「あ、いたいた! 麗麗! ねえ聞いてよ! さっき洗い場で聞いたんだけどね!」
冥焔との仕事を終え、ひと休みしようと、瑛琳妃が住まう深藍宮にある自分の房に向かった麗麗だったが、そこで同僚の雪梅にとっつかまった。
雪梅は先ほどまで洗い場にいたらしい。ややきつめの瞳がらんらんと輝き、興奮に頬を染めた顔はびっくりするほど美しいが、漂わせている雰囲気は不穏そのものだ。洗濯籠を持ったままのしのしと麗麗に近寄ると、すばやくささやく。
「徳妃! 次の徳妃の話よっ……。知ってる!? もう入内してるんですって……!」
あちゃあ、と麗麗は天を仰いだ。
(宦官。噂になってるよ)
さすが後宮。いや、雪梅の耳が早いだけなのか。なんにしても、麗麗ひとりに口止めしたところで無意味なのが今ここで証明された。
雪梅は鼻息を荒くしながら洗濯籠を床に置くと、目を輝かせながら話す。
「しかもあの方……っ! 玲沙様っていうんだけどね、主上の従妹様なんですって!」
「へえ」
(現皇帝の従妹ってことは、ええと……)
麗麗の頭の中で、家系図が展開される。
(だめだ、わからん)
「……どっちの従妹様で?」
はてながたくさん浮かんだ状態で尋ねると、雪梅からはじとりとした視線をいただいた。
「聞きたいことはわかるわよ。主上のお母上筋か、お父上の羅帝の筋かって言いたいんでしょ」
「おおっ、さすが雪梅」
非常に話が早く、麗麗は思わず手を叩いた。
しかし、麗麗なりの褒めは雪梅にとっては不本意なものだったらしい。目いっぱい顔をしかめられてしまった。
「嬉しかないわよ! あんたねえ、本当にもうちょっと、言葉とか事前知識とか、なんとかしなさいよ。私だからいいけど、いつか身を滅ぼすわよ」
ごもっともなので、麗麗はおとなしく口を閉ざした。
雪梅は呆れたように息をつくと、よいしょと籠を持ち直した。
「まあいいわ。この話は私たち、避けて通れないもの。みんなでおさらいしましょ。籠を置いてくるから、厨で待っててもらえる? もうすぐ香鈴も帰ってくるだろうし、花里にも話をしておかないと」
「助かります」
麗麗は手のひらを合わせた。
ただでさえ複雑な人間関係だし、正直自分はこの系統の話が大の苦手である。雪梅のように物事を丁寧に教えてくれる同僚がいることに感謝しなければならない。
そんなわけで、麗麗は厨へと向かった。
「うわっ」
厨の中は、甘い香りでむせかえるほどだった。
見ると、年嵩の女官頭・花里が鍋と格闘している。手に木匙を持ち、真剣な表情で鍋の中をかき回しているのである。いつも穏やかな笑みを浮かべている花里だが、今はちょっと鬼気迫る表情だ。
「花里? なにしてるの?」
洗濯籠を置き終わったのだろう、雪梅がひょこっと厨の入り口から顔をのぞかせた。
「ああ、雪梅。それに麗麗もいたのね。ちょっと待ってね、もうすぐできあがるから」
身を乗り出して鍋の中を見ると、乳白色の餅状のものが火にかかっている。とろりとしたそれからは、甘くよい匂いが漂ってきていた。
「もしかして、新作のお菓子!?」
「うふふ、そうよ。かき混ぜていないと焦げちゃうの」
おっとりと柔らかな声を出しながらも、手は猛烈な速度で動いている。
さすが元厨師。玄人の技だなあと感心する麗麗をよそに、花里は更に言葉を重ねた。
「聞いたわよ。徳妃が決まったんですって? これは近々茶話会の予定がありそうって思ってね。娘娘の評価を上げるためにも、今のうちから準備しないと!」
娘娘というのは妃嬪に対する敬称である。
こっちもか、と麗麗は苦笑した。
