後宮のガリレオ2

 ふたりが向かった先は、下級妃たちが共同で暮らしている殿舎だった。この殿舎に住まう妃たちや女官たちより、訴えがあったのだ。

 「壁から音が聞こえるの。どんどんどんって、誰かが殴っているような音が……」

 おびえた顔をした妃は、震える手のひらを合わせて視線をさまよわせた。

 院子(にわ)に集まっている数人の妃や女官たちを見回して、冥焔はうなずいてみせた。

 「音が聞こえるというお話ですが、その音を聞いた方はどれだけいらっしゃいますか」

 おずおずと手が上がる。その場にいるほぼ全員が挙手をしている状態に、麗麗はこれは間違いではなさそうだと背筋を伸ばした。

 「隣の房で誰かが壁を(たた)いたのではないですか?」

 「違うわ。だってわたくし、すぐに確かめたんです。でも、隣には誰もいなくて……」

 妃の言葉に、集まっていた人たちは一斉にうなずいた。

 「壁だけじゃないのよ」

 青い顔をした別の妃が、軽く挙手をして発言する。

 「床からも聞こえるの。足裏に響くような感じで、どん、どんって。誰かが床下にいて、いたずらしてるんじゃないかしらって思って、女官に頼んで見てもらったんだけど……」

 (床下には誰もいなかった、というわけですね!)

 そうそうこれこれ。わくわく、そわそわと、麗麗の(さが)が騒ぎ出す。

 「女官、どう思う」

 冥焔の言葉に、麗麗は目を輝かせて身を乗り出した。

 「とっても楽しいです! ……あっ」

 しまった、またやってしまった。

 己の口を自分の手で塞ぎながら、麗麗は天を仰いだ。妃様方や女官たちの視線が痛い。

 違うんです、これにはその、深くもなければ難しくもない事情がありまして。

 こほん、と咳払(せきばら)いひとつ。

 「……まずは、現場を見せていただけますか」

 盛大にため息をついた冥焔のじとりとした空気を感じながら、麗麗は言葉を落とした。

 殿舎は素朴な造りである。ここには下級妃たちがそろって生活しているため、上級妃の宮のように華美に飾り立ててはいない。

 むき出しの柱にも窓枠にも装飾はなく、壁の漆喰(しっくい)もやや黄ばみ、実用一点張りの造りである。だがしかし、清掃は行き届いているようで、目立つ汚れは見当たらない。うっすらと香の香りが漂っているところなど、なるほど妃たちの暮らす場所であると実感できる。

 「音がするのはいつ頃です?」

 麗麗は回廊の壁の漆喰を触りながら、妃たちに質問をする。

 「朝から夕方にかけてがほとんどよ」

 「夜には音がやむのですね」

 「ええ。だから、最初はそんなに気にかけていなかったの。幽鬼は夜に出るって言うでしょう? でも、音の出所がわからなくて、それで、おかしいわねって話になったのよ」

 ふむ、と麗麗は唇に指先を当てた。

 「音はずっと鳴りっぱなしですか」

 「いいえ。数刻、聞こえないときも……っ!」

 どん、どん、と今、確かに音が聞こえる。振動を伴う音で、麗麗は足裏にその響きを感じた。

 「これですね?」

 「そ、そうよ……。もう嫌! なんで、急にこんなっ……」

 抱き合っておびえる妃や女官を尻目に、麗麗は目を爛々(らんらん)と輝かせた。

 (これは、そう。多分、そういうこと!)

 ふんふん、ふむふむと麗麗の頭の中で方程式が組み上がった。

 「冥焔様」

 すっかり見物を決め込んでいた鬼上司に、麗麗は声をかけた。

 「最近この後宮のどこかで、土木作業をしていませんか。(つち)を使うような。……おそらく、建築だと思うのですが」

 冥焔は目を丸くした。

 「確かに。だが……離れたところであるし、今回の事件には関係あるまい」

 ちらりと目配せをし、意味深に言葉を濁した。あまり積極的に話したいことではないのだと察して、麗麗は注意深く口を開く。

 「作業は日のある時間帯ですね?」

 「当たり前だ。夜の作業など、危なくて許可できるはずがない」

 麗麗はにんまり笑う。

 「わかりました。では、これは自然現象です。怪異ではありません」

 ざわっとその場の者たちがざわめいた。

 「怪異ではない……?」

 まだおびえた顔をしている妃の言葉に、麗麗は揖礼(ゆうれい)しながら応える。

 「音は、二種類あるんです。普段私たちが耳で聞く音は、気を通じて響く音。この声もそうですね。そして、もうひとつが、物体を通して響く音です。今聞こえているこの音は、後者なんですよ」

 それを聞いた冥焔の眉が跳ね上がった。

 「物体だと? どういうことだ。女官、説明せよ」

 今その説明をしてるんだよなあ、短気なやつめ、と(あき)れながら、麗麗はなおも言葉を重ねる。

 「音というのは、その場にあるものを震わせて耳に届くようになっているんです。そして、低い音ほど震わせる力が強い」

 麗麗はしゃがみ込み、回廊の床を()でる。

 「低い音は気のみならず、大地を震わせます。土木作業の槌の音が大地を通じてこの宮に届いているんですよ。だから、朝から夕方までしか音が聞こえないんです。作業がその時間しか行われないので」

 「あっ……」

 妃や女官たちがそれぞれ顔を見合わせた。

 「じゃあ、音が聞こえない数刻、って、もしかして」

 「おそらく、工人(こうじん)のお昼休憩でしょうね」

 麗麗は立ち上がると、彼女たちに向き直った。

 「土木作業の音が、この宮に響いてきているんです。ただそれだけのことで、この場所に幽鬼など存在しません」

 女性たちの顔が、ほっとゆるむ。安心したように息をつく彼女たちを見ながら、麗麗は宣言した。

 「これにて、証明完了です」