ふたりが向かった先は、下級妃たちが共同で暮らしている殿舎だった。この殿舎に住まう妃たちや女官たちより、訴えがあったのだ。
「壁から音が聞こえるの。どんどんどんって、誰かが殴っているような音が……」
おびえた顔をした妃は、震える手のひらを合わせて視線をさまよわせた。
院子に集まっている数人の妃や女官たちを見回して、冥焔はうなずいてみせた。
「音が聞こえるというお話ですが、その音を聞いた方はどれだけいらっしゃいますか」
おずおずと手が上がる。その場にいるほぼ全員が挙手をしている状態に、麗麗はこれは間違いではなさそうだと背筋を伸ばした。
「隣の房で誰かが壁を叩いたのではないですか?」
「違うわ。だってわたくし、すぐに確かめたんです。でも、隣には誰もいなくて……」
妃の言葉に、集まっていた人たちは一斉にうなずいた。
「壁だけじゃないのよ」
青い顔をした別の妃が、軽く挙手をして発言する。
「床からも聞こえるの。足裏に響くような感じで、どん、どんって。誰かが床下にいて、いたずらしてるんじゃないかしらって思って、女官に頼んで見てもらったんだけど……」
(床下には誰もいなかった、というわけですね!)
そうそうこれこれ。わくわく、そわそわと、麗麗の性が騒ぎ出す。
「女官、どう思う」
冥焔の言葉に、麗麗は目を輝かせて身を乗り出した。
「とっても楽しいです! ……あっ」
しまった、またやってしまった。
己の口を自分の手で塞ぎながら、麗麗は天を仰いだ。妃様方や女官たちの視線が痛い。
違うんです、これにはその、深くもなければ難しくもない事情がありまして。
こほん、と咳払いひとつ。
「……まずは、現場を見せていただけますか」
盛大にため息をついた冥焔のじとりとした空気を感じながら、麗麗は言葉を落とした。
殿舎は素朴な造りである。ここには下級妃たちがそろって生活しているため、上級妃の宮のように華美に飾り立ててはいない。
むき出しの柱にも窓枠にも装飾はなく、壁の漆喰もやや黄ばみ、実用一点張りの造りである。だがしかし、清掃は行き届いているようで、目立つ汚れは見当たらない。うっすらと香の香りが漂っているところなど、なるほど妃たちの暮らす場所であると実感できる。
「音がするのはいつ頃です?」
麗麗は回廊の壁の漆喰を触りながら、妃たちに質問をする。
「朝から夕方にかけてがほとんどよ」
「夜には音がやむのですね」
「ええ。だから、最初はそんなに気にかけていなかったの。幽鬼は夜に出るって言うでしょう? でも、音の出所がわからなくて、それで、おかしいわねって話になったのよ」
ふむ、と麗麗は唇に指先を当てた。
「音はずっと鳴りっぱなしですか」
「いいえ。数刻、聞こえないときも……っ!」
どん、どん、と今、確かに音が聞こえる。振動を伴う音で、麗麗は足裏にその響きを感じた。
「これですね?」
「そ、そうよ……。もう嫌! なんで、急にこんなっ……」
抱き合っておびえる妃や女官を尻目に、麗麗は目を爛々と輝かせた。
(これは、そう。多分、そういうこと!)
ふんふん、ふむふむと麗麗の頭の中で方程式が組み上がった。
「冥焔様」
すっかり見物を決め込んでいた鬼上司に、麗麗は声をかけた。
「最近この後宮のどこかで、土木作業をしていませんか。槌を使うような。……おそらく、建築だと思うのですが」
冥焔は目を丸くした。
「確かに。だが……離れたところであるし、今回の事件には関係あるまい」
ちらりと目配せをし、意味深に言葉を濁した。あまり積極的に話したいことではないのだと察して、麗麗は注意深く口を開く。
「作業は日のある時間帯ですね?」
「当たり前だ。夜の作業など、危なくて許可できるはずがない」
麗麗はにんまり笑う。
「わかりました。では、これは自然現象です。怪異ではありません」
ざわっとその場の者たちがざわめいた。
「怪異ではない……?」
まだおびえた顔をしている妃の言葉に、麗麗は揖礼しながら応える。
「音は、二種類あるんです。普段私たちが耳で聞く音は、気を通じて響く音。この声もそうですね。そして、もうひとつが、物体を通して響く音です。今聞こえているこの音は、後者なんですよ」
それを聞いた冥焔の眉が跳ね上がった。
「物体だと? どういうことだ。女官、説明せよ」
今その説明をしてるんだよなあ、短気なやつめ、と呆れながら、麗麗はなおも言葉を重ねる。
「音というのは、その場にあるものを震わせて耳に届くようになっているんです。そして、低い音ほど震わせる力が強い」
麗麗はしゃがみ込み、回廊の床を撫でる。
「低い音は気のみならず、大地を震わせます。土木作業の槌の音が大地を通じてこの宮に届いているんですよ。だから、朝から夕方までしか音が聞こえないんです。作業がその時間しか行われないので」
「あっ……」
妃や女官たちがそれぞれ顔を見合わせた。
「じゃあ、音が聞こえない数刻、って、もしかして」
「おそらく、工人のお昼休憩でしょうね」
麗麗は立ち上がると、彼女たちに向き直った。
「土木作業の音が、この宮に響いてきているんです。ただそれだけのことで、この場所に幽鬼など存在しません」
女性たちの顔が、ほっとゆるむ。安心したように息をつく彼女たちを見ながら、麗麗は宣言した。
「これにて、証明完了です」
「壁から音が聞こえるの。どんどんどんって、誰かが殴っているような音が……」
おびえた顔をした妃は、震える手のひらを合わせて視線をさまよわせた。
院子に集まっている数人の妃や女官たちを見回して、冥焔はうなずいてみせた。
「音が聞こえるというお話ですが、その音を聞いた方はどれだけいらっしゃいますか」
おずおずと手が上がる。その場にいるほぼ全員が挙手をしている状態に、麗麗はこれは間違いではなさそうだと背筋を伸ばした。
「隣の房で誰かが壁を叩いたのではないですか?」
「違うわ。だってわたくし、すぐに確かめたんです。でも、隣には誰もいなくて……」
妃の言葉に、集まっていた人たちは一斉にうなずいた。
「壁だけじゃないのよ」
青い顔をした別の妃が、軽く挙手をして発言する。
「床からも聞こえるの。足裏に響くような感じで、どん、どんって。誰かが床下にいて、いたずらしてるんじゃないかしらって思って、女官に頼んで見てもらったんだけど……」
(床下には誰もいなかった、というわけですね!)