秘密とは秘密ではなかったのだな、と矛盾したことを考えていると、どたばたと回廊から足音が聞こえた。
「聞いて聞いて聞いてーっ! すごい話、聞いちゃった!」
もう驚くまい。こっちもである。
興奮もあらわに厨に現れた年若の女官・香鈴は、その場全員の顔を見てあらかた察したようである。
「ちぇっ、もうみんな知ってんのかぁ~。残念!」
「当たり前よ。そもそもあの徳妃が挨拶して回ってるって話よ? もう後宮にいる全員が把握してるんじゃないかしら」
「ああ~」
雪梅の言葉に、麗麗は納得する。
確かに、あの徳妃はわざわざ輿を止めて挨拶してくるくらいだ。主要の場所はすべて挨拶に行っているに違いない。
雪梅は厨に入るとどかっと長椅子に座る。卓子に肘をついて、ふーっと息を吐いて話し始めた。
「そう、それで、徳妃の話よ。あの方は玲沙様っていってね、主上の母君様筋の従妹であらせられるのよ。確か、母君の弟の息女でいらっしゃるはずよ」
「はい」
麗麗は挙手をして発言を求める。
「そもそもなんですけど、主上のお母様は……その、ご存命……」
「んなわけないでしょ。ご存命でいらしたら、今頃皇太后としてこの後宮の頂点にいらっしゃらなきゃおかしいでしょうが」
今の皇帝と先代の皇帝・龍帝は腹違いの兄弟だ。当然、母親が違うのである。それゆえの質問だったが、なるほど。
(主上も、前の皇帝も、それぞれお母さんを亡くされてるんだなあ)
少ししんみりしてしまった麗麗をよそに、「つまりね」、と雪梅は大きく足を組んだ。
「主上のお母様は、主上がまだ登極する前……お生まれになってすぐにお亡くなりになってるの。羅帝の次の皇帝は龍帝だと決まっていたし、まだ幼い主上は宮城の外でお育ちになったと聞いてるわ。龍帝が登極する直前まで、主上は宮城とは無関係でいらっしゃったの。でも、ほら、龍帝がお亡くなりになっちゃったでしょ? それで、慌てて主上が皇帝におなりあそばした、と」
「は、はあ」
待て待て、わからん、と麗麗の頭にはてなが浮かぶ。
「で、ここが重要なんだけれど。主上が登極前に暮らしていた場所こそ、玲沙様のご実家だったのよ! つまり、姉の産んだ子を引き取って、弟が育てたというお話なのね……! すごいわよね!」
(えっとお?)
だめだ、本当にわからない。
「雪梅。簡潔にお願いします」
「……わかった。もう前置きは抜きで話すわ。今の主上と玲沙様は親戚で、かつ幼なじみの関係でいらっしゃるってことよ!」
「ほええええ」
幼なじみ。なんと強い単語だろうか。しかも従妹で──さすがに同じ棟ではないとしても──ひとつ屋根の下で暮らしていた仲である。
(そりゃ穏やかじゃいられないわ)
あの映画やあの漫画だって幼なじみ同士がくっついたではないか。王道も王道。しかも従妹というおいしい属性がついている。
皇帝の寵愛を得るために集められている女性たちからしたら、初めから有利なやつが入ってきたという話になるのだろう。
香鈴も長椅子に座り、栗鼠のような目を爛々と光らせながら話に乗ってきた。
「もう絶対、負けてたまるかって感じだよね! お披露目の茶話会が開かれるはずだから、腕によりをかけて瑛琳様を盛り立てていかないと! ってことで、早速仕入れてきたんだ、とっておきのやつ!」
「へえ、なにを?」
雪梅も目を輝かせた。
「香炉とお香だよ。もう房に運んであるんだ」
へへへっと香鈴は笑った。
香鈴はおしゃれ番長である。公式行事の衣装や当日の化粧はもちろん、房の調度や茶器、香炉、その他もろもろの管理を任されている。
