む」

 瑛琳妃の言葉に、麗麗は素直にうなずいた。

 「はい、行ってまいります」

 慌ただしく冥焔が踵を返す。

 ばたばたと回廊を急ぎ足で渡り、宮を抜けると、冥焔はいつにもまして速度を上げて歩き始める。

 「ちょっ……冥焔様……っ!」

 (見失うでしょうが!)

 心の中で盛大に毒づきながら、麗麗は前を行く冥焔に声をかけた。

 「先に教えてください。いったいどうしたんです!?」

 冥焔はちらっと麗麗を一瞥(いちべつ)すると、歩く速度をゆるめずに口を開いた。

 「緊急事態だ」

 「それはわかります」

 「お前の力を借りたい」

 おや、と麗麗は息を()む。

 えらそうに命じるわけでもなく、嫌みでもなく、こんなに直接的(ストレート)に頼み事をされたのは初めてではなかろうか。

 これはよほどの事態であると直感する。

 「一緒に行きますし、断るつもりも毛頭ありません。なので、せめて先に事情を教えてください」

 冥焔は少し迷ったようだった。それでも、もっともだと思ったのだろう、視線をすばやく左右に滑らせ、誰もいないのを確認するとそっと言葉を落とした。

 「(ひと)()にが出た」

 「なんですって?」

 麗麗は冥焔に追いつこうと小走りになった。後ろにいたんじゃ、声が聞こえにくい。それに、人に聞かせられない話なのはすぐにわかった。隣同士であれば、声の大きさを気にせずに話を聞ける。

 麗麗が隣に並ぼうとしていることに気づいたのだろうか、冥焔は少しだけ速度を落とした。追いついた麗麗が問いかけの視線を向けると、おもむろにうなずき声をひそめる。

 「死んだのは下級女官だ。勤めていた尚局の回廊で倒れているのを発見されたのだ」

 「下級女官?」

 変だ。ここは後宮である。下級女官が死ぬなんて日常茶飯事なのに、なぜわざわざ冥焔が動くのか。しかも、こんなに青ざめた顔で。

 言葉にしない問いを冥焔は正確に汲み取った。

 「……怪異による死だと、主張している者がいる」

 「詳しくお聞かせください」

 「今から向かうのは、同じ尚局で働く女官たちの殿舎だ。そこに、彼女の死を目撃した者がいる。死因は呼吸困難だが、発見されたときはまだ命があったらしい。彼女を介抱した女官によると、亡くなる直前に彼女はこう言ったという」

 冥焔は一瞬口を閉じると、絞り出すように言葉を落とす。

 「──皇太后の呪いだ、と」

 麗麗の眉がぎゅっと中央に寄った。

 「……──またですか」

 前回、白蓮妃の一連の事件でもよく噂されていたのが〝皇太后の呪い〟だった。

 せっかく噂が落ち着き始めていたのに、ここにきてまた再燃するとは。しかもその言葉を別の女官に聞かれているのであれば、人の口に戸は立てられないのが後宮だ。明日には全員が知ることになるのだろう。

 冥焔の強ばった表情の理由がわかった。今回の騒ぎに乗じて、皇太后の呪いが復活するのを恐れているのだ。

 (なーんか、あるんだろうなあ)

 この麗しい宦官と、皇太后には浅からぬ因縁があるのだろう。だがそんなことは麗麗には知ったこっちゃない。また呪いか、飽きないよなあという感想なので、素直にそれを口にした。

 「呪いだのなんだのって、ほんと飽きませんよね」

 呆れた口調が出てしまったのだろう、冥焔はわずかに表情をゆるめ、口の端を持ち上げて皮肉げに笑った。

 「お前は、呪いではないと言うのだな」

 だがしかし、麗麗はすぐにうなずかなかった。

 「まだ断言できません」

 冥焔はわかっていたようだ。真剣な瞳で麗麗の瞳を見返し、首を縦に振った。

 「〝ガリレオ〟の信念だな。……現場へ向かおう」