そうそうこれこれ。わくわく、そわそわと、麗麗の性が騒ぎ出す。
「女官、どう思う」
冥焔の言葉に、麗麗は目を輝かせて身を乗り出した。
「とっても楽しいです! ……あっ」
しまった、またやってしまった。
己の口を自分の手で塞ぎながら、麗麗は天を仰いだ。妃様方や女官たちの視線が痛い。
違うんです、これにはその、深くもなければ難しくもない事情がありまして。
こほん、と咳払いひとつ。
「……まずは、現場を見せていただけますか」
盛大にため息をついた冥焔のじとりとした空気を感じながら、麗麗は言葉を落とした。
殿舎は素朴な造りである。ここには下級妃たちがそろって生活しているため、上級妃の宮のように華美に飾り立ててはいない。
むき出しの柱にも窓枠にも装飾はなく、壁の漆喰もやや黄ばみ、実用一点張りの造りである。だがしかし、清掃は行き届いているようで、目立つ汚れは見当たらない。うっすらと香の香りが漂っているところなど、なるほど妃たちの暮らす場所であると実感できる。
「音がするのはいつ頃です?」
麗麗は回廊の壁の漆喰を触りながら、妃たちに質問をする。
「朝から夕方にかけてがほとんどよ」
「夜には音がやむのですね」
「ええ。だから、最初はそんなに気にかけていなかったの。幽鬼は夜に出るって言うでしょう? でも、音の出所がわからなくて、それで、おかしいわねって話になったのよ」
ふむ、と麗麗は唇に指先を当てた。
「音はずっと鳴りっぱなしですか」
「いいえ。数刻、聞こえないときも……っ!」
どん、どん、と今、確かに音が聞こえる。振動を伴う音で、麗麗は足裏にその響きを感じた。
「これですね?」
「そ、そうよ……。もう嫌! なんで、急にこんなっ……」
抱き合っておびえる妃や女官を尻目に、麗麗は目を爛々と輝かせた。
(これは、そう。多分、そういうこと!)
ふんふん、ふむふむと麗麗の頭の中で方程式が組み上がった。
「冥焔様」
すっかり見物を決め込んでいた鬼上司に、麗麗は声をかけた。
「最近この後宮のどこかで、土木作業をしていませんか。槌を使うような。……おそらく、建築だと思うのですが」
冥焔は目を丸くした。
「確かに。だが……離れたところであるし、今回の事件には関係あるまい」
ちらりと目配せをし、意味深に言葉を濁した。あまり積極的に話したいことではないのだと察して、麗麗は注意深く口を開く。
「作業は日のある時間帯ですね?」
「当たり前だ。夜の作業など、危なくて許可できるはずがない」
麗麗はにんまり笑う。
「わかりました。では、これは自然現象です。怪異ではありません」
ざわっとその場の者たちがざわめいた。
「怪異ではない……?」
まだおびえた顔をしている妃の言葉に、麗麗は揖礼しながら応える。
「音は、二種類あるんです。普段私たちが耳で聞く音は、気を通じて響く音。この声もそうですね。そして、もうひとつが、物体を通して響く音です。今聞こえているこの音は、後者なんですよ」
それを聞いた冥焔の眉が跳ね上がった。
「物体だと? どういうことだ。女官、説明せよ」
今その説明をしてるんだよなあ、短気なやつめ、と呆れながら、麗麗はなおも言葉を重ねる。
「音というのは、その場にあるものを震わせて耳に届くようになっているんです。そして、低い音ほど震わせる力が強い」
麗麗はしゃがみ込み、回廊の床を撫でる。
「低い音は気のみならず、大地を震わせます。土木作業の槌の音が大地を通じてこの宮に届いているんですよ。だから、朝から夕方までしか音が聞こえないんです。作業がその時間しか行われないので」
「あっ……」
妃や女官たちがそれぞれ顔を見合わせた。
「じゃあ、音が聞こえない数刻、って、もしかして」
「おそらく、工人のお昼休憩でしょうね」
麗麗は立ち上がると、彼女たちに向き直った。
「土木作業の音が、この宮に響いてきているんです。ただそれだけのことで、この場所に幽鬼など存在しません」
女性たちの顔が、ほっとゆるむ。安心したように息をつく彼女たちを見ながら、麗麗は宣言した。
「これにて、証明完了です」