後宮内で女官が勝手に物を購入することはできない。その代わり、〝妃のお使い〟として手に入れるのだ。
「玲沙様って香炉がお好きでいらっしゃるんだって。だから、ちょうどいいのを見繕ってきたんだ」
「すごいじゃない。でも、あの堅物の尚方がよく対応してくれたわね。どんなに早くても、取り寄せに数日間はかかるんじゃなかった?」
尚方とは、調度品の仕入れや製作を担う尚である。
雪梅の言葉に、香鈴は胸を張った。
「実は、前から依頼してたんだよね~。なにかに使えるかと思ってさ。香炉や団扇、お皿、茶器、そういうのは贈答品の基本でしょ? だから、かっちょいいのが入ったら最優先でくださいってお願いしてたの!」
「さっすが香鈴。これで茶話会が急に決まっても先手を打てるってわけね!」
さて、いつ聞こうか。盛り上がっているところ恐縮であるが、麗麗にはまだわからないことがあった。
おずおずと挙手をする。
「あのう。その……茶話会とは……?」
空気がぴしっと固まる。
「……そっか、あんたはそういう子だわ」
雪梅があきらめたように笑う。
「お披露目の茶話会っていうのがあるのよ。つまり、妃に就任した本人が同じ階級の妃たちを集めて自己紹介と、これからよろしくって挨拶するわけ」
ははあ、なるほど。つまり、徳妃が主催するのであれば、またもや四夫人そろい踏みか。考えるだに恐ろしい茶話会になりそうだ。
香鈴が愛くるしい瞳をくるりと輝かせ、小首をかしげる。
「お呼ばれしたら、お手土産がいるでしょ? そういうときっていろんな人が贈り物を送ろうとするから後手に回ると大変なんだ。尚方って融通が利かないから、すぐに欲しいって言ってもくれないの」
さすが、〝シゴデキ〟だ。瑛琳妃の女官たちは、皆、本当に優秀だと改めて認識する麗麗だった。
「で、花里? さっきからものすんごくいい匂いなんだけど、それ、なあにい?」
「ふふ、もうできるわよ」
汗だくで鍋をかき混ぜていた花里は、香鈴の問いに微笑んだ。匙を置き、火から鍋を下ろすと、用意してあった平たい皿に中のものをとろりと注ぐ。
麗麗の鼻先に、よく知る甘く香ばしい香りが届いた。
(あっ、これ……!)
「山羊の乳と、蜜を煮つめてとろみを出したのよ。あとは冷やして切ればできあがりね」
(きゃ……キャラメル……っ!)
ほんのり茶色に染まった乳の色合いといい、柔らかく甘い香りといい、転生前に散々お世話になったキャラメルそっくりである。
「試作品だから、味見できるわよ。ただ──」
「やったー!」
花里の言葉を遮って、雪梅と香鈴は快哉をあげた。おのおの匙を手に取り、よだれを垂らさんばかりに皿に近寄って……。
「いっただきまーす!」
「あっ」
やめたほうが、という麗麗の声が届く間もなく匙ですくってぱくりとひと口。途端に、ふたりして目をひんむいた。
「っ……あっふ、あふいっ……!」
「み、みふっ、みふひょうはいっ……!」
(それみたことか)
砂糖が飴状になるには百二十度以上。蜜を使ったとしても確か同じくらいの温度まで上がるはずだ。しかも粘度が高いので、舌の上に留まるのである。体感温度はおそらくそれ以上なのだから、さぞ熱いことだろう。
「あらあら、大変。冷めるまで待ちなさいって言うつもりだったのに」
花里が汲んでくれた水を口に流し入れ、ひーひー悲鳴をあげるふたりを見て、麗麗は苦笑いする。
ちゃんと花里は『冷やして切れば』と告げていたのに、せっかちだからこうなるのだ。
「麗麗はえらいわね。ちゃんと待てるおりこうさんだわ」
「ありがとうございます」
