後宮のガリレオ2

 さくさくと進み、目的地に着いた頃には日はとうに昇り切っていた。辿り着いたのは、あの場所である。

 「假山か」

 「はい」

 院子の中央に(そび)え立つ假山は、日の光を浴びててらてらと光り輝いている。

 皇帝は首をかしげた。

 「このあたりは兵たちもかなり探したと思うぞ。上まで登ってみたが、怪しい影はなかったと報告を受けている」

 麗麗は假山の頂上をにらみつけた。

 「私は昨晩、この假山を登りました。そのときに気になるものを見つけたんです。……というわけで」

 えいやと假山に足をかける。

 「ちょっと登ってきます。ここでお待ちください」

 いくら礼は不要と言われているとはいえ、さすがにこんな肉体労働を皇帝にさせるわけにはいかない。麗麗がよいしょと体を持ち上げたときである。

 「ここを登ればいいのだな」

 なんと皇帝も同じように足をかけている。

 「主上?」

 「今のわたしはただの恩雲だ。人任せにはしないよ」

 そう言いながら、皇帝はするすると假山を登っていく。慌てて麗麗もそのあとを追った。

 假山の高台につくと、麗麗はぐるりとあたりを見回した。

 高台は見晴らし台のような造りになっている。平らにならされた岩肌は人が二、三人は並んで立てるくらいの場所が確保されていた。その背後は、ごつごつとした岩壁だ。この岩壁の一部を切り崩して造られた露台(バルコニー)のような場所と称すれば、わかりやすいだろうか。宴の際に白旗が刺さっていたのは、後ろの岩壁である。

 周囲は森だった。假山の頂上と同じ高さまで木が生えており、決して見晴らしがいいとは言えなかった。

 「つくづく変な造りだなあ」

 麗麗の隣に立った皇帝があたりを見回しながらつぶやく。

 「この規模の假山を造るならば見晴らしを楽しめるように築山するはずだ。それなのに、木ばかりでなにも見えぬではないか。それに、上り坂も造られていない」

 「上り坂?」

 「ああ。このように頂上で景観を楽しむような造りの假山には、緩やかな坂が造られるのが通常なんだ。妃が楽しめなければ意味がないからね」

 なるほど、確かに妃様方のお召し物は大層煌びやかでいらっしゃる。胡服を着ているならともかく、襦裙や披帛をひらひらさせてクライミングはできまい。そして苦労して登ってこの景色なのだとしたら、本当になんのための場所なのだという話になる。玲沙妃が岩登りを趣味として(たしな)むなら話は別かもしれないが、あの細くてなよやかな腕では岩登りはできなかろう。

 「なんのためのこの場所か、という話ですね」

 「その通りだ」

 麗麗はその見晴らし台をもう一度ぐるりと見回した。今まさに麗麗が登ってきた岩壁の縁が不自然に削れている。そして、なにか棒状のものが刺さっていたような穴も近くに認められた。

 (……うん)

 この棒状の穴は、おそらく金属かなにかでできた輪を設置していたのだろう。この輪の中に縄を通し、両方の縄の端を假山の下まで垂らしておく。その縄を持って体を支えながら登れば、多少体を動かすのが苦手な方でも格段に登りやすくなる。

 (細腕のお妃様でも、なんとかなるってことね)

 麗麗の頭の中で、方程式が組み上がっていく。そして、麗麗は振り返り、背後の岩壁に目を移した。やはり、夜の闇に紛れて見えなかったものも、日の光の下では鮮明に浮かび上がる。

 「ありました、これです」

 麗麗は岩壁の一部を指さした。その岩と岩の間に不自然な繋ぎ目が見えている。

 皇帝は訝しげに首をかしげた。

 「なんだこれは」

 「これはですね、おそらくですが……」

 麗麗はその壁の端、ほんの少しだけ出っ張った箇所を、そっと手で引いてみた。

 (やっぱり!)

 やや重たい手ごたえと共に、少しずつ岩壁が前へと開いていく。そして岩壁にぽかりと開いた空間が現れた。眼下に目を転ずると、深い竪穴が掘られており、そこに下へと続く梯子(はしご)が設置してある。戸の手前には見ただけでわかるようなずっしりと重い置石がされていた。

 「隠し扉です。おそらくは岩戸の上下に軸があるのでしょう。それが回転して開くようになっているんですよ」

 「なっ……」

 皇帝は二の句が継げないようである。開いた空間を見下ろして、ごくりと唾を飲み込んだ。

 「この置石は、間違って誰かがこの岩壁を押したり、寄りかかったりしたときに、戸が動かないようにと置かれているのでしょう。扉を手前に引かないと開かない造りになっているのです」

 おそらく假山の見晴らしがよくないのも、簡単に登れない造りになっているのも、この扉を隠したかったからなのだろう。上り坂を設けないのは、不用意に女官や宦官たちが近づくのを避けるためだ。