前世の知識に感謝である。
冥焔との仕事を終え、ひと休みしようと、瑛琳妃が住まう深藍宮にある自分の房に向かった麗麗だったが、そこで同僚の雪梅にとっつかまった。
雪梅は先ほどまで洗い場にいたらしい。ややきつめの瞳がらんらんと輝き、興奮に頬を染めた顔はびっくりするほど美しいが、漂わせている雰囲気は不穏そのものだ。洗濯籠を持ったままのしのしと麗麗に近寄ると、すばやくささやく。
「徳妃! 次の徳妃の話よっ……。知ってる!? もう入内してるんですって……!」
あちゃあ、と麗麗は天を仰いだ。
(宦官。噂になってるよ)
さすが後宮。いや、雪梅の耳が早いだけなのか。なんにしても、麗麗ひとりに口止めしたところで無意味なのが今ここで証明された。
雪梅は鼻息を荒くしながら洗濯籠を床に置くと、目を輝かせながら話す。
「しかもあの方……っ! 玲沙様っていうんだけどね、主上の従妹様なんですって!」
「へえ」
(現皇帝の従妹ってことは、ええと……)
麗麗の頭の中で、家系図が展開される。
(だめだ、わからん)
「……どっちの従妹様で?」
はてながたくさん浮かんだ状態で尋ねると、雪梅からはじとりとした視線をいただいた。
「聞きたいことはわかるわよ。主上のお母上筋か、お父上の羅帝の筋かって言いたいんでしょ」
「おおっ、さすが雪梅」
非常に話が早く、麗麗は思わず手を叩いた。
しかし、麗麗なりの褒めは雪梅にとっては不本意なものだったらしい。目いっぱい顔をしかめられてしまった。
「嬉しかないわよ! あんたねえ、本当にもうちょっと、言葉とか事前知識とか、なんとかしなさいよ。私だからいいけど、いつか身を滅ぼすわよ」
ごもっともなので、麗麗はおとなしく口を閉ざした。
雪梅は呆れたように息をつくと、よいしょと籠を持ち直した。
「まあいいわ。この話は私たち、避けて通れないもの。みんなでおさらいしましょ。籠を置いてくるから、厨で待っててもらえる? もうすぐ香鈴も帰ってくるだろうし、花里にも話をしておかないと」
「助かります」
麗麗は手のひらを合わせた。
ただでさえ複雑な人間関係だし、正直自分はこの系統の話が大の苦手である。雪梅のように物事を丁寧に教えてくれる同僚がいることに感謝しなければならない。
そんなわけで、麗麗は厨へと向かった。
「うわっ」
厨の中は、甘い香りでむせかえるほどだった。
見ると、年嵩の女官頭・花里が鍋と格闘している。手に木匙を持ち、真剣な表情で鍋の中をかき回しているのである。いつも穏やかな笑みを浮かべている花里だが、今はちょっと鬼気迫る表情だ。
「花里? なにしてるの?」
洗濯籠を置き終わったのだろう、雪梅がひょこっと厨の入り口から顔をのぞかせた。
「ああ、雪梅。それに麗麗もいたのね。ちょっと待ってね、もうすぐできあがるから」
身を乗り出して鍋の中を見ると、乳白色の餅状のものが火にかかっている。とろりとしたそれからは、甘くよい匂いが漂ってきていた。
「もしかして、新作のお菓子!?」
「うふふ、そうよ。かき混ぜていないと焦げちゃうの」
おっとりと柔らかな声を出しながらも、手は猛烈な速度で動いている。
さすが元厨師。玄人の技だなあと感心する麗麗をよそに、花里は更に言葉を重ねた。
「聞いたわよ。徳妃が決まったんですって? これは近々茶話会の予定がありそうって思ってね。娘娘の評価を上げるためにも、今のうちから準備しないと!」
娘娘というのは妃嬪に対する敬称である。
こっちもか、と麗麗は苦笑した。
秘密とは秘密ではなかったのだな、と矛盾したことを考えていると、どたばたと回廊から足音が聞こえた。
「聞いて聞いて聞いてーっ! すごい話、聞いちゃった!」
もう驚くまい。こっちもである。
興奮もあらわに厨に現れた年若の女官・香鈴は、その場全員の顔を見てあらかた察したようである。
「ちぇっ、もうみんな知ってんのかぁ~。残念!」
「当たり前よ。そもそもあの徳妃が挨拶して回ってるって話よ? もう後宮にいる全員が把握してるんじゃないかしら」
「ああ~」
雪梅の言葉に、麗麗は納得する。
確かに、あの徳妃はわざわざ輿を止めて挨拶してくるくらいだ。主要の場所はすべて挨拶に行っているに違いない。
雪梅は厨に入るとどかっと長椅子に座る。卓子に肘をついて、ふーっと息を吐いて話し始めた。
「そう、それで、徳妃の話よ。あの方は玲沙様っていってね、主上の母君様筋の従妹であらせられるのよ。確か、母君の弟の息女でいらっしゃるはずよ」
「はい」
麗麗は挙手をして発言を求める。
「そもそもなんですけど、主上のお母様は……その、ご存命……」
「んなわけないでしょ。ご存命でいらしたら、今頃皇太后としてこの後宮の頂点にいらっしゃらなきゃおかしいでしょうが」
今の皇帝と先代の皇帝・龍帝は腹違いの兄弟だ。当然、母親が違うのである。それゆえの質問だったが、なるほど。
(主上も、前の皇帝も、それぞれお母さんを亡くされてるんだなあ)
少ししんみりしてしまった麗麗をよそに、「つまりね」、と雪梅は大きく足を組んだ。
「主上のお母様は、主上がまだ登極する前……お生まれになってすぐにお亡くなりになってるの。羅帝の次の皇帝は龍帝だと決まっていたし、まだ幼い主上は宮城の外でお育ちになったと聞いてるわ。龍帝が登極する直前まで、主上は宮城とは無関係でいらっしゃったの。でも、ほら、龍帝がお亡くなりになっちゃったでしょ? それで、慌てて主上が皇帝におなりあそばした、と」
「は、はあ」
待て待て、わからん、と麗麗の頭にはてなが浮かぶ。
「で、ここが重要なんだけれど。主上が登極前に暮らしていた場所こそ、玲沙様のご実家だったのよ! つまり、姉の産んだ子を引き取って、弟が育てたというお話なのね……! すごいわよね!」
(えっとお?)
だめだ、本当にわからない。
「雪梅。簡潔にお願いします」
「……わかった。もう前置きは抜きで話すわ。今の主上と玲沙様は親戚で、かつ幼なじみの関係でいらっしゃるってことよ!」
「ほええええ」
幼なじみ。なんと強い単語だろうか。しかも従妹で──さすがに同じ棟ではないとしても──ひとつ屋根の下で暮らしていた仲である。
(そりゃ穏やかじゃいられないわ)
あの映画やあの漫画だって幼なじみ同士がくっついたではないか。王道も王道。しかも従妹というおいしい属性がついている。
皇帝の寵愛を得るために集められている女性たちからしたら、初めから有利なやつが入ってきたという話になるのだろう。
香鈴も長椅子に座り、栗鼠のような目を爛々と光らせながら話に乗ってきた。
「もう絶対、負けてたまるかって感じだよね! お披露目の茶話会が開かれるはずだから、腕によりをかけて瑛琳様を盛り立てていかないと! ってことで、早速仕入れてきたんだ、とっておきのやつ!」
「へえ、なにを?」
雪梅も目を輝かせた。
「香炉とお香だよ。もう房に運んであるんだ」
へへへっと香鈴は笑った。
香鈴はおしゃれ番長である。公式行事の衣装や当日の化粧はもちろん、房の調度や茶器、香炉、その他もろもろの管理を任されている。