 そんなことを考えながら、麗麗はしゃがみ込んだ。穴の手前を調べると、金属でできた輪が縁に刺さっている。そして、竪穴の縁にも削れたような跡が残っていた。

 「……主上。冥焔様はこの梯子の下に連れ去られたのではないでしょうか」

 皇帝も、その可能性が浮かんでいたようである。しかし、すぐには納得できないらしく、首をひねりながら麗麗に問いを発した。

 「この場所でこんなものが見つかったのだ。異論はないが、気になることはある。この場まで冥焔をどうやって運んだのだ。意識を失った人を抱えて登れるほど容易ではないはずだ」

 「縄を使ったんです」

 「縄?」

 「はい。あの、岩の縁を見てください」

 麗麗は踵を返し、皇帝に先ほど見つけた穴を示した。

 「この棒状の穴は、おそらく金属かなにかでできた輪を設置していたのだと思います。なにか重いものを上に引き上げるために使ったはずです。この岩の縁部分、削れていますよね。縄がこすれた痕だと思います」

 皇帝は息を呑む。おそらく、皇帝の頭と麗麗の頭には同じ光景が浮かんでいるはずだ。

 意識のない冥焔が籠に詰められている。その籠には縄がかけられており、あらかじめ待機していた者たちが、假山の上から縄を引っ張り上げるのだ。あとは下から冥焔を攫っていった者たちが籠の底を押さえながら登っていく。人ひとり背負ってこの岩を登るよりは、格段に楽だろう。

 「降ろすときも同じですね。同じような傷が、竪穴の縁にもついています」

 麗麗はもう一度竪穴に近づき、中をのぞき込んだ。下からはやや湿った風が立ちのぼり、麗麗の前髪をなぶった。そのときである。

 竪穴の底から、女性のか細い悲鳴が聞こえた。誰かと言い争っているかのような高い悲鳴が耳に届いた瞬間、皇帝の体が動いた。下に降りようとしているのだ。

 「だめです……!」

 麗麗は主上の腕を取り、引き留める。

 「それはいけません、主上」

 「なぜ!」

 皇帝は穴の底を凝視している。

 「あの声は、玲沙だ……! ならば、やはり冥焔もこの下に」

 「わかっています」

 麗麗とてかの妃の声は覚えている。だからこそ、絶対にこの方を行かせてはならないという事実もわかっていた。玲沙妃がなぜこの下に、とか、誰と争っているのか、とか、気になることは多かれど、ひとつだけ確かなことがある。

 この先が危険だという事実。それだけはれっきとした真実なのだ。

 「主上は急ぎ戻って、兵を」

 「麗麗」

 焦った声を上げる皇帝に、麗麗はぴしゃりと言い放った。

 「ここまでです」

 「しかし!」

 「あなた様は、この国の竜であらせられます」

 皇帝が息を呑んだ。

 「もしわたくしがこの先にまで主上をお連れ申し上げたら、それこそ冥焔様に雷を落とされてしまいます」

 皇帝は、今はただの恩雲だと言った。その気持ちは痛いほどわかるし、麗麗もここまではかなりの不敬を働いてきた。だが、この先はいけない。危険だとわかりきっている場所に、この国の統治者を連れていくなど、言語道断だ。

 そして、それ以上に。

 「ここから先は皇帝としての主上のお力が必要です。兵を動かすのも、妃様やそのご実家の方々を捕縛するのも、そして冥焔様をお救いするのも、公的な手段が必要なのです。あなた様の命がなければ、臣下は動けません」

 皇帝の拳が握りしめられる。噛みしめた唇の隙間からは()(もん)の声がこぼれ落ちた。その表情を見て、麗麗は胸を締めつけられるような苦しみを覚える。

 この方の、情深さを知った。今すぐにでもこの梯子を下り、自らの手で事の始末をつけたいのだろう。だがそれを許してはいけない。この方をかばった冥焔のためにも、それだけはさせてはいけないのだ。

 皇帝は拳を握りしめたまま、深く息を吐く。そして、ことさらゆっくりと吸うと、ひと息で吐き出した。

 「わかった。わたしはわたしの仕事をしよう」

 「ありがとう存じます」

 「それにしても麗麗」

 皇帝は麗麗に揶揄(やゆ)の目を向けた。

 「先ほどの言葉、まるで冥焔に叱られているようだったぞ。やはり、親しい関係ともなると、言葉も似るものなのだなあ」

 これには盛大に顔をしかめた麗麗である。

 やはりなにか誤解をされているようだ。否定したいところだが、あいにくそんな場合ではない。

 踵を返した皇帝の背後を見送りながら麗麗は揖礼を捧げる。

 「麗麗」

 「(はい)

 「抜け駆けするなよ」

 そう言い残して、皇帝は假山を下りていってしまう。無事に下まで着いた姿を確認したところで、麗麗は唇を引き結び、不敵に笑う。

 (抜け駆けするなよ、だってさ!)

 残念ながら、させていただこう。

 麗麗は再び梯子の前まで戻る。そうして、慎重に、梯子の上に足をかけた。