後宮内で女官が勝手に物を購入することはできない。その代わり、〝妃のお使い〟として手に入れるのだ。
「玲沙様って香炉がお好きでいらっしゃるんだって。だから、ちょうどいいのを見繕ってきたんだ」
「すごいじゃない。でも、あの堅物の尚方がよく対応してくれたわね。どんなに早くても、取り寄せに数日間はかかるんじゃなかった?」
尚方とは、調度品の仕入れや製作を担う尚である。
雪梅の言葉に、香鈴は胸を張った。
「実は、前から依頼してたんだよね~。なにかに使えるかと思ってさ。香炉や団扇、お皿、茶器、そういうのは贈答品の基本でしょ? だから、かっちょいいのが入ったら最優先でくださいってお願いしてたの!」
「さっすが香鈴。これで茶話会が急に決まっても先手を打てるってわけね!」
さて、いつ聞こうか。盛り上がっているところ恐縮であるが、麗麗にはまだわからないことがあった。
おずおずと挙手をする。
「あのう。その……茶話会とは……?」
空気がぴしっと固まる。
「……そっか、あんたはそういう子だわ」
雪梅があきらめたように笑う。
「お披露目の茶話会っていうのがあるのよ。つまり、妃に就任した本人が同じ階級の妃たちを集めて自己紹介と、これからよろしくって挨拶するわけ」
ははあ、なるほど。つまり、徳妃が主催するのであれば、またもや四夫人そろい踏みか。考えるだに恐ろしい茶話会になりそうだ。
香鈴が愛くるしい瞳をくるりと輝かせ、小首をかしげる。
「お呼ばれしたら、お手土産がいるでしょ? そういうときっていろんな人が贈り物を送ろうとするから後手に回ると大変なんだ。尚方って融通が利かないから、すぐに欲しいって言ってもくれないの」
さすが、〝シゴデキ〟だ。瑛琳妃の女官たちは、皆、本当に優秀だと改めて認識する麗麗だった。
「で、花里? さっきからものすんごくいい匂いなんだけど、それ、なあにい?」
「ふふ、もうできるわよ」
汗だくで鍋をかき混ぜていた花里は、香鈴の問いに微笑んだ。匙を置き、火から鍋を下ろすと、用意してあった平たい皿に中のものをとろりと注ぐ。
麗麗の鼻先に、よく知る甘く香ばしい香りが届いた。
(あっ、これ……!)
「山羊の乳と、蜜を煮つめてとろみを出したのよ。あとは冷やして切ればできあがりね」
(きゃ……キャラメル……っ!)
ほんのり茶色に染まった乳の色合いといい、柔らかく甘い香りといい、転生前に散々お世話になったキャラメルそっくりである。
「試作品だから、味見できるわよ。ただ──」
「やったー!」
花里の言葉を遮って、雪梅と香鈴は快哉をあげた。おのおの匙を手に取り、よだれを垂らさんばかりに皿に近寄って……。
「いっただきまーす!」
「あっ」
やめたほうが、という麗麗の声が届く間もなく匙ですくってぱくりとひと口。途端に、ふたりして目をひんむいた。
「っ……あっふ、あふいっ……!」
「み、みふっ、みふひょうはいっ……!」
(それみたことか)
砂糖が飴状になるには百二十度以上。蜜を使ったとしても確か同じくらいの温度まで上がるはずだ。しかも粘度が高いので、舌の上に留まるのである。体感温度はおそらくそれ以上なのだから、さぞ熱いことだろう。
「あらあら、大変。冷めるまで待ちなさいって言うつもりだったのに」
花里が汲んでくれた水を口に流し入れ、ひーひー悲鳴をあげるふたりを見て、麗麗は苦笑いする。
ちゃんと花里は『冷やして切れば』と告げていたのに、せっかちだからこうなるのだ。
「麗麗はえらいわね。ちゃんと待てるおりこうさんだわ」
「ありがとうございます」
前世の知識に感謝である。



